宿泊所はとりあえず予約できる範囲で1月中旬までおさえたが、ずっと宿泊所に留まるわけにもいかない。
冬休みが明ければ、次男は小学校が再開する。

義両親は働いているので、長女も妻の実家に任せきりにはできない。
急変は怖いが、日中の面会を妻に任せて久しぶりに自宅に戻った。

急変当日の料理の残りなどは義母が片付けてくれていたが、食材で賞味期限が近いものを使って食事を摂り、着替えなど必要物資をまとめ、スマホだけでは情報収集が難しいのでノートPCも持って宿泊所に移動する。

この頃は、長男と似たような症例がないか、脳障害となった人の予後やリハビリを調べたりすることが多かったが、交通事故など外傷性のものと比べて低酸素脳症は厳しいことを思い知るばかりである。

気付けば子どもが幼くして亡くなる病気(小児がんや希少なもの)にかかった家族のドキュメンタリー映像を見たり、「逆縁」は想像できないものだけどよくあるという和尚さんの説法動画を見るなどしていた。

これまでほとんどスルーしてしまっていた世の中の不幸なニュースに敏感になったり、車椅子に乗った障害児を見かければ、意思疎通できていいな、話ができていいななどと思ってしまうようになった。
これは本当に、自分で身にしみることで見えなかったものが見えてくるものだ。

しかし、油断すると他人と比較して、うちはまだ幸せだとか、もっと不幸だとか…
ついついそんな風に考えてしまうのだが、こういった考えはあまり良い心を生まないように思う。

障害の重さの程度が異なってもそれぞれの課題があって、その大変さは外野から簡単に推し量り比較できるものではないのだ。

半年後の現在もそう思うのだが、中途半端に意識回復して痛みを感じ、苦痛を訴えられたら、今と同じ態度で見ていられるだろうか。

手足が動けば拘縮が、呼吸が戻れば誤嚥が、脳機能が戻れば知能レベルが、それぞれの土俵で心配事は尽きることがないと思うのだ。

 

そうちゃんは血液透析を終了した後も酸塩基平衡は保たれており、血圧が上昇してきたので強心剤を1つ終了。

電解質異常(ナトリウム高値)や中枢性尿崩症の傾向が出てきたものの、循環動態は安定してきたため、開胸管理してきた心臓を胸にしまい込む手術を行い、感染を予防する方向となった。

 

手術前には、心臓を体内に戻すことができないケースもある等、医師からリスクの説明を受けてまた怖さを感じたが、翌日、無事に閉胸することができた。