無条件の献身、とはいえ… | mot-1961-hra@再起動…

mot-1961-hra@再起動…

動物のもふもふ毛皮は、創造物のうち最良のものである。
と信じてる
あと、肉球?

ニュース記事、リンクできてなかった。
興味あればコピーして検索してね、すみません

あと今日は、『献身』について、日頃思うことを、書いてみる。あまり気持ちの良い話ではないですよ。




もし「神から人を殺すよう命じられたら人を殺すのですか」と尋ねられたら、多くのエホバの証人は「神は道理にかなったことしか要求されません」と答えるでしょう。

でもね、その考え方は間違いだったかもね。

そんな考え方してしまうと、自分はどこまで犠牲を受け入れられるか、そういうリスクにとことんまで向き合うことをしないまま献身してしまうの。

そんなのが神に対する信頼だと勘違いしてしまう。
私の場合は、間違った信頼のせいで結婚適齢期を逃してしまい死ぬほど後悔した。大抵のことは自分の中に呑み込んで気立ての良いクリスチャンでいたかったけれど、これだけはどうしても受け入れられないのですよね…

献身したと言っても、無制限に言いなりになるなんてあり得ないのですよ。
そもそも『エホバは極端なことを要求されない』という前提あってのものなんだから。
それも、その時点で認識できる範囲に基づくものだしね。


「献身したんでしょ」とか「バプテスマの時に二つの質問にハイと答えたんだから」というのは、無条件に要求を呑む理由とはあまり関係がないと思う。
そういう理由のために、「納得できてないのに従わなくてはならない」と考えるのなら、もし神が人を殺せと言ったら人を殺さないといけない、ってことなんだよ?


全てを理解して覚悟して献身する、なんて誰もできないことだよね。


もし、献身とバプテスマを撤回できるならそうするか、というと、それは微妙…

やはり、知ってしまったからには無視できない性分なのだ。たとえバプテスマを撤回したとしても、性道徳とか、聖書で明確に言われてる限り踏み越えることは一生できそうにない。決して自由にはなれないんだと思う。

でも、やっぱ、するかも(笑)

親戚の葬式や法事や何やかや、最小限にでも参加しても処罰されない身分にはなりたいかも…
そうなれば未信者と結婚できなくないもんね。


『もう、私はあなたの子供でいる資格はありません、飼い猫待遇にしてください』

ってのはダメですか。