何のためなら、命をかけるか? | mot-1961-hra@再起動…

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動物のもふもふ毛皮は、創造物のうち最良のものである。
と信じてる
あと、肉球?


北朝鮮にも、クリスチャンはいるのですね。


目についたニュース記事↓
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20170422-00070147/


国内に1200もの地下教会、だって。

あの国で彼らは、どんな想いで自分に託されたものを保っているんだろう?



持っているものが『お宝』なら、
お宝は失われてはならないのだ。


自分が守りたいと思うものは守ればいい。

みんなに合わせるためとか、注目されてるからとかではなく、自分にとってかけがえのない大切なものなら、ね。

JWだって同じのはずだよね。
信仰の行為は自然に表れるものが尊いのですよ。
「信仰をこのように表しなさい」と誰かに言われて従うもんじゃない。

世界共通の霊的活動スケジュールをこなすことのために、命を賭けたいとは思わないな、自分は。


自分は、信仰のために命を賭けられるかなぁ?

正直、わからない。
信心は不変の定数じゃないもんね。
株価のように上げ下げするのだよ。
ここぞというときに爆上げもするし、急落することもあるでしょ。
その場その瞬間のナマモノだと思ってる。

私は、ぶっちゃけ、守って欲しい派です!
低位の者が高位の者のために命を賭けるのは、なんか美学に反するというか…(笑)逆でしょ?って思うの。

まあ、それでも、人間だもの、
危険を省みず何かに執着することくらい、時にはあるのかもしれない。


たとえば、誰かの命がかかっているのなら、命を賭けることもあるかもしれない。
家族の危機なら助けずにはおけないだろうし、知らない人であっても咄嗟の判断で助けられると思えば助けようとするでしょう。
相手が愛犬や愛猫のような、自分の保護下にある者であれば尚更だ。


命を賭けるとしたら、大切なものを守るためだよね。