阪神大震災を忘れずに | 本当にあった怖い話

本当にあった怖い話

本当にあった怖い話と意味がわかると怖い話を解説付きで書いています

1995年1月16日
当時、親戚一家は、古い木造二階建ての借家に住んでいた。
親戚の家には昭和末期生まれのぬこが居た。温厚なシャム交じりの雑種で何匹も子を産んだ母ぬこ。
当時、親戚の家には母ぬこ・娘黒ぬこ・娘縞ぬこ・娘縞ぬこ・息子ぬこの計5匹が居た。
おばちゃんは、何故か突然、部屋の模様替えをしたくなり、箪笥を移動するなど午前中から深夜まで、大掛かりな模様替えを実行した。


1995年1月17日
当日未明
母ぬこが、二階の二段ベッドの下段で眠っていた従妹に噛み付いて、従妹A流血。
従妹Aは泣きながら一階に降りて、おっちゃん&おばちゃんを起こして傷の手当を受けた。

「なんで大人しいこの子が、なんもしてへんのに噛んだんやろ?」

不思議やなぁとしばらく話し、そのまま一緒に寝た。


1995年1月17日
当日5:46
凄い音で目が覚めたら、体が動かない。
どうやら箪笥が倒れたらしい。
ちょっと光が見える部分をおっちゃんが素手でぶち抜いて、三人はその穴から普通に脱出。

一階が完全に潰れ、その下敷きになっていたのだった。
おっちゃんがぶち抜いたのは一階の天井だった。

周囲はしんと静まり返っている。
暗くてよく見えない。
さっきのんはなんの光や?

「寒いなぁ」と、さっきまで着ていた毛布を引っ張り出そうとしたが、びくともしなかった。
三人は、倒れた箪笥と天井の間の絶妙な隙間で眠っていたらしい。

二段ベッドの上段で寝ていた従妹Bは無事だった。
二段ベッドの下段は折れた柱(梁?)が下から突き破り、マットレスから柱?の先端が突き出ていた。
現場に居ても仕方がないので、スリッパなどを発掘して近所の学校へ。

校舎は盛大に燃えていたが、校庭に集まった人々は「ぬくいなぁ」「明るいなぁ」と呑気に暖を取っていた。
誰も「火事を消さなくては!」とは思わなかったらしい。

明るくなってから、せめて上に羽織る物でもと家に戻ると、近所の人々が親戚宅跡地に集まって騒いでいた。

「○○さんが死んでもたー!!」

洒落怖PaBt153の虫系の地雷話でイチヂクくれた大家さんが号泣。
「誰か亡くなりはったん?」とおばちゃんが声をかけると「うわー!!幽霊やー!!」と集まっていた近所の人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。

「生きとる生きとる。足あるてw」(こんな会話&リアクションを素でするところが関西人)

親戚一家はいち早く脱出していた為、まだ埋まっていると思われていたのだった。

その古い住宅街は壊滅。
立っている家は一軒もなし。
しかし、古過ぎる家は素手で壊せた事と、どこに誰が住んでいて、どの辺りに寝ているか近所の人々が知っていた為、自力脱出&ご近所救助で大半の住人が助かった。

親戚宅の息子ぬこは、助からなかった。
姿も見えるし声も聞こえるが、挟まって出られなかった。
壊れた家を数人がかりで、テコを使ってどけようとしたが、動かせず、衰弱して…

母ぬこが従妹Aに噛みついて流血させず、従妹Aがそのまま眠っていたら、折れた柱(梁?)に串刺しにされていたかも知れない。

おばちゃんが、部屋の模様替えをしなかったら、家の下敷きになって三人ともあぼーんしていたかもしれない。

親戚一家は、複数の偶然(?)が重なって助かった。
でも、母ぬこは自分の子供を助ける事はできなかった。
おっちゃん&おばちゃんと再会できたのは、その翌月の二月。
その時に聞いた。

母ぬこはその8年後くらいに老衰で死亡。
娘黒ぬこも二年くらい前に病死。
縞ぬこ姉妹は今も元気に生きている。