誰かに何かをしてあげたのに、
思ったような反応が
返ってこなかったとき。
「あんなにしてやったのに
恩知らずだな…」
という言葉を
使う人がいます。
でもこの言葉、
実はとても波動の重い言葉なんです。
なぜならそこには
・本当は見返りを期待していた
・相手をコントロールしようとしていた
・「感謝されるべき自分」
という自己像への執着
といった、
無意識の“欠乏”や
“条件付きの愛”が含まれているから。
そもそも、
誰かに何かをしてあげたという行為は、
自分が決めて、
自分の意志で選択したこと。
相手に頼まれた場合であっても、
最終的に「やる」と決めたのは自分。
そこに
「ちゃんと感謝してほしい」
「同じくらい返してほしい」
という条件をのせた瞬間、
それはもう
“純粋な与える”ではなく、
エネルギーの取引になってしまいます。
量子論的に見ても、
意図に「欠乏」や「期待」が混じると、
その周波数に共鳴した現実が返ってくる。
つまり、
「分かってもらえなかった現実」
「大切にされない現実」
を、無意識に
自分で引き寄せてしまうんです。
自分がどれだけ心を込めたとしても、
それをどう受け取るかは、
相手の価値観・過去の体験・心の状態
によって変わります。
・ありがとうと言える余裕がなかった
・受け取ることに慣れていない
・そもそも「与えられた」と認識していない
こうしたことは、
すべて相手の内側の世界の話。
そこに
「私の気持ちを分かれ」
と期待を乗せるほど、
自分のエネルギーは重くなっていきます。
本当に波動が軽い人は、
・与えたら、そこで完結
・感謝されなくても、自己否定しない
・相手の反応を自分の価値と結びつけない
という在り方で生きています。
それは冷たいのではなく、
とても
自由で、愛の純度が高い状態。
与えること自体が喜びであって、
評価や反応を必要としない。
この在り方に切り替わったとき、
不思議と
・自然に感謝されるようになる
・無理をしなくても循環が生まれる
・「与えすぎて疲れる」現象が消えていく
そんな現実に
移行していきます。
もし心の中に
「なんで分かってくれないの?」
「私ばっかり損してる」
という思いが出てきたら、
それは相手の問題ではなく、
自分の与え方の
在り方を見直すサイン。
・本当は無理していた
・本当は期待していた
・本当は境界線を引きたかった
そんな本音に気づいてあげるだけで、
現実の流れは一気に軽くなります。
「恩知らず」という
重たい言葉を使わなくても、
あなたの世界はちゃんと巡っていく。
与えるも、与えないも、
どちらも“自分が選べる”。
この自由さこそが、
波動の軽さであり、
量子的にも
最も現実を整えやすい
在り方なのかもしれません。
もし今、
「それでもモヤっとする」
「頭では分かるけど、
心が追いつかない」
そう感じているなら、
それもまったく自然なこと。
与えることを手放す必要はないし、
無理に
“波動を上げよう”としなくていい。
ただ一つ、
何かを差し出す前に、
「私は今、喜びから選んでいる?」
それとも
「嫌われないために、
失わないために?」
その問いを、
自分にそっと
向けててみてください。
その瞬間から、
与え方も、関係性も、
無理のない形に
自然と整っていきますよ〜![]()


