最近、頭に関する本をよく読んでいる。
ヘアスタイルの研究をしているわけではない。
今さら、白髪まじりのざんぎり頭をどうこうしての若返りの偽装に興味はない。
頭の中の脳みそについての本です。
(若者もいずれ)皆がだどる道、老化への黄昏の道。
「物忘れ」「記憶力の低下」「集中力のなさ」が、最近、富に来てるんですよね。
だが、ここまで来ると今さら加齢に逆らってもしかたがない。
ある意味地獄のような、「毎日が日曜日」を淡々と過していくだけと開き直っている。
今風に言うところの脳活ですか。
家にある、その方面の本をあさり読んでいるんです。
なるほどと理解した先から忘れていくから、頼りにならないけれど。
年をとると、
脳のなかの大部分を占めている大脳のなかの「前頭前野」が、早い話、老化でヤラれるということたけは、理解できた。
誰にでも、年をとるに連れ、身体の衰えは平等に必ずやってくる。
見えない、聴こえない、噛めない、腰が痛い、肩がこる、歩行困難、頻尿、等々いたし方ない。
新品の自転車が、時を経て、雨風に晒され錆つき、パンクしたり、ブレーキの効きが悪くなり、ギシギシ音をたててくるようになるように。
しかし、
少しぐらい物忘れは、誰もがなる加齢の過程のなかのひとつじゃないか。
「しょうがない」
と、私は開きなおっていた。
かえって、人の名前や、場所の名前をなんとか思い出そうとすれば、イライラして、結果不発に終わり、
胸くそ悪く、精神面によくないから「それがどうした」と、思い出せないことなど無視してやり過ごすことにしている。
二言目には、「高齢者=認知症」みたいな、
「癌になるより怖い認知症」なんて、脅かし文句もある。
認知症にならなければ、一人前の高齢者じゃないのか。
で、その「腹立つわ」の脳ミソについてのお勉強を今しているのですが、
年寄りが一番にヤラれる脳
前頭前野という、脳活動をつかさどる場所が何をしている時、よく使われているかというのが、
「簡単な計算」
「音読」
「他人と関わり合っている」
だそうです。
それで、今
小学生のやるような簡単なドリルや参考書が、シニアに売れているそうです。
意味なんか分からずとも、論語や老子、養生訓、歎異抄など、何でも声を出して、音読してみるのも良いとか。
昔から、仏壇の前で婆様が、朝夕、般若心経なんかを唱えていたのは細やかなボケ防止になっていたのか。
仏様のご加護を頂いていたのでしょうか。
そして、本を読んでいて、びっくりしたのが、
「テレビやインターネットに触れているときには、脳がほとんど使われていない」
と、言うのだ。
ショック!
それ、私の一日じゃありませんか。
生きているうえで、命と、金の次に、スマホ(SNS)が大事だとする私は、(ただてさえアホなのに)ボケ一直線に向かっていたことになります。
ん〜、確かに、考えると分かるような気がします。
テレビを見ている時は、
流れてくる映像を一方的に、目で見て、耳で聞いているだけの受け身の状態。
時々、「そんな馬鹿なことあるか!」なんて、テレビに虚しいひとりツッコミ入れたりしてはいるが。
スマホも、朝目覚めるとともに布団の中で、本日の天気予報の確認から始まり、
ほとんどはとうでもいいメールのチェック、
ユーチューブを開いて、何か面白いことないか(これといってほとんどないことはわかっていても)、ただのおざなりの習慣から一日が始まる。
それは、指一本で、現実から逃避しているような、
無責任に他人の世界をながめているだけの、これも受け身の体制でしかない。
少なくても、初めてスマホを手にした時の興奮や新鮮な驚きや発見みたいなものは無くなり、
腹は空いていなくても、目の前にある菓子につい手がのびてしまうような、
指と目だけがまるで憑き物に憑かれたよな、スマホ新興宗教。
スマホがそこにあるから、手にしている慣習でしかない。
いや、いや、もう依存症なのかもしれない。
たいした、稼ぎのない能無し亭主(スマホの事で、断じてウチの旦那ではない)と分かっていても
別れるわけにはいかない。
程々に付き合っていかなければ。
脳に良い生活とは、楽で便利を選ばないことだそうだ。
若い時から道楽者の私のズル脳は、それをさせない。
極力身体は動かしたくないから
最低限の家事以外何もしない。
すぐ寝っ転がる。
寝っ転がるより楽なのは、
「後は死ぬだけだな」
と、最近
本気で思っている。