久しぶりに、安岡章太郎の随筆を読んでみる。
はっきり言って、もうこの年になると読書はしんどい。
老齢になって、出来なくなる事が増えるばかりのなかで、目が見えづらくなっていくのが、一番辛くて悲しい。
タブレットを用いた電子書籍という楽な方法もあるのだろうが、
私は、少しかび臭くなった本を、長年の家事ですり減りカサカサになった指先をなめなめページをめくる読書の方がいい。
白内障で老眼の目をしよぼつかせながら、本を斜めにしたり、手元の灯りを調節したりで、なんとか。
安岡章太郎は、学徒動員で招集満州に配属。
しかし、肺結核で、内地に送還終戦を迎えた。
戦後の誰もかれもが困窮していたとき、脊椎カリエスにかかり
貧困もさながら、医学的にも治療法もなく、ただただ安静に寝ているだけの每日だった。
背中のカリエスの菌が背骨に膿をため、激痛に耐える日々が続く。
そんな彼の書いた文章に私は「ほ〜」となった。
当時の僕にとって、唯一の慰めは近くを小田急線の電車が通っていることだった。とくに、夜更けにその電車の音が耳元で響いてくるのが聞こえてくると…
ここで、私は想像する。
ああ、静まり返った夜更けに聞こえてくる電車の音が、痛みに耐え、一日も早い病気の回復を願う安岡を、頑張れよと、励ましている音に聞こえているのだなと、
だが、
安岡の文章はこう続く。
「今のオレなら、あのへんまでなら歩いて行ける、もっとカリエスの具合が悪くなってからでも、這ってでも小田急線まで行ってやるぞ、そう考えて僕はいざとなったら、電車に跳びこんで死ねる、とそれを頼りに生きているつもりだった」
ほ〜、である。
小田急線が、いざとなったら病苦からの決別するための、今の自分の生きるよすがであるというのだ。
戦時中を含め、治療法もない病気におかされた将来の希望もない今の生活においては、死は日常ということなのだろうか。
私は、ある時期から、ずっと考えていることがある。
それは、安岡章太郎が、いざとなったら這ってても小田急線で人生の決着をつけるぞと、
それを頼りに生きるような、
私もそれに近い考えを持って生きている。
私は、テレビなどて血気盛んな若者達を見ても、仕事にバリバリ精進して頑張っている人を見ても、いや、幼い子供を見てさえも、思ってしまう悪い癖がある。
それは、
「皆、一人残らず、やがて死ぬんだよね」
仏教徒ではないが、「生老病死」が頭の中で再確認されている。
昨日の私はもう今日の私てはない。
日一日と物事は移りゆく、「諸行無常」
どんなものにも永遠はない。
いつも、考える、
自分はいつ、どんな死に方をするのだろうか。
人類の未来や、国の存亡なんて興味はない。
ただ、ただ、自分の最期に興味があるのだ。
死期が迫った時、どうやって死んだろか?
ポックリも、老衰で死ねる確率はないに等しい。
ああ、もういいか、これ以上は苦しみたくないと心から思えるときが来たら
私は、電車飛び込みも、首吊りも周りに迷惑をかけるので、
密かに考えていることがある。
安岡章太郎のように、いつかその日が近づくまで、それを頼りに生きるということでもある。
が、家の中や、近隣は避けて死ななければならない。
だが、場所を移動する体力と気力がなければ遂行できない。
誰かに手を貸してもらえばその人に迷惑をかけることになる。
だから、矛盾してはいるのたが、高齢者になってからの自死の決行は、身体が元気なうちでないと出来ない。
ハァハァ肩で息をしながらヨレヨレで電車なんか乗って、目的地まで移動していたら、
どうしましたか、となる。
おまけに、救急車なんかで、病院に運びこまたれたりしたら一巻の終わりだ。
延命という、この世の地獄を経験することになる。
安岡章太郎の
友人の遠藤周作や吉行淳之介は短命に終わったが
若い頃から幾度も病魔に襲われながら、最後は92歳で亡くなった。
死因は老衰とある。
羨ましい死に方です。
私は、普段、90何歳ときくたけで身震いするぐらい、そんなに生きるなんて冗談じゃないよと、怒りにもにた感情が湧くのだが、
老衰で穏やかに、枯れるような死にかたするには、そこそこ頑張って長生きをしなければならないようだ。
だが、老衰を目指して、ただただ長生きをするだけの、
私のよすがは何もない。