振り返れば自分の人生の生き方は、


今が良ければそれでいい、自分自身の価値観で思うがまま、勝手気まま


慎ましやか(では無いな)、やれることは遣りたい放題、文句あっか!の生き方てありました。


かっこつこけて言えば天衣無縫。


なるがまま、明日は明日の風が吹く、物事とどのつまり、何とかなるさ的な考え方で生きてきました。


楽です。


楽しかったー。



でも、当然無傷で済むわけはないし、多方面で色々な迷惑や心配をかけてもきました。


(嫌味に聞こえるかもしれませんが)人並み以上に努力はした。


こうゆう、自己中心で、運と後先考えない、出たとこ勝負の人生でも、


たまたまなんとか、若死にせずに、今まで生かされてきました。


文句を言ったらバチが当たるかな。


でも、最近富に感じるんです。


全く面白くないんです每日が。


人生の終盤戦、たどり着いた安泰の日々のはずの老後がこんなに面白くないものとは思わなかった。

 

とにかく、何をやっても面白くないのだ。


よし、なにか、やるか!と、


面白そうな事を考える、その気力も段々となくなっていく。


前は、興味のあったことも今はゼンゼン


どうしてこう每日が面白くないのか、考えればもっともっと面白くなくなっていく。


いやいや、最近気がつきました。


「面白くない、それが老後なのだ」




朝、目を覚ます度に、布団の中で、いの一番に思うことは


「今日もクソ面白くない一日が始まったか」




悲しみや苦しみもない代わり、心躍るような刺激も、やりたいことも、希望も目的もないのだ。


何か、ないのか?


考えるのも、疲れた。




あえて、言えば


このさして嬉しいこともなくつまらない、そこそこ平穏な老後がいつまで続くのか、


いや、いつまで続けゆかなければいけないのかが、


それが一番の関心事。


諸行無常。


人生は、すこーしづつ、すこーしづつ、流れるいく雲のように、変化してゆくのです。


永遠はないことなどわかりきっている。


こうして生きている今は確かにある。


でも、今現在の自分に明日は存在しない。


無いのだ。


明日になって、息をしていなけければわからないのだよ、なんて、小学生か。




今更なのですが、


この年になって、これだけ図々しく生きてきていながら、


ブチ当たりました。


「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」


来ました、ついに每日感じている漠然とした不安感の根源ともいえる、問です。


多分、皆んな頭の片すみぐらいには存在している問です。


誰か、その答えがあれば教えて頂きたい。




他人の葬式、(お身内は除いて)以外に参列した人の心の中って、変な優越感と安堵感がありませんか。


「私は生きている」


高齢の人の葬式は、ほとんど涙は出ません。


故人なんかほっといて、酒もはいればけっこう笑い話なんかで盛り上がっていたり、


今生きている実感に浸っているのかもしれません。



毎朝、新聞のお悔やみ欄をみるのが悪趣味となっているのですが、


「チィッ!」


舌打ちしながら


本当にもう嫌になります。


死亡者の年齢が90代が断然多い。


百歳を越す人が、何人かいるのも珍しくないのだから。(喪主が孫ときてる)


私が、嫌な気分になるのは、将来本当に100歳にならないと、死ねないという悲惨な人生の終末を想像してです。


何が何でも、生かす医療の方針の前に


本人の意志に関わらず、死なせてもらえないのではないかという恐怖でもあります。


テレビや本などで紹介されているような、心身共にバカ元気な100歳ってどれほどいるものか。


ほとんどは、介護が必要な状態なのではないでしょうか。


死に方にも、格差があるんです。