確か高校3年生の時だったと思う。近所に住む悪友がパチンコ好きで、しかも上手かった。まだ、デジタルパチンコが出る前の時代、打ち出しがレバーから電動に変わった時期の話。単純にチューリップを開かせるだけの台なのだが、それだからこそ、釘を読んで、レバーに十円玉などを挟んで固定させる。一人で数台の掛け持ちができた。彼から電話がかかってくると、中野ブロードウェイの裏側の大きなパチンコ屋に行く。手先の不器用な僕は、何かを挟んでハンドルを固定させることができない。もちろん、釘なども読めない。だから、彼が打っている台にただ座って、ハンドルが外れたり、チューリップに入りずらくなると彼を呼ぶ。彼は僕に台を任せると、他の島に釘の甘い台を探しに行く。島というのはパチンコ台が並ぶ列の事。

 換金できる景品は、インスタントコーヒーと粉末ミルク、砂糖が5個ずつ位入った携帯用のセット、ライター石、紙の箱に入ってビニールで梱包されている香水。ネットで検索してみたら、ケンシ精香という会社の、「夢」、「麗」などという漢字一文字の香水。少し離れたところの、漢方薬屋を改造した両替所で換金する。随分と漢方臭い記憶がある。

 金額は多くて5千円位だったか。ブロードウェイの裏通りのカウンターだけの店。昼はサイフォンのコーヒーを飲ませ、夜はウィスキー。通りに面したタバコ屋ほどのショーウィンドに手作りのプリンやそんなに手のかからない洋菓子を売っている。夜のカウンターは髭に蝶ネクタイの白髪の親父さん。たまに神経質そうなマスターが顔を出す。あと、カウンターに一人か二人、女の子がいる。近所の織田学園や女子美の子。子と言っても友人と僕は高校生だからお姉さんなのだが、いっぱしの顔をしてバランタインをボトルキープして飲んでいた。ボトルをキープするとチャージは確か千円以下だったと思う。そうでなければそんなに頻繁には行けない。今、思い出すとなんだろうと言う感じ。店の名前は「キキ」。カタカナだったかフランス語だったか。

 中野から引っ越して、父は他界し、母は施設暮らし。中野で飲む機会はほとんどなくなってしまった。今も生意気な高校生が、そんな店で音楽や文学や、パチンコの話をしているのだろうか。そんな思い出。

 続きは次回。