東京都写真美術館に、「田沼武能 人間讃歌」という展覧会を観てきた。

 最近の展覧会では、色々と思うことの多い展覧会だった。

 この機会に、「写真」、「写真家」、「写真集」ついて考えてみたい。

 最近は、写真展に足を運ぶことも多い。同じ東京都写真美術館では「土門拳の古都巡礼」、「本橋成一とロベール・アルノー 交差する物語」、世田谷美術館で開催された「祈り・藤原新也」と趣向の違う写真を観てきた。

 まず、今日の田沼武能について。

 彼についてはキャリアも作品もほとんど知らなかった。黒柳徹子と世界を回っている写真家位の認識である。今回、この同行も自費であり、120を超える国と地域で作品を撮っていたことは知らなかった。

 今回の展覧会、まず第1章の「戦後の子供たち」が秀逸。戦後の混乱期は、廃墟、絶望、うつろ、青空、希望、活力、何を題材にしても写真という芸術にはうってつけの時代なのだと思う。しかし、そうは言っても写真家の視線、アングル、意図が僕を惹きつける。素人がとった写真にもそれなりの時代の匂いはあるのだが、田沼や例えば、土門拳が切り取る戦後は時代なのだ、けっしてノスタルジーにはならない。もちろん、ある年代の人にとっては懐かしいと感じる写真も多かった。僕は1948年の「渋谷駅前広場」が僕の生まれる以前の渋谷ではあるが、どこか僕も子供時代に見た風景だなと錯覚を覚える同時代性がある。敗戦が1945年、この渋谷が撮られたのが1948年、第1章の作品はほぼ1950年代、彼がフリーランスになる前の写真。そうだ、僕が生まれた1961年は敗戦からたった15年ほどしか経ってないのだ!(続く)