モンゴル語でモンゴルの南東部のことをゴビと呼ぶのだそうです。
ゴビ砂漠といえば、地下資源とか恐竜の化石とかが浮かぶと思いますが、
ちょっと視点を変えてのかつてのゴビのことを想像してみたいと思います。日本の立場で言えば、黄砂や梅雨前線の影響を受けていますが、そもそもの原因は大陸移動が原因になっていたと思われます。
最初は、ゴビ砂漠の砂を皆んな取り除いたら何がでてくるのだろうかと思っていました。
研究は緒についたばかりでほとんどわかっていないらしいゴビ砂漠の過去。
モンゴル政府が各国の力を借りて盛んに地下資源開発プロジェクトを進行はしており、並行して恐竜の化石発掘研究も始まっています。
では、なぜ、この中央アジアの地下に資源が豊富なんだと思いますか?また、なぜ、恐竜の化石が沢山みつかるのでしょうか?
このブログでよくでてくるプレートテクトニクス理論の話題にはいります。
インドがまだユーラシア大陸とぶつかる前の頃、平坦であっただろう中央アジア周辺には、多くの植物とともに多くの恐竜が生息していたと思われます。1億4千年前から6500年頃の間。比較的長い生存期間だったようです。
この時代、南極にも北極にも氷床はなく温かい気候だったらしい。
きっと楽園だったでしょうね。
この地域では石炭資源も豊富ですが、この頃の植物の化石なのでしょう。
ここから始まる大陸(プレート)の大移動です。
約5000万年前にインドは、ユーラシアプレートと衝突します。
この衝突の影響で2000~3000万年時間が、ヒマラヤやチベット高原を形成していきます。
7300万年前~6550万年前頃に地球に隕石が衝突し、全盛を誇っていた恐竜たちは絶滅したとされています。
中央アジアに高い山脈ができたことで、北極の寒気影響で発生する偏西風がヒマラヤで分割され、梅雨発生の原因になっているそうな。
インドプレートの移動圧力は強く、ユーラシアプレートの下に入り込み、今なおその運動は続いているようです。
それは、ヒマラヤの下、二重底にしている状態らしい。
結果、2つの偏西風の間の地域は、乾燥し、砂漠化した、というわけです。
つまりは、日本は、ヒマラヤ・チベット高原の影響がとても強い位置にあるといえます。
関連でこの過去ブログも同じ流れのお話です。
参考: