バンクーバー近辺の街メープルリッジにある農場で家族と共に生活しています。2022年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今回はその集会についてではないので、内容等は割愛いたします。
今回は、わたしのウクライナ人の友人についてです。
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同じ年のウクライナはキエフ出身の超長年の友人がいます。もともとはわたしの姉が高校時代にペンフレンドだった人です。
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その後彼女はウクライナで日本語を勉強していたこともあり、東京に留学してきて、長野オリンピックのときには、姉とわたしのいる長野に来てくれました。なので、わたしはそのときからの友人です。姉も実際会ったのはその時からです。3人でかなり楽しんだ長野オリンピックでした。
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その後彼女はまた東京に帰り、わたしの姉は海外に勉強に戻ってしまったのですが、彼女はわたしに約束どおり東京に遊びに来ないかと連絡してきました。
そしてわたしは東京の彼女の大学の寮に行き、そこに泊まらせてもらい(わたしに彼女のベッド貸してくれて、彼女は床で?寝てた記憶が)、ふたりでかなり楽しく東京で遊びました。
その後6年くらい経ってから、彼女は日本人男性と結婚するということで、なんと長野の小布施の教会で式を挙げ、姉とわたしも呼ばれたので行ってきました。彼女のご両親もウクライナから来ていました。温厚なご両親でした。
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その後、姉と私と、またまた同じ年のいとこと3人で東京に遊びに行った時、ウクライナのその彼女も呼びました。4人で楽しく東京で遊びました。
記憶ではそれが彼女に最後に会ったときです。しばらくして彼女からメールが来て、子供が生まれるとのこと。嬉しかったのを覚えています。
その後彼女は二人の子供をもうけ、いつだったかは忘れしたが、アメリカに家族みんなで渡りました。当時はFacebookなども流行っていたので、それでコニュニケーションをとる感じでした。
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わたしはその後はFacebookは使用しなくなり、ただ、彼女も含めそこでしか連絡を取れない友達が多数いるため、アカウントだけは残しておきました。
ながーい年月が経ち。
この2月にロシアがウクライナに侵攻。
世界の話題は一気にその戦争オンリーに。
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彼女に連絡しなきゃ!
わたしは咄嗟に思いました。
彼女と旦那さん、子供たちはアメリカにいることは知っていました。でも、元々キエフ出身の彼女にはまだキエフにいるはずのご両親や姉が!他にも親戚だっているはずです。
久々にFacebookを開きましたが、使い方など中身は昔とはかなり変わっていて、何が何だかさっぱり(笑)
でもメッセージのところから彼女へ連絡できそうだったので連絡入れてみました。
数時間後、彼女から返事が!
彼女、旦那さん、子供たちはアメリカ移住しているので大丈夫!心配かけてごめんねという内容でした!そして、キエフにいるはずのご両親やお姉さんは?というと。
な、なんと恐らく近年だと思いますが、両親や姉家族はみんなアメリカ移住をしているとのこと!
ほっと安心しました。
お互いの近況などを話しました。
SNSがあったおかげで、安否のほどを確認取ることができたのです。
彼女の親戚はまだウクライナにいるのだとか。でも戦争が始まったばかりのそのときは、彼女いはく、まだ戦地からは離れているから今のところ大丈夫と言っていました。けれど、最近はどうなんでしょう?戦争が激化しているため、ウクライナ全土が危険ですよね。
彼女たちがアメリカにいるということで安心はしましたが、まだまだウクライナには多くの人々がいます。
とにかくウクライナとロシアの停戦交渉がうまくいってくれないかと祈るばかりです。