分かりやすいノートは、
それだけ自分の頭に落とし込めている証拠。
綺麗なノートを書いてほしいのではない。
分かりやすいノートを書いてほしいんだ。
9月時点の、ある生徒のノート
うむ。計算はしているようだ。途中式も書いているし、丸付けもしてある。
しかし何かがおかしいのです…。
「✕だけつけて終わりじゃ…出来るようにはならないよね。」
解いて満足していては、先に進むことはできません。解いたら丸付けをして直す。大切です。
時は移り変わり12月頃のノート
ノートのレベルが上がっています!しかも図形のなかなか面白そうな問題を。
気になるところなんて一見するとありません。それは当然。
このノートは、「解いて・丸付けをして・間違いを直して」いるのですから。
しかし、、、実はとんでもなく…個人的には危険な香りのするノートなのです。
“本当に、分かっているのかな???”
正しい式が書いてあったからといって、それが本当に“理解できている”にはなりません。
いつでもそれが出来ていればよいですが、
少なくとも「間違えた」問題に対して、赤で式を書くだけの直しというのは、
“よく分からないけどとりあえずこういう式”になりやすい。
そういう意味で、危険です。
最悪の場合、解説を写しているだけというケースもありますからね。
ノートは、たくさんのことを語り掛けます。
勉強のしかたも教えてくれます。
良いノートを取る生徒は、やっぱり伸びやすい。
年が変わって2月頃には、ノートは更に進化します。
さて、かなりのレベルに見えてきます。事実、この頃は本人もかなり良い感じに理解などが進んでいました。
褒めることも多かった。
間違いを言葉で“自分の言葉”で指摘したり、間違いを言葉を交えて直せている。
ただ解き方を書いているわけではなく、大事なポイントをある程度捉えられているように見えます。
さて、ここまで来た時の最後の改善点は「初めから終わりまでの流れ」の確認です。
直しはあくまで部分的に直しているだけなので、
テストを想定するならば、最後の一歩。初めから終わりの“問題の流れ”を大切にしていきたい。
テストは、大問の流れの中で、どういう所に目をつけるのかを考えていかなければならない。
つまり、本当に身についたかどうかを確かめるためには、
もう一度自分で初めから再現できるかどうかが大事になってくるわけです。
この数学の解き方の流れがつかめたら、あとはたくさんの知識・ポイントを押さえ、使っていくだけ。
(ただし、明らかに簡単な問題の直しに時間をかけてはいけません。問題の重要度に合わせて、かける時間を考えなければね。)
1か月後の(解いたことをだいたい忘れている想定の)自分が見て、すぐに納得できるノートを。
綺麗なノートは求めていません。見やすく・分かりやすいノートを。
そして、未来の自分に残るノートを作りましょう。
きっと、受験が近づくにつれて、そんなノートを作った自分に感謝することになるでしょう。
1枚目のノートから3枚目のノート。
約半年かかった。その半年を、長いと見るか短いと見るか。
私は、よく半年でこういうノートを書けるようになったと感心しています。
更に進化していける!更に実力アップしていける!
そう思わせてくれるノートは、見ていて嬉しくなってきます。