80半ばをすでに超えた両親を連れてのカルフォルニア5泊7日弾丸ツアー、出発する日までの猶予がなく、日程が迫る中での予約だったので飛行機の座席がほぼバラバラ。かろうじて父と2号は隣同士、母と私は前後、完全一人は1号。こんな事は15回以上の渡米の中で初めての事でした。

 

 荷物も、時間がないのに、自分達の持ち物に加えて、向こうにいる家族や友人へのお土産がかなりの量となり(どうしても特に伯母にはあれもこれも持って行ってあげたいとギリギリまで増えてしまいした)、大きなスーツケースが5個!空港へ宅配したものの、空港で受け取ってから航空会社のカウンターに持って行くのが一仕事でした。

 

 さらに、フライト時間がいつもより結構長かった!ウクライナとロシアの戦争で飛行ルートが今までと違うとかで以前よりも1時間以上も長いのだそうです。時差も大きいカルフォルニアへの旅は年の割に元気な両親にも大変だったようです。(乗り物酔いのひどい2号にも辛かったかも)

 そんなこんなでロサンゼルス国際空港(LAX)に到着、ロストバゲージなどの問題もなく入国手続きも税関も済ませ、無事に出迎えのSecond cousinのKyとKeに会うことができ、途中Kyの子ども達3人も合流して伯母の家へと着きました。

 

 小さかったKyの子ども達M、B、Cはすっかり大きくなり(20歳、18歳、15歳)、16歳と22歳の小僧達と仲良く話していて(小僧達がここまで英語ができるとは思っていなかったので、かなりびっくりした)、Third Generation(伯母達第1世代、私達の第2世代に次ぐ第3世代)のつながりが強くなったなぁと嬉しく思うと同時に、もはや空港へ出迎えに来てくれる事のなくなった伯母と伯父の衰えと、何かにつけ1号と2号に面倒を見てもらっている両親の「老い」を目の当たりにしてとても切なくもなり、まさにBittersweetな旅が始まったのです。

 

 

 

 

 日々の忙しさに追われて、気付けばすでに9月、前回の記事から半年近くが過ぎてしまいました。これでは月刊どころか季刊にもならない...ガーン でも、備忘録としても残したいので書こうと思います。

 

 実はこの夏休み、6年ぶりにカルフォルニアの伯母と一族に会いに行ってきました。5泊7日、今までの最短記録の旅、ずっと会いたかった家族・友人との久々の再会となりとても嬉しいのと同時に、口には出せないけれど私の両親にとっては「最後の渡米」となるまさに

”Bittersweet”な旅でした。

 

 90をすでに超えている伯母と7月に米寿を迎えた母は7人いる兄弟姉妹の中でも仲良しだったので、この数年はまるで合い言葉のように「死ぬまでにもう一度会いたいわね」と電話で話していました。母はもちろん私達も伯母の「もう一度日本に帰りたい」という希望を叶えてあげたいと常日頃思っていました。

 けれど、コロナ禍のため移動が難しくなりその間に伯父の認知症は悪化、24時間目が離せない状態となってしまいました。伯父の面倒を見てくれる人も見つからないまま時だけが過ぎ伯母の帰国の目処がたたない中、今度は母が「死ぬまでにもう一度姉ちゃんに会いたいのよ。申し訳ないけれど、連れて行ってもらえない?」と言い出しました。

 連れて行くのは構わないけれど、夏は暑くて移動も大変だから来年の春くらいか?と考えていた私に、夏も迫ったある日、小僧2号が言いました。

 

 「お母さん、一刻の猶予もないと思うよ。行くならこの夏休みだよ」

 

 そしてさらに続けました。

 

 「お母さんが一人でジジババ二人を連れて行くのは無理だと思うから、俺の部活の合宿と発表会の間に一緒に行くよ。英語はまだ満足に出来ないけれど、ジジババの相手くらいならできるから、少しはお母さんも楽だと思う。」

 

 たしかに、80も後半の二人を私一人で連れて行くのは不安がありました。二人とも年齢の割にはかなり元気でも、体力的な衰えはあるし、わがままにもなってきたし。

 小僧2号の言葉に背中を押され、いよいよ私も決心をしました。英語が満足に出来ないといっても、書かれている事はそこそこ読める2号、とても頼れる相棒です。さらに、インターンの日程を調整して1号も一緒に行ってくれる事に。私はもちろんのこと、2号は大喜び!(「ほんと?ほんとに1号くん行けるの?あ~、安心した!嬉しい!」と小躍りせんばかりの喜びよう。がんばるとは言ったものの、自分だけでは頼りにならないと不安だったようです)

 

 ジジババを上手く(爆  笑)扱えて英語もできる最強の助っ人二人、とても心強い相棒達と80代のご老体を二人連れての5泊7日弾丸ツアーを決行することになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時はすでに3月も下旬。私のブログはまるで「月刊」のようですね。書いておきたいことはあるのに、追いついていない...

 

 おかげさまで我が家の小僧2号は自分で決めた(と言っても紆余曲折ありましたが...)第一志望の公立高校(散々迷って男子校)に合格、先週、中学校の卒業式を迎えました。

 

 この卒業式が、我が家には一大イベントになってしまったのです。

 

 実は小僧2号、小学校の頃から代表としてみんなの前で発表!みたいなことが結構たくさんありました。小学校5年生の時は在校生代表の言葉(これはコロナ禍で卒業式に在校生が出ることはなくなったので幻?に終わりましたが)、6年生の卒業生代表の言葉、中学校では生徒会長として入学式やら送辞やら体育祭やらの度にみんなの前で話をしました。

 でも残念なことに、中学在籍中にこの中で親である私や夫が見られたのは体育祭だけ。見られなくて残念!と言うことの方が多かったのです。

 しかも、昨年送辞を担当したと言うことは、答辞はおそらく他の子になると思って、「せっかくの勇姿をほとんど見られなかったな~」と夫とも2号を溺愛する1号とも話していたのですが...

 3学期のある日、帰宅した2号が半ばやけ気味に報告してきました。


 「俺、答辞をやるよ!答辞の最中にみんなで歌う記念の歌の中のソロも!むかつき

 

 担任の先生には「答辞、やってくれるよね?」と言われ、音楽の先生には「ソロをやるかについて、『はい』か『イエス』で答えて下さい」と言われ、引き受けるしかなかったよ、と。

 

 「さすがに(小中両方の卒業式)フルコンボは嫌だったんだけどなぁ」と受験勉強と答辞を考えなければならなくなってぼやく2号を尻目に喜んだのは私、夫、そして1号。

 

 一張羅のスーツを着込んだ1号も一緒に受付時間の40分も前から並んで保護者席の一番前を確保、3人で動画を撮って、舞台上で堂々と答辞を読み、舞台からこちらを向いてソロパートを歌う2号の勇姿を堪能しました照れ

 

 夫の方でも、私の方でも、年の離れた末っ子で(一番年が近いのは、6歳上の1号)、小柄でやせっぽちだった2号、みためは小さくてかわいいくせに一番生意気な2号、そんな2号の立派な姿に感無量でした。

 

 後で聞いたところ、生徒会長として人前に出ることが多く、大勢の前で話すことに慣れていた2号でも、さすがに卒業生・在校生・教職員・来賓・保護者あわせて500人以上を前に「ソロで歌う」のは、気持ち悪くなるほどの緊張だったそうです笑い泣き(答辞自体は舞台の上とは言え、目の前にいるのは校長先生だけだったから、そうでもなかったらしいニヤリ

 

 でもね、2号、本当にあなたはかっこよかったよ!!ラブ

 

 自分で決めた進路とは言え、相当できる子達の中でやっていくことは決して楽ではないでしょう。でも、持ち前の「臨機応変さ」と「行動力」、そして「好奇心旺盛なところ」を活かして、がんばってね!

 

 中学卒業おめでとう、2号!

 

 

 

 

 

 

 はっと気付いたらすでに2月。それも一週間以上も経っていました。

 

 前回のブログでも書いたのですが、今年のお正月は災害もあったし(しかも今なお苦しんでいらっしゃる方がたくさん...)個人的にも実家絡み&義実家絡みのことで、およそ明るい雰囲気ではありませんでした。

 その中でも特につらかったのは夫が私が長年にわたり再三頼んで来たことを私が傷つく度(傷つけられる度)「今後しないようにする」と言いながら、またしでかした事でした。

 

 その「頼み」とは、「義実家への対応は、私の言うようにしてくれる事」。

 

 義両親はいわゆる「毒親」なので、まともな話が通じません。長男至上主義なので、次男である夫とその家族(私と小僧達)は大事にしてもらえる事もないのに、要望だけは容赦なく来ます。そして、その「攻撃」は私に来るので、せめて、その対応は私の考えるように(夫に)してもらいたいのです。

 

 ところが、夫は自分がそこ(自分の両親と関わる事)から逃れたいがために、「今後気をつける」と言いながら、毎回、本当に毎回、私の言う事を聞いてくれません。

 

 このお正月も、お正月であるが故に義母から連絡が来て、それに対応しなければならなくなったのですが、またもや夫は私の言う事を聞いてくれず、義母は私に言いがかりとも言える事を言ってきたのです。

 

 さすがの私も我慢できず、「大爆発」をしました。しかも小僧達も巻き込んで。(私と夫が小僧達の前で揉めることはほとんどありません。小僧達もそれはわかっているので、今回は結構衝撃的だったらしい)

 

 夫は今回も「俺が悪かった。反省している。今後気をつけるから」。

 

 いつもなら、これで私も我慢するのですよ。夫は義実家絡みの事以外は、本当に私の事を理解して大切にしてくれているし、私の両親の事も良くしてしてくれているから。

 でも、今回はいよいよ堪忍袋の緒が切れました。

 

 「気をつける、今後しないようにするって言いながら、25年。全く改善していないよね。反省しているって何に反省しているの?あなたの言う『反省』って何?どうしたら25年間ずっと頼んでいる事を破るわけ!?今後気をつけると言いながら全く変わらないのなら、それはただの嘘つきだよね。反省というのは、自分の何がいけなかったのか、どうしてそんな事をしてしまったのかをきちんと考えて次に活かす事だよ!!!!!」

 

 「なぜ私の言う通りにせず、勝手に対応してしまうのか」と私が尋ねる度に、「どうしてなのかわからないけれど、深く考えずやってしまった。今後気をつける。」と言い続けてきた夫は黙ってしまいました。(黙るのは卑怯だ!!!と、これも毎回私は言っています。)

 

 小僧2号に「今の家はとても居心地の良い場所ではない」とまで言われても、私は今回は一歩も引きませんでした。(小僧達もさすがに今回はいつもと違うと心配していたと後で聞かされました。でも、今回ばかりはどうにもなりませんでしたね)

 

 冷戦どころか、私が「爆発」し続ける事1週間近く。夫は「俺なりに考えてみたことを文章にしてみたから(夫は言葉を口にして説明するのがとても下手)、読んでみてくれないか」。

 

 夫のパソコン画面(夫は文章をこうやって書く)には夫なりの考えが書かれていました。

 

 

 「自分にとって両親は、この世で一番苦手な人で、できるだけ関わりたくない。だから、無意識のうちに、後先考えず(自分がそうすることで最終的に私に累が及ぶ事まで想像せず)ただただ極力接しないようにしてきてしまった。自分がそこから逃れたい、自分が嫌な思いをしたくないという『甘え』が長年に渡ってあなた(私)を苦しめてきてしまった。申し訳なかった。」

 

 

 夫が自分の両親を極限まで避けたがっているという事を私はやっと理解できましたし、後先考えずに逃れる「甘え」が結果的に私を傷つける原因になっている事をやっと夫はきちんと理解できたようです。

 

 義両親(主に義母)からされてきた事があまりにひどくて、私は今でもふとした時に「フラッシュバック」のようなものがおきます。今回も夫の「自分本位の行動」がきっかけで起きてしまったので、それを起こさないために夫が出来る事について私から説明して、そこについても夫は具体的に理解できたのではないかな?と思っています。

 

 結婚して25年(出会ってからは28年)、銀婚式を迎えてなお、ぶつかりながら互いの理解を積み上げていく...

 

 「夫婦」って、すごいものだなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに年が明けてから2週間近くも経ってしまい、新年のご挨拶はもうちょっと...と言う感じになってしまいましたが、皆様、昨年も仲良くしていただき、ありがとうございました。

 本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 まずは、年明け早々の災害に遭われ生き抜く為に奮闘されている被災者と関係者の皆様にお見舞い申し上げます。そして、お亡くなりになられた全ての方々のご冥福を心よりお祈り申し上げると同時に、ご遺族の方々へお悔やみ申し上げます。

 

 友人の一人が「今、被災していない私達に出来る事は、無意味な自粛はせず、経済を回して余裕を作る事」と言っていました。まさにその通りですよね。さらに彼女はいくつか分けて寄付をしたとか。なかなか良い考えだと感心してしまいました。

 

 寄付については色々な考えがあるかと思いますが、我が家では小僧達がそれぞれ小学生になると同時に寄付をスタート。小学校低学年は100円、中学年は200円、高学年は300円、中学3年間は500円、高校3年間は800円、それ以上は1000円と決め、そこに私と夫がいくらかを足して、みんなで寄付先を相談してクリスマス頃、寄付をします。

 贅沢はできなくても食べるもの着るもの住むところに困っていないことがどれだけ恵まれている事なのかを考えて欲しいからです。

 

 一昨年は、色々とあって年末にできずに終わってしまい、昨年も間に合わなかったので、2年分をこの機会にしようと思います。1年分を国外での紛争地域で活動している団体に、もう1年分を今回の災害で救助活動をしている団体に、「ほんの少しでもしないよりはずっと良い」、そう思って寄付をするつもりです。