時はすでに3月も下旬。私のブログはまるで「月刊」のようですね。書いておきたいことはあるのに、追いついていない...

 

 おかげさまで我が家の小僧2号は自分で決めた(と言っても紆余曲折ありましたが...)第一志望の公立高校(散々迷って男子校)に合格、先週、中学校の卒業式を迎えました。

 

 この卒業式が、我が家には一大イベントになってしまったのです。

 

 実は小僧2号、小学校の頃から代表としてみんなの前で発表!みたいなことが結構たくさんありました。小学校5年生の時は在校生代表の言葉(これはコロナ禍で卒業式に在校生が出ることはなくなったので幻?に終わりましたが)、6年生の卒業生代表の言葉、中学校では生徒会長として入学式やら送辞やら体育祭やらの度にみんなの前で話をしました。

 でも残念なことに、中学在籍中にこの中で親である私や夫が見られたのは体育祭だけ。見られなくて残念!と言うことの方が多かったのです。

 しかも、昨年送辞を担当したと言うことは、答辞はおそらく他の子になると思って、「せっかくの勇姿をほとんど見られなかったな~」と夫とも2号を溺愛する1号とも話していたのですが...

 3学期のある日、帰宅した2号が半ばやけ気味に報告してきました。


 「俺、答辞をやるよ!答辞の最中にみんなで歌う記念の歌の中のソロも!むかつき

 

 担任の先生には「答辞、やってくれるよね?」と言われ、音楽の先生には「ソロをやるかについて、『はい』か『イエス』で答えて下さい」と言われ、引き受けるしかなかったよ、と。

 

 「さすがに(小中両方の卒業式)フルコンボは嫌だったんだけどなぁ」と受験勉強と答辞を考えなければならなくなってぼやく2号を尻目に喜んだのは私、夫、そして1号。

 

 一張羅のスーツを着込んだ1号も一緒に受付時間の40分も前から並んで保護者席の一番前を確保、3人で動画を撮って、舞台上で堂々と答辞を読み、舞台からこちらを向いてソロパートを歌う2号の勇姿を堪能しました照れ

 

 夫の方でも、私の方でも、年の離れた末っ子で(一番年が近いのは、6歳上の1号)、小柄でやせっぽちだった2号、みためは小さくてかわいいくせに一番生意気な2号、そんな2号の立派な姿に感無量でした。

 

 後で聞いたところ、生徒会長として人前に出ることが多く、大勢の前で話すことに慣れていた2号でも、さすがに卒業生・在校生・教職員・来賓・保護者あわせて500人以上を前に「ソロで歌う」のは、気持ち悪くなるほどの緊張だったそうです笑い泣き(答辞自体は舞台の上とは言え、目の前にいるのは校長先生だけだったから、そうでもなかったらしいニヤリ

 

 でもね、2号、本当にあなたはかっこよかったよ!!ラブ

 

 自分で決めた進路とは言え、相当できる子達の中でやっていくことは決して楽ではないでしょう。でも、持ち前の「臨機応変さ」と「行動力」、そして「好奇心旺盛なところ」を活かして、がんばってね!

 

 中学卒業おめでとう、2号!

 

 

 

 

 

 

 はっと気付いたらすでに2月。それも一週間以上も経っていました。

 

 前回のブログでも書いたのですが、今年のお正月は災害もあったし(しかも今なお苦しんでいらっしゃる方がたくさん...)個人的にも実家絡み&義実家絡みのことで、およそ明るい雰囲気ではありませんでした。

 その中でも特につらかったのは夫が私が長年にわたり再三頼んで来たことを私が傷つく度(傷つけられる度)「今後しないようにする」と言いながら、またしでかした事でした。

 

 その「頼み」とは、「義実家への対応は、私の言うようにしてくれる事」。

 

 義両親はいわゆる「毒親」なので、まともな話が通じません。長男至上主義なので、次男である夫とその家族(私と小僧達)は大事にしてもらえる事もないのに、要望だけは容赦なく来ます。そして、その「攻撃」は私に来るので、せめて、その対応は私の考えるように(夫に)してもらいたいのです。

 

 ところが、夫は自分がそこ(自分の両親と関わる事)から逃れたいがために、「今後気をつける」と言いながら、毎回、本当に毎回、私の言う事を聞いてくれません。

 

 このお正月も、お正月であるが故に義母から連絡が来て、それに対応しなければならなくなったのですが、またもや夫は私の言う事を聞いてくれず、義母は私に言いがかりとも言える事を言ってきたのです。

 

 さすがの私も我慢できず、「大爆発」をしました。しかも小僧達も巻き込んで。(私と夫が小僧達の前で揉めることはほとんどありません。小僧達もそれはわかっているので、今回は結構衝撃的だったらしい)

 

 夫は今回も「俺が悪かった。反省している。今後気をつけるから」。

 

 いつもなら、これで私も我慢するのですよ。夫は義実家絡みの事以外は、本当に私の事を理解して大切にしてくれているし、私の両親の事も良くしてしてくれているから。

 でも、今回はいよいよ堪忍袋の緒が切れました。

 

 「気をつける、今後しないようにするって言いながら、25年。全く改善していないよね。反省しているって何に反省しているの?あなたの言う『反省』って何?どうしたら25年間ずっと頼んでいる事を破るわけ!?今後気をつけると言いながら全く変わらないのなら、それはただの嘘つきだよね。反省というのは、自分の何がいけなかったのか、どうしてそんな事をしてしまったのかをきちんと考えて次に活かす事だよ!!!!!」

 

 「なぜ私の言う通りにせず、勝手に対応してしまうのか」と私が尋ねる度に、「どうしてなのかわからないけれど、深く考えずやってしまった。今後気をつける。」と言い続けてきた夫は黙ってしまいました。(黙るのは卑怯だ!!!と、これも毎回私は言っています。)

 

 小僧2号に「今の家はとても居心地の良い場所ではない」とまで言われても、私は今回は一歩も引きませんでした。(小僧達もさすがに今回はいつもと違うと心配していたと後で聞かされました。でも、今回ばかりはどうにもなりませんでしたね)

 

 冷戦どころか、私が「爆発」し続ける事1週間近く。夫は「俺なりに考えてみたことを文章にしてみたから(夫は言葉を口にして説明するのがとても下手)、読んでみてくれないか」。

 

 夫のパソコン画面(夫は文章をこうやって書く)には夫なりの考えが書かれていました。

 

 

 「自分にとって両親は、この世で一番苦手な人で、できるだけ関わりたくない。だから、無意識のうちに、後先考えず(自分がそうすることで最終的に私に累が及ぶ事まで想像せず)ただただ極力接しないようにしてきてしまった。自分がそこから逃れたい、自分が嫌な思いをしたくないという『甘え』が長年に渡ってあなた(私)を苦しめてきてしまった。申し訳なかった。」

 

 

 夫が自分の両親を極限まで避けたがっているという事を私はやっと理解できましたし、後先考えずに逃れる「甘え」が結果的に私を傷つける原因になっている事をやっと夫はきちんと理解できたようです。

 

 義両親(主に義母)からされてきた事があまりにひどくて、私は今でもふとした時に「フラッシュバック」のようなものがおきます。今回も夫の「自分本位の行動」がきっかけで起きてしまったので、それを起こさないために夫が出来る事について私から説明して、そこについても夫は具体的に理解できたのではないかな?と思っています。

 

 結婚して25年(出会ってからは28年)、銀婚式を迎えてなお、ぶつかりながら互いの理解を積み上げていく...

 

 「夫婦」って、すごいものだなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに年が明けてから2週間近くも経ってしまい、新年のご挨拶はもうちょっと...と言う感じになってしまいましたが、皆様、昨年も仲良くしていただき、ありがとうございました。

 本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 まずは、年明け早々の災害に遭われ生き抜く為に奮闘されている被災者と関係者の皆様にお見舞い申し上げます。そして、お亡くなりになられた全ての方々のご冥福を心よりお祈り申し上げると同時に、ご遺族の方々へお悔やみ申し上げます。

 

 友人の一人が「今、被災していない私達に出来る事は、無意味な自粛はせず、経済を回して余裕を作る事」と言っていました。まさにその通りですよね。さらに彼女はいくつか分けて寄付をしたとか。なかなか良い考えだと感心してしまいました。

 

 寄付については色々な考えがあるかと思いますが、我が家では小僧達がそれぞれ小学生になると同時に寄付をスタート。小学校低学年は100円、中学年は200円、高学年は300円、中学3年間は500円、高校3年間は800円、それ以上は1000円と決め、そこに私と夫がいくらかを足して、みんなで寄付先を相談してクリスマス頃、寄付をします。

 贅沢はできなくても食べるもの着るもの住むところに困っていないことがどれだけ恵まれている事なのかを考えて欲しいからです。

 

 一昨年は、色々とあって年末にできずに終わってしまい、昨年も間に合わなかったので、2年分をこの機会にしようと思います。1年分を国外での紛争地域で活動している団体に、もう1年分を今回の災害で救助活動をしている団体に、「ほんの少しでもしないよりはずっと良い」、そう思って寄付をするつもりです。

 

 

 

 

 

 

 半ば「意地」で書いています。書く事で来年への弾みにしたいので(笑)

 

 私、本当に小さい頃から、手芸(ハンドメイド)が好きです。

 

 初めて裁縫をしたのは、幼稚園の頃。母の針箱から勝手に針と糸を借りて、小さな袋を縫ったのを覚えています。

 

 それから、ずっと、手芸、特にパッチワークキルトなどの「布」を使ったハンドメイドを続けています。

 

 パッチワークキルトは結婚後すぐから10年以上、カルチャーセンターの教室に通っていましたが、それまでの先生が病気で替わられた事で教室をやめ、そこからは一人でちまちまと続けていたのですが...6年前、足の骨折で2度の入院と2度の手術、それに続く更年期で、すっかりやる気をなくしてしまい、必要に迫られた時だけ(取れてしまったボタンをつけるとか、子ども達に必要な袋物を作るとか)しか針を持たなくなりました。

 年に一度の東京ドームでのキルトフェスティバルもかかさず行って、その時だけ創作意欲を刺激されて布や道具を買い込んで、結局使わないまま。そのままコロナ禍に突入、ますますハンドメイドから離れてしまっていました。

 

 そんな中、縁あって仲良くなった友人もハンドメイドをする人だとわかって、事態は一変。一緒に話したり、手芸店に行ったりする人ができたことで、再びやる気が出てきたのです。

 そこへ、来月いっぱいでなくなってしまう英会話教室の仲間にクリスマスプレゼントをする!という目標ができ、本当に久しぶりにパッチワークキルトをすることにしました。

 

 2ヶ月あまりで6人分のミニチュアキルトを作る...すっかり腕の鈍った私には、かなり大変ではありましたが、なんとか、仕上げることが出来ました。

 



 (6人それぞれのバースデーキルトパターンで作ったミニチュアキルト。端の処理も含めて全て手縫いです)

 

 久々に縫ってみて、「やっぱり、好きだな~」と実感。もう一度、がんばるぞ~!という気持ちになりました。

 

 結構な間離れていたハンドメイド、やっと「復活だ!」と思えるようになりました。

 

 夫の目には「一生の間に使い切れるの?」と写っている大量の材料(布地)も、気に入って買ったものなのできちんと「形」にしたいし(在庫処理とも言う 笑)、最近人気のミシンキルトにも挑戦してみたいし、パッチワークキルトだけでなく、洋服や身の回りのものも自分の好きな布で作りたい気持ちもあるし。

 

 来年は、語学の勉強だけでなく、ハンドメイドもがんばりたいと思います照れ

 

 

 

 なんだか毎回同じ事を言っている気がしますが、本当に時が経つのが速過ぎます...

 

 今年もあと10日を切りましたが、私達の銀婚式の事と、やっとハンドメイドに復活した事だけは記録として年内に書いておきたいと思っています。(できるのかしら...)

 

 先月の8日は、私達の25回目の結婚記念日<銀婚式>でした。

 「銀婚式」って結構な年数の結婚記念日なので、結婚した当初は、「銀婚式には記念の旅行をしようね」なんて話していたのですが、いざそうなってみると、なんだかあまり「どってことない」感じが...特に今は受験生もいるし、夫の仕事も「ブラック」だし。しかもその日に私はお気に入りのバンドのライブが当たっていたという始末てへぺろ

 

 結果、その日はその朝に「今までありがとう。これからもよろしくね」とお互い挨拶して終わったのでした。

 

 ただ、さすがにこれだけでは寂しいので、月末(夫の仕事に余裕があるから)に二人でお祝いのランチに行ってきました。(余談ですが、このランチ、私が義兄嫁の還暦祝いのお返しにもらったものでした。今回はどこまでも”ついで”ですね 笑い泣き


(お料理はうまく撮れなかったので、お茶だけですあせる

 お料理も美味しかったのですが、何より興味深かったのが、このお茶。味もその効能も「へぇ~!」となったのですが、その入れ方も、これまた独特でした。(見とれていて写真を撮るのを忘れた笑い泣き

 

 四川料理のお店だったのですが、付き合い始めた頃、全く辛いものを食べられなかった夫がこんなに辛い料理を食べられるようになるなんて...やっぱり25年ってそれなりの長さなのかもしれませんね。

 

 次の節目は結婚30年記念でしょうか。その時は小僧2号も成人しているので、心置きなく海外旅行に行けるかな?

 5年後、「二人でヨーロッパのクリスマスマーケットを巡る」旅に行くのを目標に、健康に気をつけて、「先立つもの」を貯めるべく、節約に励もうと思いますニコニコ