課題 | もるちゃんのブログ

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主婦でおかんでドライバー。三役にプラス女房…比率がやや片寄るのはご愛嬌で。
釣りが好き、旅行が好き、読書も好き…だからジャンルは絞れない。
業者コメがウザいのでコメント欄はあけてません。
まぁ…メモがわりの日記みたいなもんです。

人が
ヒトを裁く

結果

なんらかの懲罰かつき
いまだ賛否両論の死刑判決がおりる場合もある。


民主国家なので
加害者にも弁護士がつき
裁判を受ける権利がある

その采配は
これも賛否両論だけれども
一方的な判決には至らないような仕組みにはなっている…と信じたいが。



日本だけでなく
世界にも衝撃を与えた宗教団体による、テロ行為の首謀者とされた人間が
死刑判決のち、長い時間を経て執行されたニュースは
速報、という形で一般市民のアタシたちの耳にも入ってきたのだけれど。


死刑判決が出ていても
それは果たして正しい審議の結果なのか?
かつての日本においては
いまだに長引く【冤罪】というものも存在し、罪を犯していないと長きに渡り主張し続け、苦しむ人間がいることも事実だから
死刑判決を執行することは、死刑囚とされた人間が死刑に値するのかどうか?ということもついて回る…人がヒトを裁くことの永遠の課題でもあるんじゃないか?とアタシは思っている。

独裁国家であれば
形ばかりの裁判…結果的に死刑が決まってるような流れにしかならない国もいまだにあるわけで



死刑判決、執行が果たして正しいのか?
という議論もさながら

死刑囚とされた人間からしか←つまり加害者からしか聞けないような、事件の《真実》はすべて解明され、被害者救済は足りているのか?という、そもそもそこが大事なんだよ!って部分はクリアされたのか?が懸念されるけれども


日本でかつてないほどのテロ行為を実行した、宗教団体の代表者は
長い長い裁判の中でも、結局ほとんど自らの口で事実を語ることもなく
長い長い時間を過ごし、死刑執行。

知りたいことは、被害者たちは聞けたのか?
なぜ自分が、自分の家族が、自分の大切な人が、ある日突然巻き込まれ
平凡でも平穏な日々から遠ざかる被害者にならなければならなかったのか?を
一番知りたいと思うんですよ。


アタシは気づかなかったけども
同僚に
地下鉄サリン事件の時に
同じ電車で
別の車両だっただけの人がいるんですよ。
原付で通勤しているその人が
『歩いて帰るから』
言うのを不思議に思って

なぜなら
車庫の真ん前には
バス停があって
自宅最寄り駅までいく路線にも
繋がる路線バスなのに
なぜ乗らないのか?がわからなくて

もう15年以上の付き合いなのに
初めて聞いたんですよ…事件当日、あの電車の、別の車両に乗っていたことを。

パニック状態になった現場で
自分もパニックになって
どうやって帰宅したかすら覚えていない
病院で検査などしたかもしれないが
記憶がないって。
直接な被害者ではなかっただけで
後遺症があって

他人が運転する乗り物には
怖くて乗れなくなって
他人と乗り合わせる乗り物には
怖くて乗れなくなった。

だから毎年恒例の
会社の新年総会←泊りがけにも
一度も参加していない。
参加できない理由を何回も聞かれているけど←会社の行事だから参加しろ、と言われる。

仕事したほうがいいから

としか言わず
まぁ、確かに担当するスーパーの配達には休みがないからってのもあるから


明るくて
アホっぽくて
話すと面白くて楽しいのに
ずっとそんなトラウマ抱えてたなんて
気づきもしなかった。

最近になってようやく
奥さんの運転なら乗れるようになって←一番上の子は成人しているから、いかに長く苦しんできたかがわかる。

会社の人同士だから
全く知らない仲じゃないじゃん?

言ったけど。

アタシがウチまで送るよ、それも厳しい?

言ったけど。


笑って
『歩いて帰るから大丈夫』


膝に仕事による爆弾抱えてて
通院しながら仕事してるの知ってるから
ムリさせたくなくて声かけてみたけど

『大丈夫だからね』

後ろ姿見送るしかなかった。




サリン事件で亡くなられた方
いまだ治療が必要で苦しむ方や
介護や補助をしている家族の方。
PTSDに苦しむ方…



宗教団体の代表者の
家族でさえも苦しみの中で生きている、と報道されているが


たとえ死刑判決が出て
死刑が執行され
憎むべき対象者がこの世から消えても
被害者が心から救済されることはなく

それはサリン事件だけには限らないけども

時が癒す、ということからは
遠いような…気がする。



人がヒトを裁くことの
なにが一体正解なのか


憎むべき相手が一生かけて償いの日々を過ごすことが本望なのか
それとも
自分が失ったものの代償として、相手の命をもって償うことが本望なのか

憎むべき相手が生き長らえること自体が許せないと思うこともあるし


救済対象には入っていない人がいて
同じように苦しむ日々もあって

それも知って欲しい事実。


懸念される、代表者が死ぬことによる神格化。
該当団体は否定しているかもしれないが
公安当局には十分な警戒で臨んで欲しい。