様々な問題でごった返す教育現場。


教員志望者が減り(人口減でまだまだ減ります)、教育現場は慢性的な人不足に苦しみ、そのことが現職をさらに苦しめ、問題解決の秘策は存在しない。


教育現場はブラック企業の一面が大きく報じられ、さらに若い力が遠のいていく。休日126日、残業も少なく、給料だって申し分ないホワイト企業は十分あります。だって、そんな会社だって人は欲しいのだから、労務改善をしていきます。そうなってくるとますます学校は民間に競争で破れます。


学校は聖域だという考え方がありますか?バカな考えは捨てないといけません。若者やその家族にとって、心を病んで休職する者や若年退職者が溢れている学校という地獄に行こうとか、子どもを送り込もうと思う家族はいません。学校は民間企業と同じような選択肢の一つに過ぎません。そして惨敗を繰り返しています。


文科省も教育委員会も打つ手がないのです。自分が担当している間だけは公教育を崩壊させまいとカンフルにもならない悪手を打って、それを成果のように触れ回りながら、本質的な議論を避け、大鉈を振るうことをしないのです。


学校で勤務している時に、保護者の質が変わったと気づきました。話ができない保護者、子どもの教育を一切しない保護者、本当に自分の子どもにとって必要なことは何かを考える力のない保護者。教頭としてクレーム処理や退学処分の申し渡しに立ち会いながら「早くこの親から離さないと…」と思ったことも少なくありません。


でも、生徒も同じです。本を読まない。人の気持ちに共感する力が低下しています。モラルも低下し、平気で人をいじめ(犯罪レベルまでやり抜く奴らもいます)心が痛まない連中。傷ついている人を見て笑っている連中。被害者意識は強いから、教育委員会やマスコミに訴える!というテンプレは頭にある。昔は胸ぐらを掴んで涙を流して歯止めをかけようとし、保護者との信頼関係で同じ方向を向いて立ち直らせたりしていましたが(もうお分かりのように)そんなことしたら、パワハラ、体罰で訴えられ完全に敗訴します。


教員は、自分の生活を破壊してまで生徒や保護者とぶつからねばならないのでしょうか?それは世間やマスコミとやらに支持されますか?僕は体罰を擁護していません。しかしその一方的な論調は、それ以外の方法を真剣に考えて生徒とぶつかろうと足掻く教員と何もしたくない、出来ない教員の差を無くしてしまいました。


そんな状況で生徒、保護者のマジョリティに支持される教員はスーパーマンですが、それほどの数はいません。


僕の知っているスーパーマンは「疲れたよ。まったくやってられない。もう何もしないことにした。クラス担任もしないと宣言した。定年しても再任用に手はあげない」と肩を落としています。


いったい何が学校をここまでダメにしてしまったのでしょうか?言い過ぎですね。若者が目を輝かせて「先生になりたい!!」と言えなくさせた張本人は誰なのでしょうか?


大鉈を振るうしかない状況です。


文科省には東大出身の賢い官僚がいるのでしょう。専門家で構成された諮問機関だってあるのでしょう。教職員の質の向上のために無意味な研修を繰り返してきた教育委員会の方々、退職校長をカウンセラーと称して学校や教育センターに送り込むのは有効な手段ですか?有能な校長は一握りですよ。彼らは別な場所に天下っていますよね。


学校改革、教育改革のために、真剣に働かせてください。自分が校長の時にそれをやり遂げた人は少ないでしょう。彼らが背負うべき十字架があるはずです。


◯学校は自学のための機会を与える場とする。

◯家庭教育の領域を明確にし、教員は関わらない。

◯授業はスーパー教師によるオンライン形式。  ◯テストは廃止する。(作成も採点もしない)

◯生徒が課題研究を含めた科目の学習成果をポートフォリオにして小→中→髙→大学や専門学校と引き継いでいく。

◯学校は開放して、自習の場を提供し、質問対応のために教師を常駐させる。

◯経済格差はあって当たり前。それを跳ね返したければ勉強すれば良い。

◯納得のいかない生徒、保護者は放置して良い。選択の問題。もう義務教育という概念は捨てる。

◯支援学校は残し、受け入れの範囲を広げてはどうかと思う。就労支援、企業でのトレーニングなど行政がもっと深く関わりながら、充実させていく必要がある。グループホームなども行政が民間とタイアップして支援していく。圧倒的に数が足りない。親亡き後の問題を地域中心で解消できないか?


書きながら悲しくなってくる。


戦後の混乱や貧困の中でも、日本人が一定以上のモラルとリテラシーとインテリジェンスを維持できてきたのは公教育の成果だし、そこで育った保護者自身の水準の高さこそが、家庭教育の高い水準を担保し、良識とモラルを持った子どもという宝を世に送り出してくれた。そして、地域社会という日本特有の教育の場が、貧しさの中で「地域で子育てをする」という奇跡を成立させた。僕は胸を張って言いたい。そんな奇跡を実感してきた世代の1人として日本の教育を誇りに思っている。


北欧の教育の素晴らしさをレポートしてくれた生徒がいたが、その水準の高さといったら!僕は誇りに思っている。まさに出藍の誉とはこのことだ。


僕は右寄りでも左寄りでもない。そんな議論そのものが不毛だ。


今私たちを捉えているのは、この国の未来とそれを支える若者や子どもたちのことだ。それに優先させるものなど存在するのか?


くだらない政争をしている彼らは、本当にこの国の未来を考えているのか?国民から金を搾り取ることしか考えていないのではないのか?他国でも、特定の宗教団体でも、権力の保持でも、ましてや金なんかではない。この国の未来は、子ども達と若者たちにかかっている。


どこかの県の元知事の答弁を聴いて唖然とする。人の命を奪ってまで貫きたいエゴとは何か?あんな答弁を垂れ流す厚顔無恥を許す国なのか?


老害ここに極まれり哉。


今こそ変化の時。間違っていてもいい。様々な角度から議論を興して行きましょう!