森の仕事をしていますとお伝えすると「木こり?」という言葉が返ってくることがあります。今、子どもたちに「木こり」という仕事の話をしたら、わからないという子もいるのではないでしょうか?「木こりというのはね…」
違う違う。話が逸れている。
木こりの説明をしちまったら、僕が木こりじゃないというお話をすることを忘れて、子どもたちは家に帰って屈託のない笑顔でこう言うだろう。
「今日ね、学校に木こりが来たんだ」
台所でシチューの材料を切っていたお母さんは、ブロッコリと包丁を握りしめて子どもを抱きしめ、きっとこう言う。
「無事でよかったぁ!」
そして、子どもから木こりの報告を聞いた母親の中には学校に電話してこう言う人もいるんだな、これが。
「なんのつもりですか?ええっ!斧を持った乱暴なお爺さんの侵入を許すなんて!!」
木こり=斧を持った屈強な年配の方
イメージです。イメージ。
でも実際はいろんな人がいるし、彼らは木こりという名前で自分を認識していない。林業従事者、そんなところだ。
それにこの仕事に就いてから、実際に斧を使っている人を見たことがない。チェーンソーだ。ウィーンて唸りをあげて回転している刃先が瑞々しい木に食い込んでいく様は圧巻だ…すびばそん、実際に木が切り倒されている現場に立ち会ったこともない。だって、事務補助とかですもん。しかも、第一次産業の中でも労災の多い(亡くなる方も多い)林業の現場で、僕みたいな事務屋のペーペーが、樹齢30年〜40年の想いが詰まった杉や桧が切り倒される現場に巡り合うことは滅多にない。
せいぜい十分に乾いた切り株に腰を下ろしたり、切り株の上に立って下の方で遊ぶ猿の群れを眺めたりできるくらいだ。野生の猿なんて、山の中でお目にかかることはなかった。信じられない景色が目の前に広がり、この上なく癒される。
批判覚悟で甘いことを言う。山は素敵なところだ。そこは死と隣り合わせの場所でもあり、生命が際立つ場所でもある。
林業従事者の皆さんにとっては、毎日来ては仕事をして帰ってゆく職場、生活を成り立たせてくれている処なのだ。
山の尾根に立つと、つい「ヤッホー」と叫びたくなる。恐ろしい刷り込みだ。
山の神に敬意と畏怖の念を抱くんだ。神様に木と一緒に数えられたら、大変なことになる。
木こり…とても素敵な響きだ。昔話か童話にしか登場しない職業。
「みゆきの彼氏って、何の仕事だったっけ。」
「木こりだけど…」
「木こりかぁ…イメージ湧かないね」
「だろうね。正直、私も」
「鹿とか熊とか銃で撃って食べさせてくれるの?」
「そんなことしないよ」
「するでしょ」
「なんで?」
「だって木こりでしょ」
「…」