この2人のシンガーソングライターをご存じだろうか?


先日、たまたまある記事で森田童子さんが6年前に亡くなったことを知った。1993年だったかに一世を風靡した問題作「高校教師」というテレビドラマの主題歌「僕たちの失敗」を歌ったのが森田童子さんだった。


ドラマそのものはまったく見ていなかったのだが、テレビの予告か何かで流れてきたこの曲、というか森田童子さんのあの独特な高音が聞こえてきた時に全身に電流が流れた。


彼女の声は、ハイトーンでありながらしっかりと芯があり、油断すると心の中に入り込んでくる怖さを湛えていた。永遠の未成熟がその歌唱の軸になっていて、僕は「この上なく恐ろしい純粋さ」だと思っていた。


友人から教えてもらっていくつかの曲を聞いたが、僕は受けつけなかった。中毒性があるのはわかっていた。それだけになおさら遠ざけておきたかった。


もはや世界の名優の仲間入りをした「真田広之」さん。そして、あの役にはこの人しかいないと思える「桜井幸子」さんがドラマを禁じられた純愛へと昇華させたのだろう。(観てないのに、推測でこんなこと言っていいんかい!?)


桜井幸子さんは年齢不詳な透明感があったし、真田広之さんには、清潔感と自分の意志を貫く頑固さみたいなものを持ったイメージがある。キャスティングした方は、ドラマの成立(アイドルをゴリ押しされて使うとかじゃなく)にプライオリティを置いたのだろうなと想像できる。


山崎ハコさんは、大分県日田市で生まれていたことを初めて知った。森田童子さん→山崎ハコさん、と連想した理由は、当時、中島みゆきさんを含めて「暗い」とレッテルを貼られていたからだろう。実際にはそんな括り方にまったく意味はない。まったく違う音楽性と詩情を持ったアーティストなのだが。


山崎ハコさんの声はやや低めで、胸のどこかをグッと掴まれる力があった。誤解を恐れずに言うと、それは土着のパワーみたいなもので、方言を歌詞に取り入れるなどしながら、その土地の人に特有の物語を伝える語り部のような佇まいを感じさせた。


森田童子さんは都会型で、山崎ハコさんは地方型だと差別化するのは少々乱暴だろうか?


五木寛之さんの歴史的な名著である「青春の門」が映像化された時に、その主題歌「織江の歌」を担当したのが山崎ハコさんだった。


僕は、山崎ハコさんの歌う歌に滲む情念に魅力を感じていたが、どこかで聴くのが苦しくなった。彼女の歌は「怨歌(えんか)」だった。


2人のまったく異なる歌手としての資質と歌詞が描く世界(森田さんは水彩画、山崎さんは油絵)をぜひ味わってもらいたい。そう思う。


昭和の歌謡曲やシティポップが若者たちや海外の方々に「ウケている」と聞く。聞き直してみると日本の流行歌はレベルが高く、再評価され耳にする機会が増えていることはこの上ない喜びである。一過性の流行りでないことを願うばかりだ。