僕は、中学3年生から高校3年間の約4年間、1学年年上の先輩に片思いをしていました。
中学時代と高校時代、僕は吹奏楽部に所属していました。田舎の学校で部員も少なく、コンクールに出るほどでもなかったのですが、生徒中心に充実した部活動でした。
僕はトランペット、彼女はクラリネットとサキソフォンを担当していました。演奏の時は、金管楽器は1番後ろだったので、楽譜の次に木管楽器の彼女の後頭部を見ていました。
ビビリの僕は、なかなか先輩に自分から声をかけられず、悶々としていました。僕と一緒にトランペットを担当している祟目くんは、自信家でイケメン。同じ部活の先輩(君枝さん)に何の躊躇いもなく話しかけて笑ったりしていて、傍にいながら羨ましく思うと同時に、自分が情けなくも思っていました。
学年が違うので、君枝先輩を見かける可能性が1番高いのは、昼休みの後の掃除時間のゴミ捨ての時でした。当時は焼却炉までゴミを運んでいたので、彼女がゴミ捨てに来る時とタイミングが合えば、すれ違うことができる、その微かな偶然を待つほかなかったのです。
彼女の卒業式前日。
放課後、僕は彼女の教室まで行き、彼女を呼び出してこう言いました。
「明日卒業式の後、少し時間をもらえませんか?」
君枝さんは東京の美大で絵を勉強するのだと聞いて、もう会えなくなるという恐怖心に突き動かされたのだと思います。
彼女はいつもの笑顔で「いいよ」と言ってくれました。僕は家に帰ってから、新聞配達のバイトで貯めたお金でクレヨン、絵の具、絵筆を買って、袋に入れてもらいました。
文具屋のおばちゃんから「プレゼント?」と訊かれなかったため、その贈り物は茶色い紙袋に入れられた不細工なものになりました。
卒業式当日。
君枝先輩が友人たちと別れを惜しんで、色紙やアルバムにメッセージを書き終えたタイミングを「張り込みの刑事」のように待ち構えて、廊下に出てきてもらって、ぐしゃぐしゃになった紙袋を渡して、モジモジしながら精一杯の気持ちを伝えました。
「ずっと好きでした」
彼女はおそらくは勘づいていたのだと思います。眩しい笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。
僕は卑怯でした。自分を守るために「過去形」にして伝えたのです。
「好きです」
「ごめんね、私好きな人がいる」
実際にはこれが正しい会話だったのだと思います。でも僕はそんな現実を恐れたのです。
「好きです」には、なんらかの答えが必要ですが、「好きでした」は事実の報告に過ぎない。「ありがとう」は先輩の最大の配慮だったと思います。
僕は彼女に2つのお願いをしました。写真が欲しいということと、手紙を書きたいので東京の住所を教えて欲しいと言うこと。厚かましい申し出に、彼女はいつもの笑顔で「いいよ」と言ってくれました。
数日後、彼女から手紙が届きました。その中には、僕からのプレゼントへの感謝や進路を決める時に苦しんだこと、東京で一人暮らしをすることへの不安などが綴られていました。
そして最後にこんな言葉が添えられていました。
「私もフラれたみたいです。でも元気ですので。」
「も」…この助詞はもう1人フラれた人間がいることを示しています。もちろんそれは「僕」です。でも僕はほとんどショックを受けませんでした。それどころかこんなことを考えていました。
「彼女は失恋したんだ。でも気丈に振る舞おうとしている。大丈夫なんだろうか?」
僕が彼女にフラれたことなんか大したことではないんだ。1人で東京に旅立つ不安を抱えながら、自分の心の傷を自分で癒そうとしている。
僕は最高の失恋をしたのだと思います。たった一文字の助詞「も」のもたらした奇跡。彼女は僕が迷って逃げた「好きです」という言葉に返事をくれたのです。
失恋という悲劇を最高の思い出にしてくれた彼女に感謝の想いしかありません。「も」がもたらした奇跡。きっとこの先も忘れることはないでしょう。