学校と民間企業での仕事の経験を踏まえて、学校というシステムの特徴を「内側からの視点」で整理してみたい。


公立高校での20年の経験を振り返ってみて、気がついたことがある。それは硬直したシステムである。学校という組織体をすべてわかっているわけではないので、あくまで私見ではあるが、矛盾しているようだけれども、そんなに的外れではないのではないかと思う。


象徴的なことを例に挙げようと思う。


公立高校での行事の会議は、基本的に「前年度の資料」を一太郎かワードで呼び出して、年月日の書き換えや人員の名前を上書きする。(役所関係は一太郎が多い印象!!ビックリ)


このことが表しているのは、内容を含めて、「例年通り」「慣例通り」に安心する層が一定以上いるという事実を表している。


すべての学校、すべての教職員がそうだとは言わないが、多数決をとった時に「慣行」が勝ってしまう確率は高い。


本来はクリエイティブな人たちかもしれないが、そうした傾向に慣れると楽な方に流れるのが人間であり、集団のあり様なのだろうと思う。


僕は教育学部出身ではないし、上昇志向のない野生児だったので、「本当にそれが有効か?」とか「面白いか、つまらないか?」「こうなったらどう対処するか?」とツッコんでしまうので、嫌われていたし「早く帰りたいのに、またかき混ぜる」と思われていた。


民間企業に転職して、一番評価されないのが「例年通り」だということを知った。塾で働き始めた時に僕は公教育の「従来通り」という硬直したやり方を主張して、完膚なきまでに叩きのめされた。上司にではなく、結果にである。


毎年、毎回、新しい提案をして、結果を評価し、それが思わしくなければ、変更を加えるかドラスティックに変えていくか。


少子化という大きな波をもろに被る受験業界で生き残るためには「選んでもらう戦術」が必要だし、他との差別化は必須である。


「とことん面倒をみます!!」という熱い宣伝文句は、「学校は一人一人に手をかけられませんよ」という脅し文句と表裏一体だった。


しかし、工藤勇一校長(麹町中学校、横浜創英中学校・高等学校で改革を推進した)は、「教育の目的は生徒に当事者意識を持たせること」だと定義している。


「自ら動機づけをして勝手に学ぶ生徒を育てる」ことこそ重要だと思う。学校という短い学習経験(12年)の後にこそ、本物の力を試される「研究と社会貢献」がやってくる。


「元気に挨拶ができる生徒を育てる」ことを教育目標にするなんてあり得ないし、「主体的に行動できる生徒を育てる」というなら、その方法を突き詰めているか、教育活動のどこにそれが盛り込まれているか確認して欲しい。そして、PDCAサイクルで検証しているかどうか尋ねてみるのもいい。


このままでは、教員になる人は激減する。教員の質を担保するためには、5倍程度の競争率が必要だそうだが、小学校は1倍〜3倍程度まで低下している。


学校はイジメを隠し、責任逃れをして、被害者を痛めつける。管理職が一番大切にしているのは生徒かどうか、教育目標に合致した判断を下しているのか突き詰めたほうないい。


生徒を取り巻く時代は劇的に変化している。教育のどの部分を維持し、どの部分を変えるべきか?真剣に議論できているのか。そんな時間もないほど多忙なのか?であれば、合理化は必要だろう。