先日、退職して非常勤で国語を教えている先輩と食事に行きました。彼の勤務校は、県下でもトップの公立進学校で、彼はそこで東大、京大の現代文・古文・小論文を担当しています。
国語力は元来持っている能力に拠るところが大きいと感じていましたから、子どもさんが幼い頃から英語の塾を探して電話をしてくる教え子たちには、まず国語をしっかり勉強させたほうがいい、と余計なことを言っていました。
コミュニケーション能力にしろ文章力にしろ、一生を通じて必要な力だと感じていたからです。
先ほどの先輩は、カレーライスを食べながら嘆いていました。
「生徒が入学してから受験するまでに、どんな教材を使って何の力をつけさせるのかをしっかりシステム化して、国語科の教員に、国公立難関大学の個別学力試験、特に東大・京大の指導までできるように育成してきたんだけど、人事異動でそんな戦力が転勤させられるんだよ。育った教員が次の世代を鍛えてくれることで、国語科全体の指導力が安定するのに、育ったかと思えば連れて行かれるんでたまらないよ。」
校長は、その職に就いてから、4年〜5年で退職します。1校か2校で校長をしますので、1校あたり2年〜3年しかいないことになります。改革を志す校長でも2年で学校を変えるのは至難の業です。校内事情を知るために、色んな教員と面談をしたり、授業を見て回ったりしないと、実情はわかりません。
教頭や副校長に一任する校長もいます。そんな校長を「やりやすい幹部」だと評価する人もいますが、それは双方が楽をしたいだけの話です。
話を元に戻すと、先輩の勤務する学校は、難関大学を志望する生徒を合格させることが期待される学校です。部活動も盛んで、運動部だけでなく文化部も成果を挙げています。
教科指導力が大いに問われます。英語だと京都大学の入試問題を解説して「面白い!!」と生徒たちを感動させるくらいの力が必要です。もちろんそれは動機づけであり、自走できる学力の育み方を発見させる必要があります。
現代文は、東大より京大の方が難解らしく、かなりきちんとした解説ができないと授業にならないし、添削も成立しません。教員の能力も問われますが、指導法も重要です。
教員は免許を持っているから教員になれるわけではありません。生徒から「あの先生の授業が信用できる」「あの先生の授業を受けたい」と思ってもらわなければなりません。ベテランの教員は、生徒に指導する若い教員や指導経験の少ない教員を育成する必要があります。その学校の特性にあった指導ができるように育てなければならないのです。
私学なら、育成した教員がそのまま残ってくれることは可能です。何十年と貢献してくれる安定的な戦力になってくれます。
しかし、公立では県のルールで◯年で異動だと決められていて、若干の例外はあっても、育成した教員がいなくなってしまうことがあり得るのです。
学校の改革を進めたい校長でも成果をみることなく異動もしくは退職をする。育成した戦力は数年で異動する。
もちろん、異動がないということはあり得ません。それは教員にとって、勤務地や勤務校の平等性の担保のためでもあります。生徒指導が大変な学校もあります。進学指導が大変な学校もあります。普通科もあれば実業系もあります。都市部もあればのどかな田舎もあります。でも希望だけで異動させていたら、人員の配置は成立しません。
生徒のため、教員のため、地域のためにも、異動というシステムは維持せねばならないと思います。
では、僕の先輩は何を嘆いていたのか?
各学校の特性を生かした学校運営をするためには、こういう人財を残したいとか、こういう人財が欲しいと教育委員会に伝えるのは、校長の仕事です。それを把握するためにも、校長は学校の内部を深く知り、スタッフワークを安定させる必要があるし、それができるのは校長だけなのです。
この先輩の嘆きは、彼一人のものではなく、公教育というシステムの抱える問題でもあります。生徒のために資する人財の育成や掘り起こし、若い力の獲得と定年年齢と待遇の見直しを真剣に検討することが急務だと考えます。