NHKに受信料を払っている。受信料の取り立てに腹が立つこともあった。傲慢な営業に「ありえない」と感じた。しかし時々良質なドラマや特集を観て唸らされると「民放にはできない企画」だと認識しNHKの矜持に正直震えた。
2022年12月「松本清張と『小説 帝銀事件』」が放送された。
事件の概要は以下の通り。
1957年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行に厚生省技官を名乗る男が現れ、近くで集団赤痢が発生したので予防薬を飲んで欲しいと伝え、自ら飲み方を実演した後に、16人に薬を飲ませ、12人を毒殺。4人が死を免れた。
同年8月21日、北海道小樽で、画家の平沢貞通が逮捕され、当初否認していたが後に自白し、裁判で死刑判決が出た。平沢は裁判から自白を翻して犯行を否認し続けたが、1987年5月に平沢は95歳で獄死した。
番組は、平沢貞通は真犯人ではなく、日本陸軍731部隊の関係者ではないかという結論に至った作家の松本清張さんの取材とノンフィクションとして世に問おうとする執念を描いている。
松本清張を演じた人が誰なのか最初わからなかったが、大沢たかおさんだとわかって驚いた。その熱演たるや、仁やキングダムを超えた名演だった。僕は情報屋を演じた、とろサーモンの久保田かずのぶさんの演技が衝撃だった。あの存在感は、既存の役者には出せない生の味だった。
NHKが怖いのは、このドラマの後半を第二部ドキュメンタリー「74年目の真相」という形で翌日に報告していることである。
これを見る限りあくまで主観だが、平沢貞通は、当時日本を統治していた米軍GHQの警察捜査への介入による冤罪の被害者である。
捜査初期には、日本陸軍の731部隊の残党を追いかけていた警察は捜査方針を歪めざるを得なかった。731部隊の関係者の証言、生物兵器の研究をしていた登戸研究所から持ち出された新しく開発された毒薬「青酸エトニール」が使用されたのではないかという仮説にまで辿り着いている。
根拠は以下の通りである。
①事件で使用したとされる毒は「青酸カリ」とされているが、青酸カリは即効性の毒だが、実際には毒を飲まされてから3〜5分かかっている。むしろ遅効性の毒が使われたと考えるべきだ。
②生き残った行員の方は亡くなるまで、犯人は平沢さんではないと証言していた。
③平沢さんの証言が二転三転したのは、彼が狂犬病ワクチンによるコルサコフ症候群のため記憶障害や作話症だったためであり、また、暴力的な取調べが行われたことで自供したとも言われている。
④歴代の法務大臣が死刑の執行に踏み切らなかったことは、偶然ではない。
僕は驚愕した。NHKの6年にわたる執念の取材と現代だからできる科学的な分析が指し示す方向性の先には、GHQが731部隊の人体実験のデータを米軍に渡すことで、731の戦犯に免罪を与えるという取り引きがあり、そのせいで警察やマスコミに圧力がかけられ、それが平沢貞通をスケープゴートにして幕引きをしたという仮説である。
松本清張は、このことをノンフィクションで書こうとしていた。しかし出版社はそれを許さなかった。
一般市民が、冤罪で生涯自由を奪われ、獄中で死ぬか死刑になるとしたら、自分たちは何を信じて、何に頼ればいいのか?背筋が凍る想いでこの番組を見たのは、僕だけではないと思う。
少なくとも12人の被害者と平沢貞通元死刑囚とそのご家族の人生を狂わせた事件である。興味本位では云々できないと深く感じた。