その日の保護者面談は、3時間にも及んだ。正直、彼女が相手だとこれくらいは覚悟していたので、余裕を持って面接時間を設定していた。
その母親は医師であり、2人の娘と暮らしていた。夫も医師だったのだが、家を出て行った。娘にテレビのリモコンを投げつけたのが決定打だった。彼女は離婚を決意し、調停に臨んだ。
「先生、お分かりになるでしょう。あの人にも特性があって…人の気持ちがわからないんです。じゃなきゃあんなことできませんよね」
その日の話は、娘の推薦入試がうまくいったお礼と妹の個別授業のお願いの件だったのだが、思わぬところから話は飛んだ。
「先生、和美が少し変わっていることに気づかれてますよね」
「変わっているというのは?」
「見えるらしいんです」
「そうなんですね。ずっとですか?」
僕は霊関係(そんなものはないだろう)のカウンセリングも受け付けています…んなわけない。
「和美は中学2年生の夏に一度死んだんです」
「え?」
彼女は実に大真面目にそう言ってのけた。何より彼女は医師である。そしてその細かい性格から、適当なことを言うはずがないことを私はよく知っていたのだ。
和美さんが、中学2年生の夏、吹奏楽部の生徒たちは体育館でコンクールの練習を終え、お迎えを待っていた。天気も良く、みんな手に手にタオルを握りしめて、それを団扇代わりにしたり、汗を拭ったりしていた。
すると遠くの方で雷鳴が鳴り、体育館の傍にいた生徒たちは悲鳴をあげた。その悲鳴を合図に太い水の柱が空から一斉に降り注ぎ始め、雷は次第に近づいていた。
和美さんは「雷が近づいたら、避雷針になる背の高いものの下に行くように」言われていたのだそうだが、体育館とは反対側にある学校で一番大きな老木の側に走った。
大木の下にたどり着いて安心したのか、数人でお互いの格好を笑い合っていた。その時だった。雷がその老木めがけて落ちた。友人の証言だと火花が散ったとのことだった。和美さんは吹っ飛んだ。
その様子を目撃した教師たちは、一瞬、最悪の事態を想像した。しかし彼女は無傷でどこにも外傷はなかった。
ほぼ同時刻。母親は約束の時間に遅れないように、勤務先の病院を出て、学校の近辺まで辿り着いていた。雨は止み、雷鳴も鳴り止んでいた。
母親は、勝手に待ちくたびれた和美さんが、学校から目と鼻の先にある自分の両親の実家まで来ていることが結構あったので、実家の前を通って和美さんが辿り着いていないことを確認してから学校に向かうことにしていた。
その日、何が起こったいるのかまだ知らされていない母親は、いつも通り実家の前をスピードを緩めて通過しようとした。
その時、母親は、玄関に上がる階段を歩いて登る和美さんの後ろ姿を確認した。
「なんだ、和美、来てるじゃないの」
母親は車を右側に寄せて、車を停めて和美さんを追いかけた。玄関の脇に祖母を見つけて、和美さんの母親は何気なく声をかけたが、その返事は意外なものだった。
「あら、和美は?さっき見かけたけど、来てるんでしょ」
「来てないわよ、まだ」
「でも、私さっき和美が階段を登るところを見かけた…」
母親はそこまで言うと口籠った。急に胸騒ぎに襲われたからだ。そのまま踵を返して階段を駆け降り、運転席に飛び乗ると学校に向かった。青空が顔を覗かせていた。
「お母様、ご連絡差し上げたんですが、出られなかったものですから」
「和美、どうかしたんですか?」
「雷に打たれた木のそばに立ってて、吹き飛ばされたんです」
「え…で、今、和美は?」
「保健室で休んでいます。もう落ち着いていて」
「ありがとうございます。会えますか?」
「どうぞ、こちらです」
保健室で、母親は和美さんを見て、簡単な触診をして安堵のため息をついた。
「先生、もう大丈夫そうなので、連れて帰っていいですか?」
「病院に連れて行かなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「あ、そうですね…失礼しました」
母親は和美さんに声をかけながら、立たせて荷物を持って車まで連れて行った。ゆっくりだったが、和美さんの歩きはしっかりしていた。
「この匂いは…」
「入り口の楠の老木に雷が落ちたの」
母親はそこで初めて背筋が凍るのを感じた。裏門脇の楠が裂けているのを見て、焼けこげた匂いと相まって、娘がどれほど危険な目にあっていたのかを実感したのだった。
「頭痛は?記憶はしっかりしてる?」
「吹っ飛んだ直後は気絶してて、目が覚めた時には何があったのか思い出せなかったんだけど、少しずつ思い出してビビった」
「なら安心だね。今晩一晩様子を見て、頭痛が残るようだったら、明日は部活動休ませてもらわないとね」
「大丈夫でしょ。コンクール近いし」
「そんなこと言ってる場合じゃなかったんだよ、本当は」
「はいはい。わかりました」
少し反抗的な態度をとる和美さんに、母親はホッとしていた。
「ところで和美、おばあちゃんのところに行ってないよね」
「ん?それが不思議なんだけどさ」
「…」
「気絶している時に、おばあちゃん家にいる夢をみたんだよね」
「…そうなんだ…へぇ…」
それから和美さんの身に不思議なことが起こり始めた。
体調不良で学校を休んでいる時に限って、友達から電話がかかって苦情を言われるのだ。
「和美、あんたいい加減にしなさいよ。みんな怒ってるよ」
「え?どうして?私が何を…」
「体調不良で休んでるって先生が言ってたから、みんな心配してたら、商店街で幸子たちが見かけて声をかけたら無視されたって言ってたよ」
「そんな…私、ずっと家で寝てた。学校サボって遊ぶなんてできるわけないの知ってるでしょ」
「そっか…そうだよね」
身に覚えのない目撃情報が、和美さんのところに知らされることが度々起こった。和美さんはクラス担任や友達に相談したが、なかなか信じてもらえなかったらしく、どうしたらいいかわからなくて悩んでいる時期があったとのことだった。
「たぶん、幽体離脱の一種じゃないかと思うんですよね。それもあの日…雷に打たれたあの日からなんです」
僕は頷くしかなかった。それ以降、霊感みたいなものが身についてしまって、体調をこわしやすくなったとのことだった。
「時々気味が悪くて。『今、どこそこにいるよね。自転車置いて帰るから迎えにきて』なんてラインが来るんです。どうやって分かったのか…」
母親との面談を終えて、狐に摘まれた気持ちになったのは僕の方だった。その後、彼女との日常会話の中にそういう話題が増えたのは確かだ。ある時、和美さんから帰り際に囁かれた。
「先生、朔太郎くん、見えてますよね」
朔太郎というのは、自分の息子で和美さんの同級生だ。もしかしたらとは思っていたが、和美さんは何らかのきっかけで確信を持ったのだろう。
やれやれ…