学校勤務の間、会社で働いている時には、自分の体のことを考えることはなく、ましてや自分がどんな精神状態か考えることもなく馬車馬のように(馬車を引く馬たちがどれほどの力を持ち、それをどう発揮し、どう感じていたかは不明だけど…)働いていたし、それが当たり前だとも思っていた。もっと酷い言い方をすれば「そうするのが当然で、それができない人は無能であるか、手を抜いているかだ」と決めつけていたのだと思う。
今、考えてみると本当にとんでもない話だ。
でも、なぜそんな働き方をしていたのか?
教員時代は、目の前にいる生徒たちのために、汗をかくのは当たり前だと思っていた。クラスの中心に陣取り、イジメは許さない、民主的なクラス運営、人権意識を高めるために、毎日クラス通信を手書きする。テーマは「人権と平和」「どう生きるか」そんなものばかり。僕は自分の過去をほぼ全て開示していた。ご家族の方から「通信、楽しみにしています」と声をかけていただいた。それは本当に励みになり、僕のエネルギーになっていった。
でも、それが本当に生徒のためになっていたのか?一番手っ取り早い方法で、思想を押し付けていたんじゃないか?本当は自分が注目され、評価されたかっただけなんじゃないか?そう思うようになった。
部活動で問題を起こす先生たちは、部活動が教育活動の一部であり、勝つためなら生徒の人権を踏み躙り、大事な時間を占有し、自分のエゴを押し通しても構わないとでも言うかのような状況があちこちで見受けられる。
自分に問うてみてほしい。
「それは正しい教育活動ですか?」
「自分の欲望の実現のために。評価を上げるために、生徒の気持ちや健康をサディスティックに踏み躙っていませんか?」
科学的な指導法に基づいていますか?休みをとらせていますか?恣意的にではなく、誰からみても納得のできる評価方法(数値化したもの)を根拠に、出場選手を決めて開示していますか?
じゃあ、オリンピックに向けた育成はどうすればいいんだ!?
それは高校教育の目的の中に含まれていますか?
行政が考え、予算を使い、指導者を育成し、各地方に派遣するとか、競技ごとの強化センターを作って引退した選手たちを指導に当たらせるなど、政治家と行政が、知恵と人脈を通じて考え抜いて、汗をかく必要があると思います。
パワハラのない、鉄拳指導のない、豊かで本当に効果的な指導をして欲しい。
時代が変わって、報道がパワハラを取り上げ、育成の現場での暴力は少なくなっているのではないだろうか?もちろん成人の現場での話だ。
中学、高校、大学という教育の場では、部活動・クラブ活動では、まだまだ肉体的、精神的な暴力が隠れている。
怖いのは、教師がその方法を是として指導すると、上級生が下級生に対して同じことをする可能性があるということだ。それが発覚した時、顧問は何を感じて、どう自己変革をしようとするのか?
「今更変われない。どうしたらいいかわからない」
そういう人は、教育現場を離れて、カウンセリングを受けるべきだ。少なくとも教育現場にいることに違和感がある。今の学校は「叩いてはいけない人と叩くことでしか指導できない人」が混在していて、教員たちはそれに気づいている。管理職もだ。内部告発やマスコミへのリークを恐れている。保護者の方も、自分の子どもや他の生徒たちに被害が及ぶことを恐れて声を上げられない。それが実態だ。
主役は生徒であり、教員ではありません。これは間違いのないこと。昔ながらの方法でしか指導できない人は、自分を変えてください。
僕も間違っていた教員の1人です。生徒に教え込もうとする根性が抜けなくて、教育現場に戻らないと決めました。もしもっと科学的根拠に基づいた指導法に辿り着ければ、考え直すかもしれません。
まだまだ成長・変化していきます。そしてそれを喜びとして生きていきます。