居ても立っても居られないとき、
 
私はブログが1つの支えになってます。
 
皆様のコメントや
こころの在りようを表す事で少しだけ
気を取り戻せるような気もするのです。




すごく共感出来る気持ち。




ママ学生時代に超忙しくてストレス溜まっていた時、


大切な人と死別した時、


とにかく人生で辛く苦しかった時こそ、


SNSやブログで心を文字で表して整理することが、


自分の冷静さを保ち、


またモチベーションを上げる手段だったから。


その習慣は、今も続くけど・・・・






それを以前ママ友の一人に、


「どう考えても私の友達の中で、ダントツのFBアップ率、すべての友達のポストに丁寧にコメント、常にいろいろなことをリサーチしてシェアしてるでしょ?それってPCや携帯に向かってる時間がものすごく長いと思うのよ。もちろん、仕事の休憩時間や通勤時間なんかを使ってるのかもしれないけど、それだけじゃないと思う。なんでその時間を少し削って、家族の健康のために作り置きの常備菜でも作ってあげないのかな!」


痛烈に色々批判された。




その人は、「料理」に力を注ぐことこそが、


家族への「愛情」の大半だと思っていた。




人を表面だけで判断する人(特にネット上の付き合いだけで)、


自分の価値観の押し付けをする人に、


例え反論したところで、


半狂乱なって再攻撃してくると思ったから、


その彼女の前では本音を吐き出さず、


ずっと沈黙を貫き通した。





風の噂で聞く彼女の素行は、


数年経っても変わらず、


自分の思い込み(価値観)だけで発言し、


SNSのコメントもざっくばらん発言=フレンドリーだと思い、


読み手を不快にし引かれ、


自分が良かれと思うことは強引に行動に移し、


結局誰かを翻弄させ傷付け、


影で皆に疎ましがられているようだ。
 




人それぞれですから、
 
 
 
私は私のやり方で
 
 
 
許してください。




こう言う気持ち、


自分の経験上、胸が痛いほど理解出来る。


批判している相手は永遠に許してなんてくれないんだけど・・・・。





当時は大好きな親友達や家族の温かい言葉で、


たくさん励まされていた。


 「 家族を見れば、本当の意味で家族が“健康”なのか、そうでないのかなんてわかる!」


ちゃんと自分達を理解してくれる人が側にいてくれるお陰で、


自分の秘めたる気持ちや行動までも察してくれる人がいるお陰で、


ぶれずに家族に自分のやり方で、


「愛情」を注げられている。





いいんだと思う、


何事も感謝の心だけ忘れず、


批判はただ聞いておけばチュー