しじまにて 九 | morrowesprit

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僕は大人が嫌いだ、だけど親父さんは特別だった。
僕が幼稚園を卒業する頃には既に父親は家にいなかった、その為か特に男性には警戒心が強い傾向がある、初めて親父さんに出逢った頃はほとんど目を見て話さなかったし会話もしなかった。
「懐かしいですか」
「なんや、わかるんか」
「なんか寂しそうに見えます」
口角を大きく上げて僕に微笑みかける。厳しくて恐いヤクザの親父さんだが、僕はこの人のことがわりと好きになれた、面倒見がいいのかただ適当なのかは解らないがたまにふと父親に思えてくることがある、実の父親の記憶がない僕にそんな気持ちが湧くのも不思議である。
「親父さん、子供いるんですか?」
少し驚いた顔をして僕を見る。
「そーやなー、おるにはおるんやが」
「離婚したって事ですか?」
「そんな感じやな、お前なんでそんな事聞くんや」
言おうかどうか迷う、あまり自分の事を人に話したくないのが僕の性格だしかし親父さんならいいと思い、思い切って話す。
「親父さん、僕、父親の顔覚えてないんです」
「なんやて?そうか、死んだんか?それとも離婚か?」
今更ながら親父さんの方言は面白い。
全体的に関西弁だが、いろんな地方に飛び回り沢山の知り合いがいるのだと言う、それで幾つかの方言が混ざり合っているのだろう。
「わかりません、母親は教えてくれないんです」
「そりゃ困ったな、子供なんやから知る権利はあるんだがなー」
「でもなんとなくわかります、子供が好きじゃなかったみたいです」
「なしてそう思うんや」
「母親が言ってました、殆ど家に帰らず飲んでばっかりだったみたいです」
「ワシと変わらんな」
「親父さん、親父さんにとって子供って何ですか?」
「そうやな、宝や」
「宝、それより価値が高い物を僕の父親は見つけたんですね」
少し寂しくなる、僕も自分の事を宝と言われてみたい。
母親は何故か父親の話になるといつも機嫌が悪くなる。前に一度なにか父親の手がかりがないかと家中探し回った事がある。しかし何も出てこなかった。
「なゆ坊、なんでそんなに親父に執着するんや?」
「それは、そうですね、見たことないけど一回くらいは逢って話してみたいです」
「なるほどな、でもなゆ坊、一つ忘れてる事があるぞ」
「忘れてる?何ですか?」
「さっきから聞いてるとお前は親父の話しかしてないぞ、お母さんもいるんだぞ」
そうだった、と気がつく。
母親は僕が小さい頃は恐くてしょうがなかった、妹ばっかり可愛がって僕には冷たく当たっていた。何でもお兄ちゃんの僕が見本として先に覚えなきゃいけないし、妹に優しくしなければ玩具やおやつを取り上げられた、そんな状況を次第に理解した妹は、随分要領がいい奴に育った。
そうだ、妹も元気だろうか。母親も一人で僕達二人を育てたのだ、なかなか大変な事である。
「わかったか?」
「え?何がですか?」
「今いる人を大事にしろ」
少し考えて納得する。
「はい、ありがとうございます」
親父さんは煙草の吸い殻を投げ捨て
『行くで、なゆ坊、運転頼むで』と滅茶苦茶な事を言う。
二人で苦笑いした顔を見比べ、車に乗り込んだ。

夜中の一時を過ぎようとしている、しかし親父さんは現れない。
唐揚げの材料ももうすぐ無くなるので調達してもらわないといけない、しかし随分前から携帯の電源は入らないし、親父さんが泊まったホテルの場所もわからない。
時刻は二時過ぎ、とうとう材料が底をついて店を閉める、屋台をばらして手押し車に積み込み車へ向かう、今日の荷物なら八往復くらいだろうか。
バンのリアドアを開けると奥の助手席後ろ辺りに荷物がくるまっている様に見える、車を止めている公園は薄暗く何があるのかわからない。
そのときだった、背筋が凍りつき胸が締め付けられる。その荷物の辺りから僅かだが確かに呼吸音が聞こえる。
「親父っさん?」
「親父さんどうしたんですか?」
外を周り、車の横のスライドドアを開ける。
「え?え?これは」
血だらけの親父さんが胎児の様に丸まっていた、肩を揺すると僕の手にべっとりと血が付いた、その手をズボンで拭く。
「親父さん!親父さん!」
どこから血が流れているのかわからない、ジャンバーを脱がして確認するが暗くてわからない、親父さんの腕がだらりとドアの外へ垂れる、目立つとマズいと思い車の真ん中辺りまで身体を押し込む、スライドドアをゆっくりと閉めた、外の音が遮断され、弱々しい親父さんの息が確認できた。
少し迷ったが親父さんの頬をめがけて三度程思いっきり平手打ちした、二度と開かないと思っていた親父さんの瞳がゆっくりと開く。
「親父さん?」
「お前か」
「どうしたんですか?血が、血がすごいですよ」
「しょーもない」
「しょーもないわ、どうでもえーなったんや」
「どうでも?何がですか?」
「なゆ坊、ワシの血、赤いか?」
何を言ってるのかよくわからないがもう一度確認する、確かに親父さんの血は赤かった。
「赤いですよ!自分でやったんですか?なんで、終わり見届けるんじゃないんですか?」
「かわえーなぁお前は」
「え?」
「息子みたいやな、まぁ娘はおるんやけどな、娘だけな」
「とりあえずどこから血が出てるんですか?」
「腹や、かっさばいてやったんや、けど死ねんかったんや驚いたか?ハハハ!」
この人は簡単には死なない人だろう、
こんなに血を流して腹を切り裂いているのに笑っている、その表情も焼き肉屋で談笑している時の顔と同じだった。
「なんでこんな事したんですか、驚きますよ。病院行きましょう」
「不安になったんや」
「不安?」
「間に合わないって声がするんや」
「声?間に合わないってですか?どういう意味ですか?」
急に親父さんは咳き込み、目をかっぴらいてリアドアの外を見る。
「お、おいなゆ坊!し、し、閉めんかそこを!」
開きっぱなしのリアドアを指差し怯えるように叫ぶ、こんな親父さんを僕は初めて見たので少し怖くなった、慌てて閉める。
「な、なゆ坊!そこ!そこや!」
指差したのはカーエアコンの吹き出し口だった、これがどうしたのだろう。
「隠せ、いや、壊せ!早く!」
「え?え?」
訳がわからなくなり焦る、とりあえずニット帽を被せて隠す。
「親父さん!大丈夫ですか?!」
「追われとんのや、いつもな」
親父さんの顔に落ち着きが戻る。
「誰にですか?」
「娘や、娘が息子の首締めてしもうた」
沈黙がさらにこの言葉を重くさせる。
程なくして親父さんはどこかに電話をかける、会話を聞いていると舎弟と話しているようだった。
ため息をついて電話を切る。
「すまんかったな、舎弟が来るわ、お前は店戻って唐揚げ売ってくれや」
「大丈夫なんですか?あと、もう材料がなくなりました」
「ほうか、よう売ったな、大したもんや。ほんならこれで焼き肉でも食ってこいや」
親父さんから一万円を手渡される、薄暗くて確認はできないが紙幣がヌルヌルしている、こんな赤い紙幣で会計できるのだろうか、その前に焼き肉を食べる気分になれなかった。
辺りが急に明るくなる、ハイビームでこちらを照らす車が見えた、警察かと一瞬焦るが黒いワンボックスが近よってくる、中から数人が出てきて親父さん駆け寄った、さっき親父さんが呼び出した舎弟達だった。
親父さんは舎弟の一人に耳打ちをする。その舎弟は親父さんに一礼し、
真っ直ぐ僕のへ近づいてきた。
「お兄ちゃん、これで明日の材料買っといてくれんか?明日も店番頼んます」
「あ、はい」
親父さんは舎弟の車に移される、数人に担がれながら親父さんは大声で何かを叫ぶ。
「なゆ坊!お母ちゃん大事にせな!」
僕は大きく頷く。
他の舎弟も親父さん共に車に乗り込み遠ざかっていった。
テールランプの灯りが見えなくなるまで僕はずっと眺めていた。

眠たくて店番なんてどうでもいい、朝から店を開けてすでに夜の九時を回っている。
パイプ椅子に座ったまま動く事ができず、客に声を掛けられても聞こえない振りをしていた。
もう滅茶苦茶だ、親父さんは血だらけだし長時間働かされるでうんざりだった。
「唐揚げちょうだい」
若い女の声だった、頭を上げるのも億劫だったがあまりにも素敵な声で顔が見たくなった。
「久し振り、煙草吸うの?」
フライドポテト屋の美人のお姉さんだった。また出会えたのと覚えてくれてた事が嬉しくて、空気ポンプで飛び跳ねる蛙の玩具のように僕は飛び跳ねた。
「うん」
「疲れちゃった、後ろで休憩しようよ」
ゆっくりとした口調で、油断したら聞き取れないほどの、小さくかすれた声だった。
的屋の裏の、小さな池の側の石に腰掛ける。
缶コーヒーを手渡してくるお姉さんの手はケロイド状の傷で醜い手だった。
モダン焼きの生地が手に付いて乾いただけかと思ったが、そうではないようだ、僕があまりにも凝視したせいか、
お姉さんは反対の手でその醜い手を撫でる。
「これね、すごいでしょ、母さんにやられたんだ」
なぜかと聞きたくてたまらなかったが聞けなかった、虐待だろうと勝手に決めつけ、無言でゆっくりと二度頷いた。