窓を開けると金木犀の香り。


秋を嗅ぐ。


金木犀の花言葉には、謙虚・謙遜・気高い人・真実の愛などがあるが、その他に隠世(かくりよ)がある。


死後の世界を意味している。


香りが魔除けになるとされ、神社や寺院に植えられているのが由来しているとか。


隠世と今を、妖艶な香りと共に行き来しているかの様で、実に色っぽい。


そう言えば若い頃、色っぽい人、と言われたかった。


子供が出来てからは、綺麗なお母さん、とも言われたかった。


頭の良い賢い人、と言われるのには抵抗があった。


強い人、と言われるのは嫌いだった。


今は、何て言われたいんだろう?


もう人からどう思われようがどうでも良いが、やはり心豊かな人でありたいと願う。






先日、ゆっくり温泉に浸かりたくて、少し足を延ばして行って来た。





ひと山越えてたどり着いた小さな村の温泉。


空の青と山の緑に、ヌルッヌルの温泉。


誰もいない浴場に一人、最高!!





上がるとお昼近くになっていたので、ここに来ると必ず寄るお蕎麦屋へ。





蕎麦を語り出したら止まらない店主としばし談笑。





帰りは神社に参拝。





長い階段の先にある神社で、今年も色々あったが、これまでとりあえず健康でいられた事に感謝する。


多くの人が訪れ手を合わせているが、人の心は誰にも見えない。


それぞれに思いがあり、願いがあり、そして神に乞う。


感謝であり祈りであり、そして懺悔。


私は懺悔と言う言葉が好きだ。


懺悔は悔過(けか)とも言うように、自己の罪の赦しを他者に請うだけでなく、自己自身で罪の内容を明らかにし(説罪)、悔い改めるという事。


そして見えなくとも、本当に美しいものだけが自分の中に印としてあって欲しい。


そんな風に、金木犀の香りを嗅いで感じた朝。





二十代は美しく

三十代は強く

四十代は賢く

五十代は豊かに

六十代は健康に

七十代はしなやかに

八十代は艶やかに

九十代は愛らしく

そしていぶし銀のように

美しい百歳へ





今日は、とても強い追憶の風が吹いている。