気持ちの良い3月の始め。


ものみな芽吹く3月。


今朝は少し寝坊して、7時起床。


すでに明るくて、春って感じ。


たまに出るくしゃみと痒みがなければ最高なんだけど、冬以上春未満のこの季節を乗り切れば、大好きな新緑の季節がまたやって来る。


避難組の緑は、日当たりの良い場所で日光浴。


年中優待組はスクスク育ち、先日弟が、ジャングルやな!と言ったのを聞いて嬉しくなる。


鉢がたくさんあるので花を植えたいが、ここはまだ保留。


今春は多肉を増やしたい。


あーこんなことを考えてるのが至福の時。


現実は日曜日だと言うのに、朝からパソコンで事務処理。


最近、数字なんてどうでも良いや、と思うけどそんなわけにもいかず、生きていくって大変。


大変って言うか、私には面倒。


この思考は不変だ。







去年ある人から、私が行くと良いよ、と教えてもらった神社にやっと行くことが出来た。





早朝出発。


日差しがあって、絶好のお出かけ日和だわ、と思っていたのに、神社のある三重県に入った途端に曇天。


どーゆーこと?


9時着でもうすでに満車。


全く知らない神社だったけど、以前snsにあげたら、すごく良い神社ですよ、とコメントをたくさんいただいた。


かなえ滝があって、iPhoneの待ち受けにすると良いとの口コミがあったので、速攻で待ち受け画面変更。


君が代にある、さざれ石。





さざれ石ってこんなんだ、くらいの感想だけど、これだけ生きていても見たことない、知らないことっていっぱいあるもんだ。


隅々まで見て廻り、最後に、行ったら必ず赤い御守りを買いなさい、と言われていたのでこちらもゲット。





赤というよりも朱。


袋から出してぎゅっと握りしめ、よろしくお願いしますとご挨拶。


私が行くべき神社として導かれたのか、それとも脱却として導かれたいのか。


神様は平等ではない、願いなんて叶えてくれない、なのにどうしてすがるんだろう。


拠り所なら他にもいくらでもあるのに、人はどうして手を合わせ乞うのだろうか。


祖母も母も朝夕に手を合わせていて、見習って私もそうしているが、祖母も母もその思いは叶えられていたのだろうか。


人の心は誰にも見えない。


人は弱いけど強くて、強いけど弱い。


その狭間でみんな生きているんだな、そんなことを考えながら境内を散策していた。


あまり遅くならないうちに帰りたかったので、早急に三重県を脱出して、途中滋賀県で高速を降りて、美味しいお肉を食べて帰宅。


が、神社を出てからずっと不調。


何にもしたくない、とにかく横になりたい、何も考えたくない、無になりたい、そんな感じ。


それが3日続いた。


こんなこと初めての経験で驚いたが、今は復活。


昨日はケーキを焼いたりして、いつもの私のいつもの時間。


いつもとは違う感情を味わうことは、現実を知る意味でも良い刺激になる。


本来私の中にある本当の私との、久しぶりの再会の時間は有意義だった。


私は永遠の漂流者。


それも良し!!






最近のどハマりお菓子。





おさつどきっ!


一袋一気に食べるあかんやつ。笑