目覚ましが鳴る10分前、とても良い夢を見ていた。
それが現実になれば良い、なって欲しい、予知夢であれば良い、と強く願うくらい私にとって希望の夢。
覚醒してもまだ余韻に浸っている。
早速母に報告、「とっても良い夢を見たわ、夢だけど夢じゃなくなるって期待したいわ、現実に起こったら私の人生はもう終わっても良いから」。
答えはないが、きっと母もそうであって欲しい、と願ってくれているはず。
私は物事が大きく動く時、お告げの様に夢を見る。
たまに、夢とも現実とも境目がない不思議な感覚も。
よく、霊感が強いでしょ?と聞かれる時があるが、自分ではっきりした何かが見えるわけでもなく、確かな感触があるわけでもない、ただぼんやりと夢を見るくらいだ。
睡眠中に見る夢の考え方として、未開人や古代人の間には、睡眠中に肉体から抜け出した魂が、実際に経験した事柄が夢として現れる、という考え方が広く存在した。
夢は神や悪魔といった、超自然的存在からのお告げという考え方は世界中でみられる。
古代ギリシャでは、夢の送り手がゼウスやアポロンだと考えられていた。
旧約聖書でも神のお告げとしての夢は、とても豊富に登場する。
また、ネイティブ・アメリカンの一部の部族には、夢を霊的なお告げと捉え、朝起きると家族で見た夢の解釈をし合う習慣がある。
古代ギリシャにおいて夢は、神託であり夢の意味するものはそのままの形で夢に現れているため、解釈を必要としない、と考えられている。
日本の法隆寺(夢殿)、この堂が夢殿と呼ばれるようになったのは平安時代のことだが、その名は、かつて聖徳太子が法隆寺に参籠して瞑想にふけった時に、黄金で出来た人が現れ、疑義を解く教示を受ける夢を見たという故事に基づいている。
夢は、もともとは暗い・よく見えない、という意味を表す漢字で、それが転じて、眠っている間に見る夢という意味で用いられるようになった。
そこで、人と夢を組み合わせると、よくわかっていない人という意味になる。
熟語に儚儚(ぼうぼう)という言葉があるが、これはぼんやりするさま、頭が鈍いさまを表す。
まだ夢の余韻に浸っている私、1日儚儚としているが、食欲だけは確かなもので、最近これ以上体重が増えないようにセーブをかけている。
でも、誘惑は其処彼処にあって、それを振り切るのが辛い。
なのに、またケーキを焼いてしまった。
シナモンアップルパウンドケーキ、以前教室で習ったレシピで。
う、う、うまい!笑
調子に乗って続けざまに2本焼いて、頂きものの苺でムースも作って、どれどれ?なんて嬉しそうに試食と称してしっかり一人前食べて。
何が誘惑を振り切っているだ!笑
で、今夜は能登の甘海老。
画像では判りにくいが、赤く綺麗に光っている。
今夜は、これをあてに久しぶりに一杯行きますか。
大好きなピュリニーモンラッシュ、あたりで。
で、気づいた。
誘惑を素直に受け入れている事を!笑
私って意外と素直だったのね!笑

