秋の瞳が透明な安らぎをもたらした朝。





矜持ある風景

いつしらず

わが心に住む

浪 浪 浪として静かなり




避けられないこの電柱を邪魔だな、と思うことがしばしあるが、幸いは短く寂しいは長い、そんな人生を過ごして来た私には、今はこの風景が世俗的で、今ここに身を置いている、と思えるようになっている。


降ったり止んだり晴れたりをこの数日繰り返していたお天気も、今日の予報では晴れマーク1つになっていて、それを見つけたそれだけで、今日という一日がラッキーな日になると確信出来そうだ。


なのに、さて今日は何をしようか、何を食べようか、何を作ろうか、と思いながらも頭の中は空っぽで思考ゼロ。


結局朝からした事といえば、コーヒーを淹れてパンを焼いて食べ、ブログを書こうとして途中で、地元の書店のお薦めコーナーにあった本を買ったので少し読み、紅茶に蜂蜜を入れて飲んで化粧をしたくらい。


気がつけば、たったそれだけで早や午前中が終わろうとしている。


少し焦る。


こうして今日もきっとすぐに、一陣の風が吹き去ったくらいの感覚で終わって行くのだろう。


子供の頃は1日が長くて、それはジャネーの法則でも言われているように、人間の体感時間はそれまでの生きてきた年齢に反比例すると考えられているらしい。


同じ1年・1日・1時間であっても、5歳児の体感時間は大人の6倍以上の長さだと言われている。


また、体の代謝が関係しているとの考え方もあり、代謝とは生物が生命を維持するために必要な、体中の細胞の活動状態のことで、代謝は大人より子供の方が激しいので、子供は時間をゆったり感じ1日が長く感じるとのことだ。


なので、未来という時間軸の受け止め方がまだ出来ていない子供にとって、また来月とかまた来年という先の話は相当難しいものとなる。


それだけ濃密な時間を過ごしてきたはずなのに、私の中に色濃く残っているのはどれくらいなのか、全ては記憶の川に流されてしまったとしか思えない。


気になることがあれば調べてみたりして、ちまちまちまちま書いていると、ちっともブログを書き終えずにいる。




先日焼いたバスクチーズケーキ、生クリームが20g足りなかったが、ラム酒が利いていてそれなりに美味しかった。






私は2口食べただけで、残りは昨日遊びに来た知人がお持ち帰りに。


美味しいわーなんて言って喜んでもらえると、またすぐ調子に乗って何か作りたくなる私。


単純。


おやつが全部なくなってしまったので、さてお昼からは何を作ろうかしら?


そんな時間も、いとよろし。


いとよろし、を重ねて生きている。