どんな限界があったのか? | ー Dignified eleganceー 今ここを最高に美しく☆認識を美学する

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おはようございます(^ ^)
 
チリでの地震から日本への津波の影響が心配されている朝ですね。
 
さて、昨日は学術の質問のレベルがどこから来ていると思いますか?という投げ掛けで終わっていましたが、いかがでしたでしょうか。
 
質問レベルというと、それがどのくらい高尚なのかの基準で見るのかと解釈しがちですが、そうではありません。
 
また学術の質問レベルが現実と一体どのような関係があるのかと疑うかもしれませんが、事実、産業社会のプレートを創ってきたのは、学術による知識の爆発なのです。それを基に多様な技術を発達させてきたのが、今我々が恩恵を受けながら生きているこの現実世界なのです。
 
しかし、学術時代の質問と答えが果たして人間を幸せ平和に導いたでしょうか?あるいは人間を無限の可能性へと導いたでしょうか?
 
残念ながら答えはNoです。
個人の心の平和さえも守れず、関係性の幸せ平和、この社会や国家間の争い、抱える問題が一掃解決したことは一度もないことは人間なら誰もが知っていることです。
 
むしろ、解決できないことが分かっていながらも明確さがないままにそれを続けていくことは、紛れもなく人間のエゴではないでしょうか。人間ならば、不可能を認め、別の解決方法を探し、もし明確な解決方法があればそちらを選択し古い世界を手放していくことが賢い道であり自分を含む人類全体の幸せの為に選択しなければならない選択なのです。
 
では、学術時代の質問レベルは何が限界だったのでしょう?
 
それは目に見える現象だけを真実だと思っていたということです。全体を取り込んだ質問ではなく、目に見える現象世界、つまり部分を見て部分の質問を投げ掛けているので、質問の持ち方自体に限界があったのです。
 
当然です。脳科学が発達した現代、脳が見せる認識世界はすべて錯覚なんだということが解明されていますが、それはすなわち脳が部分、違い、過去のイメージとつなげて有限化してとるという脳の初期設定、認識の仕組み、メカニズム自体が不完全であるということを意味しているのです。結果現象はすべて条件状況によってコロコロ変わる錯覚なのです。
 
もう少し詳しく説明すると、脳が情報をインプットし、サイクリングしアウトプットする処理機能も不完全である為に、そもそもありのままや真実、全体、共通を認識できないのに、部分を見て全体だと思い込み、部分の質問を生み出していたのが学術の質問レベルの限界です。
 
衝撃的かもしれませんが、今まで人類が正しい質問を持つことに完全に失敗しているということなのです。
 
では一体、本来持つべき正しい質問、人間を幸せ成功に導くために必要な質問とは何だと思いますか?
 
ではまた!
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