私は小さい頃からたくさんの大人たちに会う機会に恵まれていて、日本や世界のいろんなリーダーたちと出会い話しをする中で、普通の人間との違いは彼らが常日頃から、どこまで深く本質を突いた質問を持っているのかにあることを感じていました。
論語の教えに『切問而近思』という言葉がありますが、簡単に言うと自分の一番近い所から問うていくことが必要だという意味です。
そもそも、常日頃から質問を持って生きているのかいないのか?
またその質問の次元はどこにあるのか。
お金がないからどうすればお金持ちになれるのか?というような思い込み次元にあるのか、どんな技術や商品を開発すれば売れるか?というような実践行動レベルの質問を持つのか?これでは目先に振り回され過ぎていて質問も浅すぎますよね?
だとすれば、少しだけ深めて見ていくと、現実を創ってきた産業社会のプレート自体を牽引してきた学術時代の質問レベルはどの深さに位置すると思いますか?
私は誰だ?人間とは何だ?という質問の基に研究してきた人文科学、我々は何だ?社会とは何だ?を研究してきた社会科学、自然とは何だ?を研究してきた自然科学、政治経済とは何だ?を研究してきた政治経済学。
残念ながらこれらの学問の問いは、複雑化され、因果論、すなわち知っている世界に捕まれてファイナルアンサーを導くには至っていないというのが事実です。
結果として、現実で人間から自由な発想を奪い、創意的な人材を無限に生み出せず、いつもいろんなことが当然過ぎて感動がなく、再創造力、イノベーション力を失うようにさせてしまっています。
何故、今までの学問の質問レベルだと、このような結果を生み出すようになってしまったのか、その訳を考えたことがありますか?
実は、質問レベルに問題があるから、生み出す結果に問題が生じるのです。
我々人間が生きる三次元現象世界は全て因果論に支配されています。質問があって答えがある、原因があって結果がある。
意識宇宙も物質宇宙も、全て対称性を用いて科学的に説明ができるのですが、先ずは結果を生み出す原因を観ることで一つ一つが明確になっていくのです。
さて、学術の質問のレベルがどこから来ていると思いますか?
