一年ぶりに再会する友だちとランチをするなら
素敵なところにしようと、代官山のお店をセレクトしたら、
実際お店に入ってみて、雑誌やHPに記載されていた
イメージと全く違っていてショック!!でした。
二人で、、なんか思ってたのと違うね、、、って言って
別のお店を探しました。
実はこれ、私が仕事をしていても頻繁に起こることで、
『放送してたのと、違うじゃない!!それじゃ詐欺でしょ。』
となって、お客様からのクレームに発展することがあります。
もちろん、創る側としてはいいイメージを与えたいから
そう思わせるように創っていることも確かなのですが、
自分勝手に思い込んだイメージの商品であるはず!!!
と決め付けて、確かめたり、本当にそういうものなのかを
確認もしないままに購入し、思っていたのと違ったら、
全部他人のせいにするという思い方は傲慢過ぎないかと
正直一人間として感じている自分もあります。
日本人は、特にこういったパターンの考え方をする人が
他の国の人に比べても多いように感じています。
*自分が納得、理解できるまで、自分自身の責任において
確認したりコミュニケーションしたりしない。
*自分の周りの人の意見を聞いて、自分がどうしたいかを
決める。人がいいと言うならいい、悪いと言うなら悪い。
周りにどう思われるかばかりが気になって、
周りに愛され信頼され尊敬される自分創ろうと一生懸命
努力してきたはずなのに、逆にどんどん自信のない自分を
確認するばかりなのでしょうか。
そうしているうちに、自分が本当はいつも何をどう考えて
表現したいと思っているのかさえ分からなくなってしまって
いるかのようにさえ感じます。
状況や、環境、人が変われば、主張することにも一貫性がなく
コロコロ変わってしまうでしょうし、どの自分が一体本当の
自分なのでしょうか?
本人も分からなくなってしまっているのではないでしょうか?
個性や多様性が尊重される西洋的な文化の影響もあり、
一人ひとりが自分なりに趣味や特技や教養を磨き、
外見的には綺麗で美しく一見魅力的に見える人が
増えたかのように感じますが、実際にはどうでしょうか?
どれもこれもただ広く、浅く、中身も薄っぺらで中途半端に
なっていないでしょうか?
何にもぶれない中心軸が見えない無意識まで
深く根を降ろしている状態を自分の中に見つけるのは
そう容易いことではない気がしています。
何故ならば、誰よりも私自身、自分が話しをしていて、
自分自身が自分のことを薄っぺらいなと感じる時が
一番苦痛で耐えられない痛みを感じてることを
よく知っているからです。
すべての中心の中心、無限のアイデンティティと繋がって
つねにひとつのイメージから存在し表現する時の輝きや
発するオーラは究極の美しさ以外のなにものでもありません。
そういう存在が本当に憧れですし、自分もそのような人に
なりたいな、、、、と純粋に思うのです。
ココロを磨こう。認識テクノロジーで*