フィンドホーンの創始者、アイリーン・キャディの本をまた購入してみました。

フィンドホーン愛の言葉。これはアイリーンが神から受け取ったメッセージ集になります。ぱっと開いて、目に入ったメッセージを読むのでもいいし、朝の祈り、の部分を朝に読むのも心が落ち着きます。

この本も無事に、幼稚園の保護者の方向けの会でお嫁入先が決まりました。感謝です。

とある保護者の方から、毎回必ず何冊も本を(あげる用にと)持ってきてますけど、一体どれくらい本を読んでるんですか?と聞かれたのですが……う~ん、年間何冊?とかは全くわからず(^^; 気になった本があると何冊か一気に注文し、それを読める時に読んでいます。

 

毎月のベジ弁当の会では2,3冊の本を参加者の方にお譲りしているので、月に2,3冊は読んでいる計算になるでしょうか。本当はもっと読みたいですね・・・。

 

幼稚園の保護者の方向けの会では、あれもこれもと言いたいことがありすぎて、そしていつもあああれも言えなかった…と落ち込むのですが、見えないこと、エネルギーとか気の流れみたいなものもお伝えしたいなと思っています。

 

今回はお伝えできませんでしたが、例えば・・・子どもって、かなり気、エネルギーがわかってるし、その「気」「エネルギー」を重要な判断基準にしていたりもするということ。

 

育児をしたことがある人は、赤ちゃんてみんな、ママの財布が大好きだということ、よ~く知っていると思います。私も息子で経験してきました。

 

赤ちゃんがお母さんの財布をおもちゃ?として触って・・・そして中からお札やカードやらをバサバサと出して、お母さんがアタフタする。おなじみの光景です。

 

なんで赤ちゃんはお母さんのお財布が好きなのか?それは・・・お財布って、お母さんの「気」がいつも、そこに集中しているものだから。

 

赤ちゃんってお母さんの「気」がどこに集中してるかに、すごく敏感です。お財布はママが大事にしているものだから、そこに「気」「エネルギー」があるから、気になるし触りたくなるんです。

 

私自身、息子が赤ちゃん時代、本当に不思議だなと思っていたのが・・・新生児時代、ずーっと息子を抱っこして気にかけていて、でもふと、私がトイレに行こうとすると…息子が泣く。…なんで!?といつも思っていました。私がトイレに行った瞬間必ず泣くので。

 

それも今にして思えば…私の「気」が、息子からそがれて、別のものに行っちゃったから、だから息子が泣いてアピールしてたんだなあと。

 

あと、私がパソコンをしようとすると…これまた息子は毎回必ず泣く!!すごくパソコンを触りたかったしネットも見たかったのに・・・なんで!?といつも私は悲しくてですね…。

 

これもやはり、私にとってパソコンはかなり大事にして、気、エネルギーも集中させてたものだったので、そっちに私の気の流れを感じると、息子は反応してたんだなあと…。

 

子どもって、なんでこんなときに限って?というまさにそのタイミングで何かしでかす、ということもよ~~くやりますよね。それも、そうすることで大人の気、エネルギーがその子に集中するから。

 

自分に気を集中してほしくて…何かしでかすんですよね。これは風邪にしてもそうです。子どもって、自分のことを見てほしい、という思いが高まりすぎると…風邪を引くケースがあります(^^; こういう時はいくらウイルスとかに気を付けてても引いちゃいます。気、が原因、自分のほうに気を集中してほしいのが原因なので、どれだけ食に気を付けてても引いたりします。

 

子どもがここぞという時にいたずらをして…でもそれを叱っても何の効果もないどころかさらに助長させてしまう。これもあるあるです。そしてそれも自然なこと。だって、子どもはそうして自分に集中してほしいからいたずらするから。自分のほうを向いて叱るのは、子どもからしたら、自分に気を向けて集中してくれることだからいいことなんです。

 

大人の私たちにしても…例えばパートナーに対して、パートナーが自分のことを全然構ってくれなかったら、何か意地悪な言葉とか、尖った言葉をわざと言っちゃうこともあります。素敵な言葉じゃなくて、イヤミとかでこっちに気を向けようとしたり。

 

子どもも…怒ってもいいから、こっちを見てほしい。ぼくのこと、私のことを見てほしい。と切に願っていたりするのです。だからいたずらしたり何かを割ったり落としたり。

 

私たちが、自分に対して、ああ親は、相手は自分に気を向けてくれてる、気を集中してくれてる…と一番感じられるのは、自分のありのままを見つめてもらえたとき。だと言われています。

 

つまり…幼少期、お母さんが、お家の人が、自分のことをありのままにじっと見てくれている…そう感じられると、子どもって、満たされます。

 

逆に、自分のありのままを見てもらえてない、気を集中してもらえたことがない…という場合は、心に傷が残ります。そしてその傷は大人になってもしっかり残っていたりします。

 

見ている側の都合で自分を見てるのではなく。そうではなく、自分に寄り添って見てくれている…と感じられたとき、人は、最も満ちる。のです。

 

自分って…満たされてきただろうか。

 

満たしてもらってきただろうか。

 

お金とか食事じゃなくて、「気」を、自分にしっかり寄り添わせてもらえてきただろうか…。

 

そう感じられる人も、感じられない人もいると思います。でもどちらにしても私たちは、しっかり自分の人生を生きることができます。

 

自分は満たされてない、と思えても、自分で自分を癒すこともできるし、自然の力を借りることもできるし、また、見えない世界のことを知って行って、自分は一人じゃない、という感覚から…孤独を癒すこともできます。

 

親からは満たしてもらえなくても、おじいちゃんおばあちゃんから満たしてもらって、そうして生きる力、誰かへの優しさ、愛情の基盤とする方々もおられます。

 

何かしらのことをもらいつつ、そして傷も抱えたりしながら…私たちは懸命に生きています。

 

私は何も、それこそ食のことも手探り、気、エネルギーのことにしても試行錯誤で息子を育ててきましたが…破れかぶれだったかもしれませんが、自分なりのベストは尽くしてきた気がします。もちろんダメだしできるポイントはいくつもあるとは思いますが…もう全ては自分の実力だったという気がします。そういう自分を…まるごと認めて受け入れる。

 

自分のこのもともとの人間性からしたら…それなりに頑張ったって言えるんじゃないか?…そんなふうに自分の頑張りを認めてあげるようにしています。そして繰り返していくと…いや、でも、としゃべってこようとするエゴの声も小さくなっていきます。どんなにエゴの声がダメ出ししてこようとしても・・・自分の心を守れるのは自分だけ。そこは自分が頑張る。

 

子どもを育てる機会をもらったことで、自分の味方になってあげる、という経験をバリエーション豊かに経験させてもらえた気がしますが、でも、もし子どもを授かっていなくても、やっぱり別の形で、自分で自分の味方になってあげる、という経験とトレーニングは…することになっていたんだろうな、という気がしています。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ