ダイヤグリーン5/17(金)は金沢市内でベジ弁当の会を開催しますが、満席となりました。

ダイヤグリーン毎月第一日曜日は白山市「Qui」さんにて11~16時待機しています。

スピリチュアルカウンセリングは20分3000円、50分5000円(延長は10分1000円)です。

ダイヤグリーン6/16(日)は東京浅草にて「心と体が喜ぶ癒しフェスティバル」に出店いたします。

すべてのお問い合わせは natsue58@hotmail.com までお願いいたします。

 

 

ケリー・ターナー氏の『がんが自然に治る生き方』でも取り上げられていた日本人、寺山心一翁氏は独自の著書があると知り、購入し読んでみました。ケリー・ターナー氏の本は、ご紹介したら大きな反響、食の会でも大人気、そして…私自身、この本を読めばもうがんはこわくないな、と心から思えた本でもあります。

ケリー・ターナー氏のこの本は…おすすめです。

 

そして、寺山心一翁さんの本。『がんが消えたーある自然治癒の記録ー』。

腎臓がんで片方の腎臓を摘出、その後肺にも転移し、もう末期だと宣告され、病室にはもう彼の死が近いと知った方々が次々とお見舞いに…。しかしその後彼は不良?患者として病院を退院することに成功、末期がんと診断されたのにがんが消え、そして宣告から39年も!生きられました。(昨年11月にお亡くなりになりました)

早稲田の第一理工学部卒業後、東芝で半導体素子の研究、開発、試作に携わり、睡眠時間がほとんどないような激務を続け…ついに倒れ。ガンの診断を受け、もう余命いくばくのはずだったのに…がんが消え、そしてフィンドホーンで国際会議の講演者として要請を受けるほどになり。フィンドホーン財団フェローとなりました。

 

御自分の経験を活かし、多くの講演会、セミナー、ワークショップなど活躍を広げ…多くの人々に影響を与えた方だったと思います。そしてチェロ奏者の鈴木聡先生に徹底的にしごかれ(鈴木先生はプロとアマを区別しない教え方だったそう…)、チェリストでもありました。

 

その寺山さんがご自身の経験を細かく、書き記してくださったまさに記録。

がんが消えるまでの記録の詳細、そして具体的にどんなことに気づき、何をしていったのか。食事以外にも、驚くようなことが書かれていたりします。

寺山さんがまず気づいたこと。それは…がんは「我が子」なので、それを愛さなければならない。ということ。それがすべてのスタートだったようです。

 

この世で多い価値観は、「がんという敵と戦わねばならない」ということではないでしょうか。しかし…その根本的部分が違う。がんを敵とみなすか、我が子とみなすか。

 

寺山さんは、医師から言われた通りに検査をするたびに、お金もかかるし、なにより検査で病院を訪れた後はとても疲れてしまい、必ず寝込んでしまったことを記しています。

 

そこから、何度も検査をすることが本当に必要なのか、という疑問が生まれたそうです。

 

CTのような放射線を使用する検査をすると、特にその後に深い疲労感におそわれたそうです。せっかくよくなっていた体調も、かえって悪くなることをはっきり感じていたそうです。

 

そこで寺山さんがしたことは。病院を訪れた後には、必ず近くの神社にお参りをしたそうです。さらに、自宅に帰ったときには、玄関に用意していた塩をからだに振りかけて家に入るようにしたとのこと。「病院では何かが憑依するようなことが起こることに気がついた」と記しています。

 

この、病院から帰ったら塩、とかは、マクロビオティックでも出てくる話なんです。マクロビオティックのとある先生は、病院に行くと自分が陰性さにやられてしまうことがあるから、塩をしのばせて病院にお見舞いとかに行ったほうがいい、とおっしゃっていました。もちろん塩をなめるのもありだと思います。また、塩で邪気を払う、ということもできると思います。

 

寺山さんが書いていたのは、病院とは・・・患者に対して、病院側が常に優位に立つ、という思想のもとに経営されている。ということ。その絶対変わらない、変えようとしない優位性が不満であったと。

 

入院中、病院ではそれぞれの患者に午後3時頃にお茶が配られたそうなのですが、寺山さんは、この時間に合わせてお茶会をすることを思いつき(お見舞いの際にもらうお菓子なんかもたまっていたので)、実際にお茶会を開催します。自分の病室にお茶碗を持ってきてもらって、コーヒーとお菓子を振る舞うのです。

 

なんと…寺山さん、病室でコーヒーを淹れたんですね!!

 

もちろん、コーヒーの香りが、病室のある二階のフロア全体に広がり・・・お茶会は入院していた人たちには大好評だったのですが、そこで登場したのが…婦長さん。婦長さんは寺山さんのお茶会に大変不満で、直ちに中止してほしいと要請。

 

寺山さんが、病院の中でこれほど好評なことをなぜ止めるのかと反対したところ「コーヒーはからだに悪いのです」の一点張りだったそうです。←でも、体にいい飲み物でお茶会開催しても嫌がっただろうに…(^^; ちゃんとした説明ができなかったってことでね

 

また、病院のベッドは長期間寝ていると背骨が湾曲してしまって、寺山さんはそれに苦しみ、(寺山さん曰く「粗悪な賞品を使っていた」らしい…)長時間同じ格好を続けているゆえ、首が圧迫されてやがて手や腰が痛みだしたそうです。

 

このことをT医師に話したら、早速整形外科の医師が寺山さんのところにやってきて、そしたら…何が起こったか。

 

まず首のX線撮影から始まり、さまざまな検査の結果、長期入院患者に怒りやすい骨のたわみからきた痺れだ、といわれたそうです。

 

・・・・・そんなことって、検査しなくても分かることです!!!寺山さんもこれにはまたまた失望。あんなにひたすら検査させられて…誰でもわかることかいという。病院って…ほんとに「検査」大好きですよね・・・。もちろん検査ってすればするほど病院は潤いますし…。

 

握力は病気になる前の半分以下になっていた寺山さん。翌日から首の牽引が始まり、そしたらやがて頭痛がなくなり、肩こりも明らかに改善されてきたので、よかったと思ったら…手にまた痺れが発生してきました。

 

そこで寺山さんが思いついたのが、かつて断食をやっていた時に知った、平床硬枕という健康法。←私も一時期その枕は使ってみました

 

ベッドを平らにして、硬い枕で休むのです。

 

ベニヤ合板をベッドのマットとシーツの間に置き、桐の枕も自宅から持ってきてもらい・・・そしたら、なんということでしょう!頭痛は嘘のように直ちに治まり、手の痺れは取れ、腰の痛みもなくなったというのです。素晴らしい!!

 

喜んだ寺山さん、整形外科医が診察に来たときに、その成果を喜んで話したところ……医師はなんと言ったか。

 

「余計なことはしないでほしい。私が医者なのだから」

 

と言って…彼は怒って帰っていったというのです……。

 

これって…何なんでしょうね。喜ぶべきところを、喜ぶどころか、余計なことするなと叱られる。患者さんのことは一切考えていない。自分が治す、自分の知らないことをするな。許さない。ってことなんでしょう…。

 

婦長さんは、整形外科の医師に、お前の監督不十分という趣旨のことを言われたようで、その後婦長さんはカンカンになって寺山さんのところに来て、寺山さんを怒りつけに来たそうです・・・。

 

いやはや・・・一体何なんですかね・・・。

 

なので寺山さんは、病院ってのは、一体どうなっているのか、と不信感が芽生えていったそうです。

 

また寺山さんは、嗅覚や聴覚が異常なくらいに鋭くなってきたため、病室の臭いに耐えられず、思わずベッドの毛布を持って屋上で寝る、ということもしたそうです。

 

そしたらその行為も病院内に大きな波紋を呼んだそうで…そんなに病院が嫌なら退院するかということで、めでたく(?)退院の運びとなったそうです。

 

自宅に戻り、時間がたっぷりある中…寺山さんがふと気づいたことは。

 

自分の人生で止まることなく動いていた自分の心臓が、急にいとおしくなって、・・・上から当てた左手を通じて、

 

「心臓さん本当にありがとう。今まで一度も止まったことがないんだね」

 

と、心から感謝の言葉をかけたそうです。

 

そしたら何か胸に込み上げてくる感動に涙が出てきて…同じようにして、胃も腸も手も足もみんな生きてきたのだということが分かってきたら、すべてが可愛いと思えてきたのだそうです。

 

次に右胸に手を当てたとき、肺そのものには感謝ができたものの、肺に転移した新しい腫瘍に対しては「ありがとう」という言葉が口から出てこなかったそうです。語り掛ける言葉をいろいろ考えていたとき、突如天からか、

 

「この腫瘍は自分がつくってしまったんだ。自分の悪かった行いの結果である。これは自分の子どものようなものである。いとしい子どもである」

 

という言葉が降りてきたような感じがしたそうです。

 

何かえもいわれぬ感情が胸の中に湧き起こってきて、そして、自分が作った腫瘍に対してかけてあげる言葉が出てきたそうです。

 

「ごめんね、僕のケアが足りなくて、僕が作っちゃった。言ってみれば、僕の子どもじゃないの、愛しているよ」

 

・・・と。そして言い終えたら涙がとめどなく流れてきて、…急に痛みが和らいだというのです。その夜、寺山さんは久しぶりに…ぐっすり眠ることができたそうです。

 

そこで寺山さんは翌日から、昼寝のときでも夜眠るときでも、目をつぶる前には必ず腫瘍に「愛しているよ」と言い続けたそうです。

 

そうやって声をかけると、まるで合図のように不思議と、痛みが減少したそうです。もちろんうまくいかない日もあったけど、だんだんうまくいくようになっていたとのこと。

 

また寺山さんは、食欲がなく、ミネラルウォーターとスイマグだけの生活が4,5日続き、その後は玄米を口の中に入れて、ドロドロになるまで噛んで食べたそうです。

 

そしたらその日を境に、からだがよくなっていくのを感じたそうです。西洋医学的には何の処置もしていないはずなのに、良くなり始めていったのです。

 

さらに…私が驚いたエピソード。ケリー・ターナー氏の本にも紹介されていましたが、寺山さん一家が住むマンションの屋上で、寺山さんはあることに気づきました。

 

いつも鳥たちが可愛い鳴き声を聞かせてくれるのですが、あれだけたくさんの小鳥たちが夜中には寝ていてまったく静かで、彼らはいつごろ鳴きだすのだろうと不思議になり、この小鳥たちが鳴きだす時間を確かめてみようと寺山さんは思いました。

 

日の出の10分前・・・小鳥はすでに鳴いていました。

 

日の出の20分前・・・やはり小鳥たちはすでに鳴いていました。

 

日の出の1時間前・・・は、静寂でした。

 

そして、1羽の小鳥がさえずり始めたと思ったら、途端に木の梢で小鳥たちの大合唱が始まりました。それは、日の出の42分前。

 

鳥たちは、ほとんど日の出の42分前に鳴きだすことがわかったのです。曇りの日であろうとも雨の日であろうとも、それはまったくといってよいほど変わらなかったそうです。

 

なぜ小鳥たちがある時間を境に一斉に鳴きだすのだろうと思った寺山さんは仮説を立てました。小鳥たちが鳴きだすのは、日の出の前に、木の葉から出る酸素に反応するのではないか、と。

 

そこで実験として、家にちょうどインコが3羽いたので、夜インコのいる鳥かごは、いつも黒い布で覆って遮光していたのですが、真夜中12時近くになって、酸素スプレーを鳥かごとは反対方向に向けて噴射してみたそうです。

 

すると…インコが突然!!鳴き声をあげはじめました。2時半に噴射しても…結果は全く同じ。つまり、小鳥は日の出の前42分ごろに、木の葉の出す酸素を呼吸して、歓喜の鳴き声をあげる、ということがわかったのです。

 

早起きは三文の徳、と言いますが・・・この格言は地球上の真理を表していたんですね。

 

この、木の葉が酸素を出し始めるときに…その酸素を思い切り吸うことで、体が喜ばないはずはない。毎朝、そのフレッシュな酸素を体に入れる。それは…お金が一円もかからない健康法だなあと思います。実際朝の空気って爽やかでフレッシュでおいしいですよね。その究極が…日の出前、木々が酸素を出し始める瞬間、小鳥たちが反応しだす瞬間なんですね。

 

また、面白いエピソードだなと思ったのが…寺山さんがフィンドホーンから、国際会議の講演者の一人として呼びたいとオファーを受けて迷っていた時、寺山さんの奥さんは、「そのからだだったらまだ行かないほうがいいんじゃない。そんな遠くにまで言って過労になるとまたがんがぶり返すよ」と言って反対してきたそうです。

 

確かに、イギリスまでですら長距離フライト、さらにそこから乗り継いでアバディーンの方面まで行かないといけないですからね…通常の肉体でもかなりハードです。

 

また、お世話になっていた穂高養生園の福田さんからも、「ちょっと遠いんじゃない。あそこまで行くのは大変ですよね。今の状態だったら無理しないほうがいいと思いますよ」と言われ。

 

マクロビオティックの指導でお世話になった大塚晃史郎さんからも、「まだまだじっくり固めていかなければならないことの方が多いんじゃないですか」と言われ…周囲は全員、反対の嵐!!でも、寺山さんは行きたいと思っていたのです。

 

そこで登場したのが…なんと山川絋矢・亜希子ご夫妻!!

 

山川さんは大蔵省に長年勤務していて喘息がひどくなったので辞めようとしていた頃、そして寺山さんとのつながりは、寺山さんが選挙参謀としてバックアップした政治家と山川さんは東京大学の法学部で同級生、しかも選挙事務所に駆けつけてくれたたくさんの人々の名前を挙げたら、絋矢さんは大変驚かれ、「全部僕知ってますよ!」とおっしゃったとのこと。

 

山川さん、うちの奥さんが最近チャネリングをよくするようになったので聞いてもらいましょうか、とおっしゃり…すると亜希子さんは、こんなメッセージが降りてきましたと。そのメッセージは、

 

「あなたはフィンドホーンに行くことになっています。行くことで守護霊が変わります」

 

…と、いうものだったそうです!!

 

いやあ…ここでまさかのスピリチュアル登場です。いろんな方々が、頭で理性で考えて、行かない方がいい、と忠告してきたけど…でもまずは、寺山さんの心自身は、「行きたい」と思っていたんですよね。でも周囲が反対していた。

 

だけど…やっぱり、自分の心が指し示すほうに行けばいい、ということ。そして見えざる世界は、理性とか常識を超えたところで、魂のメッセージを教えてくれるから…自分が腑に落ちることを言ってもらえたりするんじゃないかなあと。

 

もちろん寺山さんは無事フィンドホーンに行って、素晴らしい体験をして無事に帰国します。そしてますます寺山さんの活躍、飛躍が始まるのです。

 

寺山さんの記録はとても詳細で、読みごたえもありました。でも重苦しくなくすうっと読めました。この本…食の会でどなたかに差し上げたいなと思っているところです。きっとどなたかが興味を示してくれそう。

 

がんが治る。それは…戦いに勝利した。敵を打ち破った!という高揚感よりは…自分自身は、たくさんの愛に囲まれ、包まれ…生かされている。いのちの尊さ。など、光の部分にたくさん気づいていくことなのかもしれないなあ、・・・と思いました。

 

いろんな方のお話は…まさに、単なる闘病記録、ではなく、光の記録、気づきの記録なのだなあ、と感じます。いろんな方々の本が手に入るので、ありがたいですね。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ