4/21(日)は東京浅草にて、イベント出店いたします。
今回は「みんなの癒しフェスティバル」に出店するのですが、いつもと同じく会場は東京都立産業貿易センターです。10:30~17時です。
私はいつもと同じメニュー、スピリチュアルカウンセリング(20分3000円、50分5000円、延長は10分1000円)でみなさまをお待ちしています
空き時間は 10:30~12:30,15:30~17時 です。
イベント当日の空きはまだまだこうしてあるのですが、その他はかなり枠が少なくなっておりまして、イベント前日、20日(土)の羽田空港でのティータイム、セッションは満席となってしまいました
イベント当日の夜の、浅草の某カフェでのティータイム、セッションも満席となってしまい
イベント以外で空きがあるのはイベント翌日、22日(月)の、羽田空港もしくは浅草某カフェでのティータイム、セッションです。
22日(月)は、7:00~11:00(浅草)、11:00~13:00(羽田空港)が対応可能な時間帯です。
東京でのティータイムはベジ弁当はつかないのですが、1時間2000円にて承っております。カフェにての場合は、別途お飲み物代がかかりますのでご了承ください。羽田空港では公共のスペースを使用するのでかかりません(ですので必要な水分はご自分でお持ちください)。
お問い合わせは natsue58@hotmail.com までお願いいたします。
毎週水曜日&毎月第一土曜日はとなみイオンさんにて待機しています。11~16時です。
ただし5月の前半、1,4,8はお休みいたしますのでご了承ください。
メール鑑定、Skype通話セッションは随時受付しております。
全てのお問い合わせは上記メールアドレスにお願いいたします。
さて、小林正観さんの『ありがとうの神様』を読みました。
いろんな項目があり…どれもなるほどと思わせてくれるものがたくさん。やっぱり付箋だらけになります笑
お金に好かれる習慣、という章もあります。
すごく面白くはっとさせられたので…今週あるベジ弁当の会でもちらりとご紹介し、欲しい方を募ってみようかな、と思っています。
子どもをどう育てたらいいのか。そのヒントがありました。
親は、「わが子の一番のファン」であればいい。
あなたのこういうところがステキ、あなたのこの部分がすごいね・・・と、「ひとりのファン」として、我が子を見る。そして喜ぶ。
そうすると子育てというものは楽しくなるし、子どもものびのびと、自分の良さを発揮していく。
赤ちゃん時代って、もうすべてが可愛くて、あ~かわいいね~、かわいいね・・・のオンパレードにもできるけど、段々・・・「早く〇〇しなさい」とか指示、命令なんかが増えていき。そして・・・うちの子はこんなにすごい、よりも、他の子と比べて、あれができないこれができない、あそこの子はあんなにあれが上手なのに、うちの子は・・・と、我が子のダメな点ばかりが目に付くようになっていき。
いや~私もまさにそんな感じの子育てをしてきました
そして、我が子を褒めようにも、自分が褒められて育ってないので・・・褒め方がわからないし、褒められない。・・・できないんです。素直に褒められない。
なので私は…もう息子に今では言うようにしました。「ママは、褒められて育ってないから、褒め方わからんげん」と。
すると最近じゃあ息子は、褒めてほしいポイントで私が褒めないと、「なんで褒めれないの?今は褒めるところでしょ!!」と私に怒って指摘するようになりました
そして私が適当?に言葉を返すと、「今のよくない!!」と即ツッコミが入り、「はい、もう一回やるよ!!」とまさかのテイク2をやらされるという
…でも考えてみたら、そうしてその場で指摘され修正され、そして合格点がもらえるまでやらせてもらえる…って、すごくありがたい気がします。私が必死に?頑張ってテンション上げたり可愛い?声で「わ~すごいね」「頑張ったんだね~
」と言うと、息子は満足げに「うん、それでいいよ(ニヤリ)」と言ってくれるので…それもありがたいなと。
素直に「ママはできません」「ママはこれが苦手」と表明することで、別の道が開けたというか。楽になれた面はあるなあと感じています。
子どものよさを見つける、ってことが、親の役目、仕事なのかなあという気がします。正観さんが言うように、子どものファンになる…その子のよさをこれでもかと見つけて褒めたたえて大好きでいる。ってことですよね。
子どもって相性もあるので、完璧なファンになれるかどうかはいろんなケースがあるでしょうが、その子のよさを見つける。というのは…頑張ってみてもいい気がします。
いいとこ探し。自分の人間性も問われますよね。成績とかスポーツとかそういう「目に見える」「数字ではかれる」ものでしか相手を見れないのか。それとも、「植物の絵を描かせると天下一品」「アリのことを何時間でも見ていられる」「お年寄りに親切」とか、目に見えないものを拾うのか。
正観さんと奥さまは結婚してからなかなか子どもが授からず、ようやく子どもができた、と思ったら、ご長女さんは知的障害を持って生まれてきたそうです。長女さんは自分の名前を漢字で書くこともできないそうです。足し算引き算もできません。
しかし、正観さんが家に帰ると、「パパ~」と言ってくっついて離れなくて、お茶を飲み終わると、またポットのところに行って、お茶を入れて持ってきてくれるそうです。半分くらい飲み終わると、またすぐ足していっぱいにしてくれるお嬢さんだそうです。このご長女さんがいると、その場がぱあっと明るく優しい雰囲気になるそうです。
そして、家で正観さんや奥さまも「ありがとう」の言葉が多かったせいか、お嬢さんは誰にでも「ありがとう」を丁寧に言うらしく、ある時は、駐車場のところに立っていた警備の方を家族で通り過ぎたとき、お嬢さんだけはすぐにわざわざ戻って、「ありがとう」とぺこりと頭を下げてその方に言ったそうです。
正観さんも奥さまも、駐車場のところに立っている人にまでありがとうを言う感覚がなかったけど、我が子に教えられた、と思ったそうです。
お嬢さんは運動会のとき、走るのが遅くていつもビリなのですが、ある時一緒に走る子がけがをしていて、奥さまは、申し訳ないけど、今年は初めて、ビリじゃないわが子の姿を見れる…と期待したそうです。
当日、なかなかうまく走れない友達を見て、長女さんは、何度も後ろを振り返り、その友達を気にしていて、結局その子のところに戻って、手をとって一緒に走り出したそうです。そしてゴールテープ前・・・なんと長女さんは、ぱっと手をはなし、その友達の背中をぽん、と押して、先にゴールさせてあげたんだそうです。
そして…その光景を見た保護者たちがもうわあっとなってものすごい拍手が起きたのだそうです。
それを見て…我が子がビリじゃないほうがいいと期待してしまったなんて、なんて自分は浅はかなことを考えてたんだ、またもやこの子に大切なことを教えてもらった…と奥さまは思ったそうです。
人より先に、とか、抜きんでて、とか…そういうものを越えたところで生きる。ということが人はできる。
数字とか、一番二番とか、そういう以外のところで…人はいろんな輝きを持っていて、その子がいるだけで場が明るくなるね、ということだったり、この子の笑顔が素敵だねとか…いろんなことを見つけられる。
私も…めんどくさい息子だけど、私を召使扱いしてる息子だけど、やっぱり彼のいいところはたくさん思いつきます。・・・あれ?でも面と向かって言ったりとかはしてないな・・・言ってあげたほうがいいんやろか(^^;
ちなみに、私のいいところ、を息子に聞いたことはあります。そしたら奴は・・・
「おれに何でもしてくれるところ」
って、答えましたからね!!なんやそれ!!都合のいい人間てだけやん!!私のよさのピックアップになってないやん!!!
・・・あかん。子どもから親へ、の視点はちょっと歪んでることがあるかもしれん・・・自分にいかに尽くしてくれるかどうか。それが基準になってるケースも…あるのかな…。
本には、お金のことなんかもたくさん書いてあるのですが、正観さんによると、頼まれごとをしても、「好きでやっているのでお金はいりません」と受け取らない人がいるけど、それは「傲慢な人」だそうです。
なぜ「傲慢」なのかというと・・・お金をもらおうとしないから謙虚じゃないの、と普通なら考えそうですが、その理由は、お金を、お礼を受け取らないということは、「自分の手元にあるお金は、自分のもの」と思っているから。だそうです。
「ありがとうございます」と言って受け取るほうが、「謙虚な人」だそうです。
つまり、「そんなそんな」と言って受け取らない、ってことは、その「お金」が自分のところに来て、「自分のもの」になる感覚が前提としてあるから、「いやいやいりません」なんだと思います。
でもお金の持ち主って一体誰なのか。神さまだったり宇宙だったり、みんなのもの。その感覚があれば、お金がいったん自分のところに来たといっても、これは「私」のもの、という感覚にならないはず。あくまで今はいったん、そのお金を自分が「預かる」だけ。
なのでお金を受け取ったら「ありがとうございます」「預からせていただきます」ということであり。
お金は「自分のもの」じゃなく、ただ通り過ぎていくだけのもの、なので、お金を提示されたときは、「ありがとうございます」と頭を下げて受け取り、そして「どのようにこのお金を使うか」を考えて生きていく。そうすればそのお金は生きたお金になる、のだそうです。
なるほど…と思いました。そっか、お金はいりません、ってことは、自分のものになる、って感覚があるからこそ、なのかも?このお金はまた次にこれこれこういうふうに流して・・・という感覚があれば、必要以上に遠慮することはないのかも。
よくスピリチュアルの世界では、お金をもらうべきではないという議論があったりしますが、確かに無料でヒーリングを行ってきた有名な方々もおられますが、ハリー・エドワーズにしてもかなりの収入があったのでヒーリングは無料だったわけで、山村幸夫さんにしてもちゃんと会社での収入があったのでヒーリングは無料だったんですよね。自分の収入を断ってまで無料で行え、ってことではないと思います。
ありがたく回ってきたお金があるなら…それをみんなが喜ぶように、どう使っていくか。自分の贅沢のためだけに使ったり、貯めこむだけだと…流れが滞る。
そういう話があると、「じゃあ自分の贅沢は一切しちゃいけないんだ」と勘違いする人がいますが、そうではなくて、自分の贅沢オンリー、贅沢だけで100%使う。ってことが偏りであり、自分の生活やある程度の贅沢に一円も使うな。ではないと思います。
小さい頃、欲しいものを買ってもらえなかったり、抑圧されてきた経験があると、ある程度は、自分に自分の好きなものを買ってあげる、おさがりとか親の意向が入ったものじゃないもので自分を喜ばせる、という経験、栄養が癒しとして必要だったりもするので、一円も贅沢はダメ、ではなく、あくまでそっちに偏りすぎない、ってことなんだと思います。
正観さんのお金の使い方ってなかなか変わってて…行列ができるおいしい店と、客が少ないおいしくないお店(!)があれば、おいしくないお店に必ず行くようにしているそうです。なぜに!?
正観さん曰く、「おいしいものを食べたいからお金を使う」はエゴであると。お金は「喜ばれるように使う」ものなので、流行っていないお店に使ったほうが、喜ばれると。
1日に200人が並ぶラーメン店よりも、1日に5人しかお客が来ないラーメン店のほうが、自分の払う数百円の価値が違うし、喜ばれ方も違うと。なので正観さんはいつも、ガラガラのお店を選んで入るそうです
これはもう…すごいレベルだなと思うのですが、普通の人は、普通においしいお店に行っちゃっていいんじゃないかなあ、という気はします(^^;
でもお金を、応援のために使う、という感覚ならわかります。私は応援したい人、店、でお金を使って、その人、そのお店、グループに元気でいてもらう。という意識で買い物をしています。安いところで買いたい、ではなく、ずっと元気ていてほしい場所へ行って、応援したいから物を買います。
正観さんレベルは究極レベルだと思うので…全員がいきなりそれになる。が必要っていうよりも、こういう考えを知っておく、やってみたいことを実践してみる。でいいのかなあと思います
いろんな問題に対して、いろんなアプローチってあるわけで、人って何かしら、自分に合ったものを見つけられるんじゃないかなという気がします。
私は欲もたくさんあるし、自分の欲のために使うお金も欲しい、ほんとに俗っぽくその程度の人間です。飛行機にも乗りたいしイギリスにもまだまだ行きたい。…が、その自分の楽しみが、どこかで何かに還元出来たらいいな、という気持ちは持っていてもいいのかなと思っています。自分も楽しく、そしてそれがどこかで還元出来たり回って行くものがあれば…最高だなと。
今だったら、イベント出店のために東京に行くときに、飛行機に乗るという自分が大好きなことを選んで、自分の楽しみとお仕事を混ぜ合わせたりとか。昔は正直、そんなこと想像もしていませんでした。毎月飛行機に乗れる生活をしてみたいなあ、なんて夢想してましたが、今は…旅行だけじゃなくて、イベントとか、自分が何かできることと絡めて、飛行機に乗れるって幸せだなあと感じています。
自分の楽しみを、自分だけで終わらせない形ってあると思えるし、その輪がどんどん広がっていく楽しみも、この世にはちゃんと存在しているのでは。と思っています。
それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしください