聖闘士星矢のアニメを息子のおかげでちょびっとずつ見返して思ったのは、意外とほとんどと言っていいくらい話の流れ、各主人公のセリフを、何十年もたつのに覚えてるもんだなということ。

ベアー檄(コミックスではベアーではなく「ベア」になってた・・・記憶では「ベアー」って覚えてたんですが)の必殺技はあ~「ハンギングベアーだな」とか。聖矢は吊るされてたよなあとか。

ここであーなってこーなって。あんなセリフがあって。そしてコミックスではあんなような絵だったなあとか、もう漫画の絵が脳裏に自然と次々甦ってくるんです。どんだけ好きやってん。どんだけ読みこんどってん。

私が一番好きなキャラクターはドラゴン紫龍でした。鈴置洋孝さん・・・もうお亡くなりになられましたが・・・ものすごくモテてた方だったみたいですね。

ギャラクシアンウォーズで聖矢と紫龍が戦ったとき、ドラゴンの最強の盾で聖矢が太刀打ちできず。

そして・・・聖矢のとった秘策とかももちろん覚えてるし、スローモーションで画面に映し出されたなあとか、全部覚えてます。そして・・・あの有名なシーン、私は漫画の絵をす~~っごく覚えてたので懐かしくて・・・ネットで探しました。コミックスはもう手元にないので・・・。

 

そして探したら見つかりました。

これこれ・・・!!懐かしい!!そうそう!!この粉々に砕け散ったの・・・覚えてます。そして紫龍から流れる汗。車田正美氏の漫画って、なんだか場面場面の絵、が妙に力強く残ってる感じ。

 

そして・・・聖闘士星矢といえば、独特なのが・・・この「汗」じゃないですか?眉間からツーっとなが~~く流れる汗!!!↓↓↓

これだよ・・・これこそが聖闘士星矢!!

龍の右こぶしががら空きになるぜ・・・も、めっちゃ懐かしい!!

「動けないのだ」・・・こうしたセリフひとつひとつがああ、脳裏に残っている。

今あらためてアニメを見返して思うのは・・・作画、確かに・・・・毎回、作画監督がどなたかによって絵にものすごいばらつきがある、ってことです。これは昔は見ていて気づけなかった・・・今はものすーーっごくよくわかります。

 

そして荒木伸吾、姫野美智両氏の作画って・・・本当に美しい。この美しさ、素晴らしさも昔はしかと理解してなかったと思います。今、大人になってあらためて・・・お二人は凄かったんだな。とあらためて感じることができています。

 

 

 

さて・・・参加した瞑想会では、なんと、霊界にいる方に会いに行ける誘導瞑想なるものがありまして・・・まさかそんな瞑想もあるとは知らなくてびっくりしました。

 

今日は愛する人と再会する誘導瞑想をやります。と言われ・・・えっ・・・マジで・・・どうしよう・・・・霊界にいる人で、私が会いたい人は・・・一人しかいない。どうしよう。と思いました。

 

彼女は大学時代の友人で、彼女と出会って・・・私の人生に色が入ったんです。人生っていろんな鮮やかな色があるんだ、と思わせてくれたのは彼女との出会いがあったからです。

 

彼女は私がイギリスに留学している最中・・・突然の脳腫瘍で亡くなりました。なので私は彼女の病院にお見舞いにも行ってないし、死に顔も見てないし・・・お葬式にも行けていません。私が留学するときは普通に元気だったのに・・・。

 

 

大学ではちょうどexam weekで、試験の真っ最中、そして日本とイギリスの時差もあり、葬儀には間に合わない状態でした。

 

・・・私が帰国できたのは葬儀が終わって1週間ほどたった頃でした。

 

イギリスのAFCに行って、ミディアムシップの練習に入ったとき、ペアワークではいつも・・・ちょっとだけ期待していました。彼女が来てくれるかな・・・と。

 

でも・・・私の亡くなった祖父母はよく来てくれましたが、ついぞ彼女は・・・姿を現してはくれませんでした。一番会いたい人なのに・・・。

 

そして、今習っている講座では、特典として、亡くなった方からのメッセージを、ミディアムである講師の方とのセッションで受け取ることができるという時間が各自にありまして・・・じゃあその時間のときに彼女からのメッセージをお願いできるかも・・・でも事前に誰誰って指定は確かミディアムシップではできないんだけど・・・でもお願いはできるかも。と思っていたら、なんと方針が変わって、亡くなった方と繋がるセッションではなく、霊界から(多分ガイドスピリット)、spiritual assessmentとして、今後、どういった方向性がふさわしいかメッセージをもらえる、という時間に変更になってしまい・・・。

 

これって・・・彼女からのメッセージはどーしてももらえないってこと??とちょっとしょんぼりしていたのですが・・・(もちろん有料のミディアムシップをミディアムの方にお願いすれば可能性はあるけど)。

 

まさか・・・まさか。亡くなった人に会いに行ける誘導瞑想があるとは。そしてそのチャンスが今目の前に・・・・。

 

私は誘導に従って・・・・彼女に会いに行きました。

 

でも・・・会いに行く前、霊界のドアを開ける前、私は・・・「会いに行けない」「行くべきじゃない」という気持ちもありました。なぜなら・・・私は彼女に会いにいけるほど、まだ立派になっていないからです。

 

立派というか・・・彼女にふさわしいほど、まだこの世で全然成長出来てもいないし、誰かの役に立つ、ってこともまだまだできていない。できていないことだらけ。未熟さだらけ。そんな状態で・・・彼女に会いに行けるわけがない。ふさわしくない。と思ってしまったのです。

 

もちろん頭では・・・わかっています。霊界の方々はそんなこと気にしないと。生きてる人間が勝手にコンプレックスとかこじらせを作成してるだけで、それは真実ではないのだと。

 

でも・・・なんだか彼女にまだふさわしい人間になれていない自分が恥ずかしくて情けなくて・・・・。

 

それでも、思い切って・・・霊界の扉を開けました。

 

・・・なぜだかわからないけど、勝手に涙が溢れて溢れて・・・わからないけど、涙が止まりません。

 

そうだ・・・私はずっと、彼女に会いたかった。

 

彼女はキラキラしてて眩しくて・・・でも私はあの世の優しさと暖かさに包まれて、ただの人間なのに、彼女の近くに行くことができました。

 

亡き人と語らう時間が少し与えられました。何をしゃべってもいいし質問してもいい時間です。なんであんな早くに死んじゃったのとか、あなたの人生も目的は何だったのとか・・・何でも聞いてもいいんだろうけど・・・私には彼女への質問は、何も出てきませんでした。

 

そんなことより、彼女に言いたかったこと。

 

・・・さみしい。

 

さみしい。さみしい。さみしい。

 

さみしくて・・・たまらない。

 

彼女に会えなくて・・・もう、さみしくてしょうがない!!!

 

 

ずっと心に蓋をしてて、自分でも忘れてしまっていました。そして感じないように、思い出さないようにしていたことを・・・今、20年以上ぶりに、思い出しました。

 

私は・・・彼女に会えないことが、さみしくて、苦しい。さみしくてたまらなかったんだと。

 

ずっと・・・彼女に言い続けました。さみしい、さみしい、さみしい、さみしい・・・・。ずっと、ずっと。

 

さみしいよう・・・・!!!そればっかりを、言い続けました。

 

彼女は優しく・・・聞いてくれました。

 

自分でも知りませんでした。こんなにもさみしい気持ちがあったこと。

 

そしてそれを誰にも言えなかったこと。

 

愛する人を失ったら・・・ただひとつ。さみしい。それだけなんだ、ということ・・・。

 

亡き人があの世で充実した日々を送っていることを想像して・・・とか、そりゃそうなんだけど・・・でも、自分の思いはただひとつ。さみしい。それだけ・・・。

 

さみしくてたまらない。

 

私は自分でも驚くくらい、号泣し・・・・こんなにも嗚咽して泣きはらす、というのは・・・彼女が死んだことを知らされた時以来だと思います。そして近年こんなに泣くことは・・・思い返せません。

 

自分でも笑ってしまうくらい・・・ひとつのセリフしか言えませんでした。さみしい。さみしい。さみしい・・・。ただただ、それを繰り返していました。

 

私が彼女に言いたかったのは・・・それだったんだ。

 

冷静な、理性的な自分は、「私があの世に行ったらいっぱいおしゃべりしたいな」とか言ってるけど・・・本音は、ただ・・・情けないほど、さみしがってただけだった。

 

自分の愚かさが、おかしくもあり。

 

彼女は・・・この世では彼女は夢を叶えることなく亡くなってしまったけど、あの世では、いろんなお仕事、お役目で忙しい感じがしました。そして・・・それが少しさみしくもあり。だって・・・この世にいる私はそれをはっきり見れないから。

 

本当なら・・・彼女が活躍して、多くの人を助け、支え、活動していく姿をこの目でこの世で見たかった。

 

つらいけど・・・私たちは、違う世界に今住んでいる。だから私は・・・さみしいけど、私はこっちの世界で、頑張らないといけない。彼女は・・・私に、頑張ることを望んでいることが、伝わってきたから。

 

頑張る、というのは、無理して頑張る、というのではなく、私が持っているもの、あたわったものを使って、この世の役目をはたしていくこと。私が持っているものを使っていくことを願っているような・・・気がした。

 

だから・・・さみしいけど、私は、頑張らないといけない。だってそれが彼女が私に望んでいることでもあるから。彼女を喜ばせたい。

 

もちろん、彼女の存在だけが今の人生の100%の理由、ではなく、さまざまなものが複合的に絡み合っての今の私の人生なんだろうけど・・・でも、少なくとも彼女が私に、この人生をめいっぱい生き切る、ということを望んでいることは理解できたから。

 

だから・・・彼女が見ていてくれるから、頑張って生きていこうと思う。

 

会いに来てくれないのかな・・・と思ったら、自分から頑張ってあっちに行く。ってことが必要なこともあるのかな。

 

それにしても・・・不思議な体験でした。自分があんなにもむせび泣く、号泣する、ってことも信じられなくて・・・。

 

この世には・・・いろんな面白い体験が存在している、と感じます。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ