おじいさまがまだお若いころ、侍従の方から言われていたのは。『入江相政日記』第3巻(朝日新聞社、1990)に記されているのは・・・

 

 

>1965(昭和40)年3月19日(金)
山田君と面談、東宮さまのところも困ったものである。
『入江相政日記』第3巻、朝日新聞社、1990

 

>1965(昭和40)年3月24日(水)
山田君が来て東宮さまにいろいろ、申し上げたことについての話、
人づかひが荒いこと、つまらない臣下のあらをとりあげないこと、
孝養をおはげみになるべきこと、
常陸宮さまと御仲よく遊ばすべきこと

(『入江相政日記』第3巻、朝日新聞社、1990より)

 

山田君とは山田康彦東宮侍従長のことだそうです。山田東宮侍従長は明仁皇太子が4歳から傳育官だった人でもあるそうです。つまり天皇陛下でいえば浜尾さんのような人にあたるらしい。

その人から、人使いが荒すぎますよ、臣下の欠点をあげつらうことはやめましょう、親孝行にもっとお励みになってください、弟の常陸宮さまとケンカばかりせず仲良くしなさい・・・と言われていて、これはすごくお小さいときに注意されてたんだろうな~と思いきや・・・天皇陛下が昭和35年生まれなので、お子さんが生まれているようなお年で、これらのことを注意されていたとは・・・な、なんか・・・イメージが・・・ガーン
 

ちなみに入江相政氏は長く昭和天皇の侍従(長)を務めた方です。父の為守子爵は歌道の冷泉家出身。また母は柳原前光伯爵長女で、大正天皇の生母・柳原愛子の姪。昭和天皇とは「はとこ」の続柄でした。

 

おじいさまの学生時代のあだ名が「チャブ」だっていうことを知らない方も多い科も……わたしゃその名づけの理由知ったときびっくりしました。だって・・・茶色い豚→チャブ、だっていう・・・ガーン

 

おじいさまは、ご学友であった橋本明氏がその著者で、「高校時代は、ものぐさで、やる気がなく、快楽ばかりを追い回していた」と暴露していましたが・・・同級生と猥談に明け暮れる日々だったとは。でも年頃?なら普通なのかな。そして世襲制の仕事は嫌なものだねとこぼしていたりしたそうなので、あまり天皇というお役目をポジティブにはお若い時はとらえられていなかったのかな。

 

それでも途中から必死にその責務に取り組む。ということはできますし、何にせよ人間は、自分の蒔いてきたものを刈り取る、という宇宙の法則からは逃れられないので、その方の老後を見れば、これまでどんな歴史を積み重ねてきたかわかると思います。あとお顔を見れば、なんとなくわかるものがあるというか・・・若い時は特に女性はメイクの力なんかもありますが、お年を召していくと、もうどうしようもなく漏れ出てくるものがあると思います。

 

私がおばあさまについての違和感を確信させたのも、おばあさまのお顔を見てのことでした。マスコミが報じるような聖母マリア的な?慈愛の母的な?感じのお顔じゃなかったので…あれ?と思ったのです。

 

入江さんの日記はおばあさまについても言及がありますが、例えば昭和38年3月23日は、

 

東宮妃の云はれたことくりかへし考えるが誠に不愉快である。

それが更に仮にさう云はれたとしてもその事が予の耳に届くといふやうなこと昔の側近にはあり得ないことである。

 

東宮妃とはおばあさまのことです。入江氏はおばあさまに対して同情がないようで・・・いろんなお噂が耳に入っていたのか。様々な方々の本が出ていたりするので、そうしたものを全部読み解いていこうとするとほんとに時間がいくらあっても足りませんねあせる

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さて、日本では、お年寄りが一人で暮らしていると、「かわいそう」?と見る視点も多いようです。

 

基本的に、「かわいそう」というのはスピリチュアル的にはあまり推奨されない言葉というか・・・波動としてはそんなに高くない気がします。

 

「かわいそう」と言われて、自分なら嬉しいかな?と考えると・・・あまり言われて嬉しい言葉、ではない気がします。言われたほうがハッピーにならない、楽になれない、ということは波動としてはそこまで高くないフレーズ、と判断できると思います。

 

私がもし・・・「かわいそう」って言われたなら。子ども一人しかいなくてかわいそうとか。あんな子どもでかわいそうとか。アレルギーだらけの子でかわいそうとか。教員やって鬱病になったなんてかわいそうとか。ブログ炎上してかわいそうとか。親子の仲がよくなくてかわいそうとか。あんな太っててかわいそうとか。あんな容姿でかわいそうとか・・・・??

 

まあもし言われても、自分自身で自分のことをかわいそうとは全く思ってなくて、むしろすごい恵まれてるな~~と思っているので…あんまり刺さらないかもですが(^^;

 

でも言われたら、「この人は何を見てるんだろう??」と思うかも。この人は自分の一部しか見てないし、私の心の中までは全くわからないんだろうな・・・と思うかも。

 

老齢の親が一人暮らしをしてたら・・・果たして「かわいそう」なのかどうなのか。

 

かわいそう、と断定する前に・・・一人になった、ということは、それをもっと以前、望んでいた可能性があると思います。

 

宇宙は、時間差で(←ここがポイント)願いを叶えてくれるので、例えば若かりし頃に、あ~もうこんな人と一緒にいたくない‼と願っていたりとか、こんな人といるより一人になりたいわ、と願っていたとすると・・・何年後、何十年後にそれがかなう。という現象が起きるらしいのです。宇宙の法則的に。

 

ちなみに私も、息子に関してそれをしっかり教えてもらえたというか…息子がしょっちゅう悪魔降臨状態になって包丁持ち出したりして大変だったとき、私は・・・心から願ってたんですよね。息子よ家にいないでくれと。この家から出てってほしいと。

 

そしたら高校生になって、もう全然夜家にいなくなって、友だちの家に泊まってばかりという現象が起き。夜中から遊びに行って午前様がしょっちゅうになったりして、ああこれは私が引き寄せたんだよなあと痛感しました。数年前の願いがかなっちゃったと。

 

老齢になって一人。という場合は、それを願ってたり、パートナーへの不満とか悪口をたくさん言っていたのを宇宙がしっかり聞いていて、それで宇宙がそれにふさわしいものをくれた可能性があると感じます。

 

ただ、若いのに突然パートナーが事故で、突然の病で・・・という場合は、スピリチュアル的お役目、突然亡くなることで相手に周囲に伝えたい何か、があるはずなので、自分が引き寄せた、とは違った意味合いになると思います。

 

そもそも、老後で一人暮らしは本当にさみしくて不幸なのか?というと・・・夫婦でいるけど、相手への不満だらけで過ごすのと、1人だけど、何の不満もなく心が毎日穏やかなのと、果たしてどちらがよいか。それは人それぞれ答えが違うと思います。

 

夫婦でいるけど、子どもの家族の心配事ばかりで毎日不安で暮らしてる人と、1人だけど、子どもたちに何の心配もなく心が穏やかな場合と、果たしてどちらが自分は好みなのかも、意見が分かれると思います。

 

そして、本当は心配する出来事じゃないのに、勝手に「心配」と名付けてしまう場合もあると思います。

 

先日も、とある方のお母さまが、お子さんは社会的にしっかりした、自立して老後も安定してる職業に就いたのに、「あの子は結婚してないからかわいそう」と断定しちゃうとお聞きし・・・そうなってくるとそうしたタイプの方は、もうたとえどんなに恵まれた条件でも、絶対何か「不安要素」「かわいそうな要素」を探すタイプの方なんだろうな~と思わされました。

 

結婚してなかったら、結婚してないしかわいそう、不安、心配、とか。

 

子どもがいなかったら、子どもがいないしかわいそう、不安、心配、とか。

 

転職したら、転職なんかしてかわいそう、将来が不安、心配、とか。

 

子どもに子どもが生まれても、その子が不登校だしかわいそう、不安、心配、とか。

 

子どもの、孫の成績があれだから心配、不安、とか。

 

子どもに、孫にいい友達ができるかどうか心配、不安、とか・・・もう延々と心配、不安なんていくらでも芋づる式に作れます。

 

本当は・・・毎日ちゃんと朝目覚めて、目が見えて、耳も聴こえて、食べるものがちゃんとあって、飢えてなくて、屋根のある家があって・・・って、ものすごく幸せなことだと思います。

 

電気もガスも使えて。それは決して当たり前のことじゃないんだ、ってこと、いろんな自然災害があるたびに宇宙は私たちに教えてくれます。

 

あったかいご飯が食べられることも、当たり前じゃない。

 

あったかいものが食べられて、暖房があって、あったかいお湯が出て。…それって当たり前のことじゃないんですよね・・・。

 

ただ現象自体はプラスもマイナスもなくて、そこに意味をつけるのは人間です。

 

病気にしても、病気になったことでものすごく不安、心配だらけにもなれるし、逆につきものが落ちたかのように人が変わる人もいます。

 

病気をちきしょーと憎む人もいれば、病気のおかげでこれこれに気づけたから感謝、と言う人もいます。

 

ガンや病気になっても、「なんで私がガンになったんですか」と意味ばかり探す人もいます。

 

私は何も悪いことしてないのに、なんでこんな病気になったんですか!?なんで私だけこんな酷い目に遭わないといけないんですか!??

 

 

・・・から抜け出せない人も、います。

 

そして、きっと周りにこういう人って思い当たることがあるかとは思うのですが、ひたすらすべてに!!意味を見出そうとする人、すなわち、「意味を絶対知りたい病」にかかっている人?知りたい!!教えろ!!の執着が強い人も、います。

 

スピ界にもいると思います。ありとあらゆることに「これはどういう意味なのか?」を見出そうとする人。・・・私も一時期そんな病気にかかっていましたが、途中で・・・疲れるので、やめました(^^; 

 

全部の意味がわかんなくてもいーやん。人間の脳みそで全てがわかるはずないやん。全ての意味教えろ、知りたい!!って、ちょっと傲慢じゃないかなあ。とふと思ってからは・・・意味はわからなくてもいい。の路線になりました。

 

ありとあらゆる出来事に関して、「これは一体どういう意味なんですか!?」「何か宇宙からのメッセージですか!??」・・・が強い人は、小林正観さん曰く、

 

それは、質問という形をとって、「自分が気に入らないこと」を言っているだけです。

 

・・・だそうです。

 

正観さんって…ズバリとおっしゃいますよねアセアセでもなるほどなあと思ったのです。「どういう意味があるんですか」病の人って、質問、の形はとっているけど…その実は、あらゆることに不満がある。ってケースは・・・確かにあるんじゃないかと。

 

でもそういう人を責めろ、ということではなく、あ~自分の周りにもいるわ、そういう人…と思ったら、人の振り見て我が振り直せ、じゃないですが、自分自身気を付けようと思うことはできると思うのです。そっか、意味を知りたがる執着、に気を付けようと。

 

宇宙は・・・すぐに意味を教える。ってことはない気がします。

 

おそらく、死んでからじゃないと教えてくれないもの、もた~~~っくさんあると思います。というかそっちのほうが多い気がします。

 

生きている間にわかる意味は・・・おそらくほんのちょっと。でもそれに不満を持たない。それに不満てことは、宇宙に対して不満をぶつけることになるんじゃないか、という気がします。

 

正観さんの本によると、「これこれの出来事が起こった、これにはどんな意味があるのか」と言うこと自体、現象を否定していて、「その意味が、その意味が」と言っている人は、気に入らない、気に入らないと言っていることと同じだと・・・そうなると、そういう人が宇宙からいろんなラッキーを受け取りやすいか、というと・・・いろんな人からのラッキーをもらえそうかというと・・・難しそうな気がします。

 

そうなると…スピ的な力がすごい、と言われている人でも、「あれの意味が」「これの意味が」ばかりな場合・・・「意味を絶対全部知りたい病」の人も、もしかしたらいるのかも??(全員という意味ではありません)すると、その人のことも違って見えたりもするのかなあと。

 

ちなみに三浦綾子さんは、結核、ガン、パーキンソン病になっても、「これはどういう意味があるの」といちいち問いかけなかったそうです。「そこから先は神の領域」という思想があったので、心穏やかに過ごすことができたそうです。

 

意味を知りたい、というのは私は自然なことだとは思っていて、それ自体は別に問題ないかなあと思うのですが、それの分量が極端に多い、というケースはあると思います。

 

こういう話があると「じゃあ一切合切意味を求めてはいけないのか」と断定する人もいるかもですが(お肉はダメなんですよね!!白砂糖は絶対ダメなんですよね!!・・・みたいな(^^;)、お釈迦様レベルなら一切の「思い」を捨てればいいとは思いますが、ごく普通の人は・・・意味を知りたくなることっていくつかはあると思いますし、でもそれだけばかりにならなければ大丈夫だと思います。あくまで偏ることに注意すればいいだけのことで。

 

偏らなければ別に問題ないし、偏ってたら…執着心。ってことなのかなあと思います。

 

全部に意味を見出そうとする人を、尊敬するもよし。そっち側の人間になって、我々は全ての意味を把握している!!わからないことは我々にはない。の路線が好きな人もいれば、いや~別にわかんなくても・・・いいんじゃね?私にはわかんないですわ~。の路線の人もいると思います。どっちの路線をいつどんな時期に選ぶのも自由。途中で路線が変わるのも全部自由です!

 

個人的には、どっちも経験しておくと、どっちの気持ちもわかりやすいかなとは思いますし、幅が広がるかなと思います。

 

私たちは自由なので・・・いろんな考え方、路線、グループ?にしても、入ったり抜け出たり、それこそ自由なんだろうなあ、という気がします。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ