毎月第一金曜日は金沢市内の町家にてマクロビティータイム、スピリチュアルカウンセリングをご予約制で受付する日なのですが・・。

3月の受付日はすでに満席となってしまいました。

ゆえに現在の受付は4月分、4/5(金)です、

マクロビティータイムは1時間2500円でベジ弁当(肉、魚、卵、乳製品不使用、化学調味料も白砂糖も不使用)がつきます。ベジ弁当はお持ち帰り用の容器に入れて準備も可能です。

 

スピリチュアルカウンセリングは20分3000円、50分5000円(延長は10分1000円)です。

 

特にリーディングしてほしいことがないという方はティータイムを選択されますが、両方を一度にご予約される方も多いです。例えばティータイム1時間+セッション20分など。

 

そしてベジ弁当は追加での注文も可能です。追加の場合はおひとつ1000円にて承っております。ですのでティータイムでご予約し(お弁当はお持ち帰りにしておき)、家族の分のお弁当を追加でご注文される方もおられます。

 

スピリチュアルカウンセリングにはベジ弁当はつきませんが、おひとつ1000円でお持ち帰りのお弁当はいくつでもご準備可能です。

よふ葉さんは築120年を越える町家で、夜はお酒を楽しむ場ですが、日中は誰でもレンタルできるスペースなのです。持ち込みも可能です。

このよふ葉さんの雰囲気がとっても素敵で・・・いつまでもいたい。って感じになりますにやり

駐車場はありますので車でお越しになれます。

 

4/5(金)ですが実はすでにご予約は入り始めていて、空き時間は

 

14:20~

 

となっております。

 

お問い合わせはメールにてお願いいたします。

 

 

ダイヤグリーン毎週水曜日と毎月第一土曜日はイオンとなみにて11~16時待機しています。

3/2(土)も待機日ですが、この日は時間を短縮し、11~15時の待機時間とさせていただきます。どうぞご了承ください。

ダイヤグリーン毎月第一日曜日は白山「Qui」さんにて11~16時待機しています。

次回の待機日は3/3(日)です。

ダイヤグリーン3/16(土)は富山県中新川郡にあるシフォンケーキのお店Breezy Heartさんにてイベントに出店します。10~16時です。

空き時間は11~15:30です。

ダイヤグリーンメール鑑定、Skype通話セッションは随時受付しております。

お問い合わせは natsue58@hotmail.com までお願いいたします。

 

 

さて・・・昨日に引き続き、岡本太郎氏の『自分の中に毒を持て』よりいくつかの引用をば。(本はお嫁入先が決まりました、ありがとうございましたにやり

 

岡本氏はある時、とある身体障害者の音楽家のコンサートに行ったそうです。その音楽家の方は筋が委縮する病気で、手足とともになえて、ひん曲がっており、顔の色つやはいいものの、体が痛々しい感じがしたそうです。

 

その人は車いすに乗りながら、ハーモニカを吹いて聞かせてくれたそうです。その人の作曲した曲だったそうです。やがてオーケストラと歌手がそれに合わせて歌い始めます。すると・・・彼の頬には涙が。

 

 

「ぼくは異様な感動をおぼえた。

 

曲や、涙にではない。

 

この、一つのささやかな運命がクライマックスに達した瞬間。象徴的な瞬間にである。

 

あのゆがんだ手、足。動かない、もどかしい、ひんまげられた人生。ぼくはそこに、逆になまなましい『人間』の姿を見る思いがした。

 

このように残酷化されているが、実はこれこそ人間そのものの姿ではないか。

 

人間だれでもが身体障害者なのだ。

 

たとえ気どった恰好をしてみても、八頭身であろうが、それをもし見えない鏡に映してみたら、それぞれの絶望的な形でひんまがっている。

 

しかし人間は、切実な人間こそは、自分のゆがみに残光な対決をしながら、また撫でいたわりながら、人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ。

 

人間は確かに他の動物よりも誇りをもっているかもしれない。

 

しかしその誇りというのは奇怪な曲折を土台にしている。

 

悲しみ、悔い、恥じる。あるいは無言に、また声をあげて。

 

しかしそれも人生の一つの歌にすぎない。

 

自分のひそかな歪みにたえながら、それを貫いて生きるしかない。

 

そして救われたり、救われなかったり。

 

目をこらして見れば、それがあらわに人間生活の無限のいろどりとなっているのが見えるだろう。

 

 

・・・・・

 

・・・岡本氏のことばは、熱く、そして、いのちへの賛美に溢れている気がします。

 

私たちは・・・どんなに完ぺきに素敵に見える人だって、自分で自分のここは嫌だ、美しくない・・・と思っている部分があると思います。それは外見的なこともあるだろうし、内面的なものもあると思います。

 

実際にスピリチュアルカウンセリングでも、これは今まで誰にも言ったことがなくて・・・初めて言うんですけど・・・、と、身体的なことでの切実なる悩みを打ち明ける方も何人もおられます。

 

そして正直申し上げると、こちらからは実は全く気にならないことで・・・でも、ご本人にとっては、ほんとに苦しくて苦しくて、気になって気になって・・・大きな悩みとしてずっと耐えて来ていたことなのです。

 

その時思ったのは、人はそれぞれ、他者にはわからない苦しみがやはりあるし、それは体のことという、一見、外からは何も問題ないじゃない、と思えることでも、自らの視点を持ってすると(あるいは過去に誰かに言われた言葉がきっかけで)、解決しようのない問題点、苦しみ、重荷、十字架となってしまうことがあるんだなと・・・。

 

モデルのような外見の人でも、実は、その人にとっては、自分では耐え難い欠点を自分で密かに抱えていたりするのかもしれない。どうして自分はこうなんだと。

 

岡本氏の言うように、人生の中でわたしたちは、そうした「自分の鏡」に映し出すと、もう絶望的なひん曲がった部分、が見えてしまうわけで・・・でもそれが救われるときもあり、救われないときもあるのであり。どっちの瞬間もおそらくみな経験するのだと思う。

 

ずっと救われない瞬間ばかりではないはずで。救われる瞬間もたくさんあるはずで。そして、どちらも経験するから・・・きっと私たちの人生は、ますます彩りが深く鮮やかになっていくんだろうと思う。

 

岡本氏の印象的なフレーズは、芸術は爆発だ、だけではなくて・・・この本にもありましたが、

 

 

「芸術は呪術である」

 

 

・・・も、これって名言な気がしました。

 

岡本氏曰く、「その呪力は無償のコミュニケーションとして放射される」のだと・・・。そして「無償でなければ呪力を持たない」のだそうです。

 

これをもらえるから、この芸術作品を作る。・・・じゃないですもんね。有償では存在できない。無償だからこそ、人を圧倒的なパワーで動かすことができる・・・。

 

芸術の世界で生きるとき、いろんな生き方ができると思います。いわゆる長いものに巻かれる感じでうまく泳いでいくこともできるだろうし、岡本氏のようにあらゆる機会にNoを発信し続け、それじゃあ抹殺されるよ、と周囲が忠告しても、自分を貫くことをやめないという生き方もできる。

 

全ての人が、彼のような熱量で人生を生きるべき、とは思わないけれど、でも・・・彼の生への賛美、渇望、情熱は・・・多くの人にインスピレーションを与えると思います。

 

どういう生き方もありだと思います。発信し続ける生き方でも、発信は特にしない生き方もありで。なんとなくほわ~んと漂う生き方だって、そういう生き方をしてこそ過去のカルマが解消される魂だってあるはずで、彼が全ての人のロールモデルになるというわけではないにせよ・・・。でも、彼の言葉がものすごく響くのは、彼がそれほどまでに真摯に、その「いのち」を燃やしたからなんだと思います。

 

嘘のない生き方をする。自分に対して。

 

そういう生き方をする人のことばは・・・きっと多くの人の胸を打つ気がします。

 

・・・やはり、壮絶な体験がある人は、その分、他者に対して発信できる力がすごくあるなと感じます。

 

表大なれば裏もまた大なり。

 

年をとればとるほど、この言葉の意味がしみじみとわかるようになってきた気がします。

 

大御所とか、ものすごく影響力のある人って・・・過去に壮絶体験をしていることが多い。岡本氏の両親なんて・・・きっと今の時代でいえばネグレクト的な感じだったのでは。母親はお世話は一切しなかったみたいですし。自分の執筆のために息子が邪魔でうるさいから柱にくくりつけて泣いても喚いても一切無視して自分のことをやってたそうですし・・・。

 

明石家さんまさんなんて・・・あれほどの壮絶体験はまずなかなかない。義母が一切自分に対して笑わない。そして最愛の弟が火事で実家の工場ごと死亡・・・だけどどうやら弟さんが火をつけたらしいですし・・・。弟が実家の工場ごと焼身自殺って・・・そんな過去を持つ人はまずいません・・・だからこそあれほどお笑いの芸がものすごい人になったのではないかと思うし(裏が大なので表が大になる)、起業して成功した人って、過去にものすごい借金を背負って・・・という過去を持っている人が多かったりする。そこからの逆転人生的な。

 

ヒーラーとして素晴らしい人格、霊格を持っている方にしても・・・過去の経験が壮絶なことが多い気がします。ハードな経験を持っている方って・・・その分他の方へ伝える力、役目って大きくなる気がします。

 

それを考えると・・・自分って、ほんとに大した経験をしてきてないので・・・だから自分ってあんまりいろんな力とかってないのかも。なんて思うことがあります。かといってじゃあ今からものすごい壮絶体験をして・・・というと怖くて受け入れられない気がします(-_-;)

 

・・・じゃあやっぱり、多くの方に寄り添える懐の深さとか、スピ的能力とかって・・・小さい小さいサイズなんやろな・・・と思うのですが・・・。

 

かといって、じゃあ自分が何もできないか?・・・とも、思えない。気がする。

 

この程度の苦労しかしてきてない自分だし・・・薄っぺらいとか浅いとか、そんなことはしょうがない。でも、そういう甘ちゃんな自分でも、何か・・・できるんじゃないか。誰かのために何かをできるんじゃないだろうか。

 

やりたいことを、誰になんと言われようとやる。

 

・・・それは、どんなことでも、どんな大きさでも、どんな分野でも・・・自分の「いのち」を大切に輝かせる。いのちを燃やす。ってことなのかもしれない。そんな気がしました。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ