息子が台湾へ行ったときの写真がまだ残っていました。

悔しいけど息子はけっこういい写真を撮る。気がする。

手相で見ると、私は海外に行くというか、旅行運がけっこうある感じ。実際留学したりイギリスには10回以上行ってたり、国内旅行もそこそこ行っている気がします。

手相を見たら(私は手相は専門ではありませんが、マクロビオティックの講義では手相の講座もあるのです)、息子もまあまあ旅行運があります。そして実は夫も。息子が0歳の時から、毎年家族で春休み、夏休み、冬休みのたびに旅行してたなあ。飛行機も毎年必ず最低1回は乗り。なので息子は生まれてから相当数飛行機に乗ってると思います。途中から毎年海外連れてったなあ。ブログ記事にも書いてきました。

今は正直休みのたびの旅行とか毎年の息子連れての海外とかそんな余裕はなく…まあ私一人でどこでも行けるようになったら、もう一人で行きます状態になりましたDASH!

息子とはもう最近一緒に旅行はしてませんが、彼は友達同士であちこち行くようになったので(青春18きっぷ使ったりして)楽しそうです。もう家族旅行って年じゃなくなったんだなあ。

ただ、「劇団四季見たい」とは…よくリクエストされます汗「ずっと言っとるんに、いつ連れてってくれるん??」と…。家族3人分のチケット代だけで相当するから、もう最近は関東観劇ツアーはせず、もっぱら地方公演のみになってるんですが、息子はとにかく美女と野獣が見たいと・・・。

うーむ。息子も高校卒業するし、最後?に、何か考えてもいいのだろうか。

台湾移動中の車内。

台湾行く前に息子がスーツケースで大暴れしたのも懐かしい思い出です苦笑

息子は修学旅行から帰ってきても、特に体調を崩したりもなく普通でした。夫は遠方に行くと必ずといっていいほど体調を崩すので、そこは夫と似てなくて一安心。

今の時代は高校生が普通に海外に修学旅行に行くので、保護者も大変だなあと思いました。金銭的にも全然違ってくるので…。

台湾といえば…もう石川県人は必ずここには行くのかな。烏山頭ダムと八田與一宅。

八田與一は、台湾で不毛の大地と呼ばれていた嘉南(かなん)平原に、堰堤長1,273mという当時では東洋一の規模である「烏山頭(うさんとう)ダム」と、総延長16,000kmにおよぶ給排水路を完成させたことで有名な人です。これにより嘉南平原は台湾一の穀倉地帯となったとのこと。「台湾の大地を潤した男」としてふるさと偉人館では紹介されているのです。石川県人はみんな知っている人だと思います。

なので台湾への修学旅行ではけっこうよく訪れる場所なんじゃないかと。私の母校、かつての勤務校でも、台湾への修学旅行で八田與一がらみのスポットは必須でした。高校は八田氏の母校でもあったので(旧制中学の時代ですが)。

 

昭和5年に完成した烏山頭ダムですが、八田氏は当時ほとんど使われていなかった大型土木機を47種類取り入れ、工事を早く進めたそうです。

また、工事で働く人だけでなく、その家族も一緒に住むことのできる町を烏山頭につくったそうです。與一氏は、「よい仕事は安心して働ける環境から生まれる」という考えを持ち、宿舎のまわりに学校や病院、テニスコート、プールなどもつくったそうです。彼自身も工事期間中、家族とともにこの町で生活したとのこと。

ちなみに八田與一氏の命日は私の誕生日と同じでした…。彼はフィリピンに向かう途中、アメリカの潜水艦に船が撃沈させられ、56歳で殉職しています。

八田輿一氏は、熱心な仏教徒であったとも言われています。與一氏は弱者を救済するとともに、リストラにあった人たちの就職活動に進んで斡旋を行ったそうです。そして、その人たちを最優先で烏山頭ダム事業の職場に復帰させたとも。

與一氏の夫人像。外代樹さん。

奥さまは、夫の與一氏が56歳で殉職し…その後、後を追うかのように、烏山頭ダムに投身自殺してしまいます。

 

でも、すぐに後を追ったのではなく、夫の死後3年間、終戦まではじっと耐えて過ごします。長男は学徒動員で戦地に行っていて、その息子が8月31日、無事帰って来たのを見届けて…その次の日。彼女は夫の手掛けたダムに身を投げたのです。黒い着物の正装で、飛び込んだ場所には草履がきちんと揃えてあったそうです。

とても美しい方だったことが写真からもわかります。そして美しいだけではなく、父親が開業医だったのですが、成績も優秀。女学校時代は、最終学年では学年トップの成績だったそうです。

最初の年は「乙」で、評価も「普通」ってのが面白い。と言ったら失礼かなDASH!勤勉さはずっと変わらず。そしてそんなにおしゃべりではなく冷静沈着、真面目な性格だったのだろうか。

與一氏との間には二男六女の子どもたちが生まれ、幸せの絶頂だったはずなのですが…。

 

最愛の夫を失い、生きる意味が見つけられなくなったのでしょうか。長男が帰ってくるまでは。それだけを思い、必死に自分を立たせていたのか…。夫を突然失うのももちろんつらい。しかし、突然母を失うのも…とてつもなく、つらい。

 

長男の晃夫さんは、「突然死んだ母を、長いこと恨んでいた」と語っていたそうです。・・・過去形だから、途中からは許せる気持ちが生まれたのだろうか。

 

やっと日本に帰ってこれた。やっと家に帰ってこれた。何年ぶりの我が家。・・・そしたら次の日に母親が投身自殺、は…子どもにしたら、つらすぎる傷となったと思います。恨んでも…仕方がない。

しかし…あの世にもちゃんと、救いと許し、チャンスが存在しています。お互いの思いを垣間見る、そんな機会も生まれただろうか・・・。

 

八田與一氏の功績がよく事前学習でフォーカスされるのですが、私は個人的に、奥さまのことが気になってしかたなくなりました。45歳での死。

 

お子さんたちにとってはつらすぎる出来事だったと思いますが…でもやっぱり、外代樹さんも頑張った。と思うのです。心は死んでるのに、でも…3年間、耐えた。3年間…必死に命を繋ぎとめてたんだろうなあ、……と、思うのです。

 

 

ダイヤグリーン4/21(日)は東京浅草にてイベント出店いたします。10:30~17:00です。

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さて、スピ界でも一般?の世界でも、たくさんの方々が、それこそいろ~んな波動で存在していますが、できれば…ちょっとでも波動が高い人と一緒にいたいな。波動が高めの人といる生活にシフトしたいな。と思う時もあると思います。

 

ひとつの目安として、こういう人はまだそこまで波動は実は高くない(自分はすごい人間だと自称他称があっても)、という見分け方?を記しておきたいと思います。もちろん自分のチェックにも使えます。自分てどのへんの段階にいるのかな~と。

 

小林正観さんの本に書いてあったことなのですが、私自身すごく納得できたので紹介したいと思います。

 

段階は3つの段階に分けられます。

 

まず・・・第一段階レベルの人。

 

第一段階レベルの人は、

 

この世は、修行の場である

 

と、認識しているそうです!

 

…いませんか?周囲に??たいてい思い浮かべられる人がいると思います・・・。

 

目の前の現象は全て、この私への修行なのだ。いかなる苦しみも悲しみも、乗り越えていくことが大事。価値がある。なんなら、修行している自分はすごい。と思っている人もいるかも・・・(全員ではありません)。

 

この世は修行ばかりでつらい。ああつらい。大変。という状態の人もいると思います。そして、修行ばかりでつらいよね、あなたも私も、と、お互い「修行」「試練」をキーワードに友情をはぐくむ。なんてことも起こりうると思います。(そしてそれが心地いい人は、ずっとこの段階で留まろうとしたりもすると思います。そしてこの段階から抜けようとする人をめちゃくちゃ批判したり、攻撃することも…あるあるだと思います)

 

いや~私もかつてどっぷりこの段階でした。この世は修行。とにかく修行。…ブログ初期の頃も、それがけっこうにじみ出ちゃってるかも?なので最初の頃は私のブログは厳しい雰囲気が出てしまっていたようです・・・。

 

 

ここまでは第一段階。次の第二段階レベルは・・・

 

この世は、喜びの場である

 

と、認識しているそうです。

 

私たちがこの世に生まれてきたのは、いろんな喜びを味わっていくため。たくさん楽しさ、喜びを受け取っていい。いろんな喜びや幸せがこの世にはある。それを感じられる状態が、第二段階レベルだそうです。

 

正観さんによると、100点満点中だとこの段階は66点とか67点まで来てるそうですよにやり

 

周りにも…見つけられるのではないでしょうか。単なる享楽、ではなく、この世の喜びを味わっているかのように見える人。自分自身も、最近自分が喜ぶことを自分にあげられるように、許可できるようになったなあとか、変化を感じる人もいるかもしれません。

 

私自身も、ちょっとこの段階に入れてきた気がしています。この世はとにかく大変大変、じゃなくて、こんな喜びも、あんな幸せも輝きも、いろんな光がたくさんあることに気づく。この世って美しいな。そう自然に思える瞬間が増えてくる。

 

ちなみに、これは私の勝手な感想ですが、よくある陰謀論ですが…陰謀論の注意は、この、この世は喜びの場である、という認識につながりにくいことがちょっと問題点だなあと感じています。

 

周りにいたりしませんか?陰謀論大好きな方とか…。

 

陰謀論が悪、というわけではなく、それがメインの思考になると、どちらかというと波動的には第一段階レベル、つまりこの世はいろんな苦しみとかネガティブとかが潜んでて大変なものである、という認識に近づく、留まるのではないかと…。

 

陰謀論大好き、陰謀論メインで生きてます!という方で、めっちゃ波動高い感じが出てる人なら、全然問題ないと思います。口を開けば陰謀論が次から次へと。話題はいつもそれ。でも、その人の近くにいるとなぜかハートがじんわりあったかく…とか、なんだか癒される。部屋の空気が明るくなる。エネルギーが軽い。・・・と感じられるなら、陰謀論大好きでも全く問題ないと思います。でもそうじゃなくて、ちょっと重い感じがするなら・・・陰謀論大好きグループとは、距離を置いていいのだと思います。

 

別に常にお花畑でいなさい、という意味ではなく、知っていることは知っておきつつ、でも知ることで、情報を得ることで自分の波動を下げない。が望ましいのではないかなと。いろんな情報を知ることで自分の波動を下げるくらいなら、それって地球への宇宙へのマイナスの貢献になってしまうので、それなら何も知らないほうが、波動もエネルギーも下がらなくて、そっちのほうがこの地球と宇宙に貢献できるので、そちらのほうがプラスな気がします。

 

でも「あの人は陰謀論者だからダメだ」と批判、否定のエネルギーが強くなると、それも自分の波動を下げますから、好きじゃない、はOKで、でもずっと批判する。は必要ないのかなと思います。

 

 

そして・・・第三段階レベルになるとどうなるか。

 

第三段階レベルの人は…

 

 

この世は、感謝の場である

 

 

と、とらえているそうです!

 

この世は修行の場でもなく、幸せや喜びを感じて終わり、でもなく、実は・・・感謝の場であると認識すること。

 

例えば、自分が病気になったり会社が倒産したりするとします。

 

第一段階レベル以前の人は、「なんで私がこんな目に遭うんだ」と不満、愚痴が多いと思います。

 

そして第一段階レベルの人は、こういう試練に私は耐えなければいけないのだ…(不満だけど)、と、これは試練なのだ、「我慢」しなければいけないのだ、と捉えるかもしれません。

 

しかし第二段階レベルになると、この病気になったおかげで、これこれに気づけた、これもできた、とか、この会社がなくなったからこそ、この新しい仕事に出会えた、こうした人たちに出会えた、と思えるようになると思います。

 

ガンの末期と診断されても、富士登山に行き、ついにはヨーロッパでモンブランまで登頂した女性は、「ガンになる前より、ガンになってからのほうがずっと幸せ」だと語ったそうです。ガンになって自分は不幸だと捉えるのではなく、このおかげでこんな喜びが生まれた、気づけた、ヨーロッパに行くなんて以前の自分には考えられなかった、という捉え方ができる。

 

そして第三段階レベルになると、会社が倒産したから、リストラされたから、職を失ったからこの天職、天命に出会えた、感謝、というふうに感じたり、ガンになったからこそこれに気づけた、と感謝するようになったり・・・「感謝」が増えてくる。つまり、「会社の倒産」や「病気」に「感謝」できるようになる。

 

これは・・・いろんな方が、ああなんだかわかるなあ、と思えたりするのではと思います。完璧な実践、は別に目指さなくても大丈夫で、自分の中に、「ああ、なんとなくわかるかも・・・」というものがあればOK。

 

私も、なんとなくわかるものがあります。私はうつ病になったとき、本当にこの世の終わりみたいなしんどさがありましたが、今は…うつ病になってよかった、と思っています。うつに苦しむ人の気持ちが少しでもわかる自分になれたことが嬉しいのです。そしてそれまでの私は努力で何でもできる、と勘違いしていたし、頑張らない人間を見下していたほんとに嫌な奴でした。…が、うつ病になったおかげで、頑張りが全てではない、頑張れないときもあるし、頑張らなくてもその人の価値、よさ、光は失われない。ということに気づくきっかけをもらえました。

 

なので私自身、世間ではマイナスにとらえられがちなうつ病ですが、私にとってはほんとにありがたかった存在と今ではなりました。

 

私の父はがんサバイバーなのですが、がんになってからの父は・・・まるで人格が変わったかのようで。母親や家族に「ありがとう」を言うのなんてそれまで見たことなくて、いつも眉間に皺寄せて怒鳴ってたイメージしかなかった父が…今は普通に私にも母にも「ありがとう」と言ってくれる。実家にいくたびに「ありがとう」と言って見送ってくれる。・・・こんなすごいことがあるだろうか、と思いました。

 

がんって・・・すごい。すごい力を持っている。私は父を見て、がんへの認識が一気に変わりました。がんって光なんだと。

 

実際父は、今では家業も畳み、でもがんサバイバーとして患者さんの話を聞くボランティアをやったり、趣味の音楽も習いに行く時間ができ、その演奏活動もしているし、仕事に追われていたときより全然父らしいというか、幸せそうに見えます。なので、がんになってからの父もちゃんと幸せ、だと心から思えています。そしてそういう姿を見せてくれた、自分の体を使って教えてくれた父ってすごいな、ありがたいな・・・と思っています。

 

きっといろんな方が、自分や身近な方の例を見つつ、この第三段階というか、「感謝」のエッセンス、考え方捉え方を教わってきていると思うのです。

 

そしてレベルが高い人は…いやさすがにこの出来事には「感謝」は難しいでしょう。という出来事が、人生に降りかかってくるのだと思います。この出来事にすら感謝できるようになる自分、を計画していたのではないかなあと。

 

風邪ひとつでも、「あ~やだやだ」と感謝できない人、「体が頑張ってくれてる、高熱でデトックスもできる」と感謝できる人がいると思います。さらに、少し重い病気にかかって、そうしてその病気になった自分の不幸を嘆き続ける人、この病気になったからこそ…と感謝に達する人。

 

一生涯続く不調や障害、不幸。それでも…感謝できる人もいると思います。この世はみんな、いろんなレベルの問題集にみなが取り組んでいると思います。そしてみんな、自分のレベルに合わせた問題集にちゃんと取り組んでいます。みんな頑張ってます。

 

なので…大変なことがその人の身に起きると、その人は、それだけ大きなものすら乗り越え、感謝できるレベルを目指している人…とも言えるかもしれません。だからすごい人だなあと思います。

 

翻ってみると、私自身…たいした苦労もせずここまで来て、だからきっと自分の魂のレベルとしては、甘ちゃんなんだろうなと思います(^^; でもそれはしょうがない。今の自分はそれなので。

 

自分への愛の実践は・・・人と絶対、比べない。ということ。

 

比べるなら過去の自分と比べる。10年前の自分と比べる。

 

あの人と比べたら私なんて…と、一瞬なら思ってOK。でも次に、ちゃんと過去の自分と比べてあげる。そしたら・・・あれ?10年前の自分より、マシになってるんじゃない??ってことに、気づけたりします。

 

自分を愛せている人は、自分を他者と比較しない人。なのだと思います。

 

自分をどう愛したらいいか?

 

ひとつのヒントは、「絶対、何があっても、他者と比べない」。の実践なんだろうなと思います。

 

自分への愛を忘れず、そしていろんな出来事に感謝を忘れず。それを少しずつでもしていったら、この世って…やっぱり、光が多い場所なんじゃないかな、と思います。

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ