ちょっとした噂。

一般人になられたご長女さんの噂ですが、小学生の時同級生に背中から蹴りを入れて前に転ばせて傷を負わせて、治療費は出したけど謝らずなぜか被害者のほうが転校する羽目になったとか。

 

プロレスの技をおうちの職員の方にかけて職員の方が大変なことになったらしいとか。結婚したい!って時も相当お暴れになってたとか…まあネット上の噂です。

 

でもご長女さんて武闘派っぽいというやんちゃ伝説は週刊誌にも載っていました。

小学校3年生のとき、ランドセルをしょった子を後ろから背中に蹴りを入れた。思わず這いつくばったその子を尻目にご長女さんは「ケラケラ笑いながら走っていかれた」そうです・・・。

 

まああくまでネットの噂だったり週刊誌のお話ですが、武闘系なのはそうなのかもしれん。筆跡から何かわかる人もおられるかしらん?

↑イギリス留学を終えた感想みたいなものなので、大学生の時の字です。

 

皇族の方っていろいろ報道されたりします。まあショッキングなのはお父さまのソープ見学?の報道ではないでしょうか。

本当かどうかわかりませんが、隠し子疑惑もず~っと消えないお方です。ソープに行くのが、見学?するのがいい悪いというよりも(それ自体は悪ではないと思います)、そういうお噂が若い頃から出ちゃうタイプ。ということであり。それくらい、お付きの方々を振り切る時間とか過去が多かったんじゃないかなあ。どっか行っちゃった、どこいるかわかんない、みたいな。

 

でもこの方のお父さまも、銀座で仲間と一緒にお付きの方をまいて逃亡したことを同級生から暴露されてますしねえ。親子なので何も言えないのでは。でもお父さまは成人してからはないのかな?次男の宮さまは、どうせおれは皇太子にはならないってことで好き放題しちゃったのかなあ。あとは…もともとの性格、なのかな??

 

 

さて、チンパンジーやオランウータンなどの動物と、人間の違いについて。別にチンパンジーが下等というわけではないのですが、わかりやすい比較として取り上げてみます。こうした動物と、人間の違いは何か?

 

それは… 感謝の心 があるかないか、です。

 

ゴリラとかオランウータンとかチンパンジーとか…他のどの霊長類にも、「感謝の心」はないのだそうです。仲間が喜んでるから、自分も嬉しいとか。誰かが喜んでくれたから、ありがとう、と感謝するとか。この「感謝の心」は・・・人間にしか備わってないそうなんです。

 

ということは、「感謝」ができない人って・・・キツイ言い方をすれば、まだ人間に達してないレベル。なのかもしれません。人間、として成長する途中の段階?

 

逆に言えば、「感謝」ができるってことは、ちゃんと・・・人間レベルです、ってことなのかな。人として最低、とか、私ってほんとダメな奴、ではなく、何かに感謝できることがあれば、大丈夫。こうしてご飯食べれるってありがたいなあとか、子どもが無事に大きくなってくれてありがたいなとか、今日も一日無事に過ごせたありがたいなとか、今特に病気がないな、ありがたいなとか・・・。

 

何かしらにちょっとでも感謝の心があれば、それは…ちゃんと人間としてオッケー。なのかも。だからほとんどの人は自分をこんな私ダメだって思う必要はないんじゃないかなあ。

 

そして、アフリカでチンパンジーやオランウータンを生け捕りにする方法があるらしいのですが、その方法というのは、土を固めて小さな小山を作り、そこにチンパンジーやオランウータンが手をいれられるくらいの穴、をあけておくのだそうです。

 

そして、穴の中に彼らが好むバナナや木の実を入れておく。

 

チンパンジーやオランウータンは、それを見つけると、穴の中に手をつっこみます。そしてバナナや木の実を掴みます。

 

その穴は、何もつかんでいないときは手を出し入れできるのですが、ものを掴んで拳を握ったときには、引っ張り出せない程度の大きなになっているそうです。

 

じゃあ、ぎゅっと掴んだものを放せば逃げられるじゃん。と思いますよね?そうじゃないんです。

 

チンパンジーやオランウータンは、一度掴んだ獲物は決して手放すことができないんだそうです。だから手は握ったまま。そしてそこから動けなくて…生け捕りにされてしまうのだそうです。

 

このお話を小林正観さんの本で読んだとき…なんだかいろんなことを考えさせられるなあ、と思いました。

 

手をぎゅっとしたままエサを離せないチンパンジーやオランウータンのこと、ばかだなあ、と思うでしょうか?でも、じゃあ私たち人間も…そんな部分はないだろうか。

 

ぎゅっと掴んだまま放せない。手放せない。手放したくない!!…ってもの、きっと私たちにもあるはず。手放せなくて苦しんでる。ってことは…いろいろあるのではないかと思ったのです。

 

別に食べ物という話ではなく、この相手、この状況、このお金、家、土地、環境、からだ・・・あらゆるものに対して私たちは、執着を持っている。これは絶対自分のものだ、と思っている。これは絶対手放したくない‼というものを持っている。

 

また、「こうでなければだめだ」という執着も私たちは大好きで、例えば、「家族は仲良くしてなければならない」という「思い」を、ぎゅ~~っと、手放せない人もいる。家族には優しくする「べき」だ、という考えを手放せなかったり。頼まれたことはやらなければ冷たい人間である、という考えを放せなかったり。

 

じゃあ、「これになりたい!」とかの思いは一切ダメなのか、全部執着心だから持っちゃいけないのか、というふうに食って掛かる人もいるかも?(「お肉はダメなんですよね!?」と判断しちゃう系?)

 

絶対ここに合格したいとか。絶対結婚したいとか。絶対子どもは何人ほしいとか。絶対あの人より上に行きたいとか。絶対あの試合に勝ちたいとか。

 

その思いで、自分が進んでいく力になることももちろん多々あると思います。それで日々が問題なく過ごせているうちは、そうして進めばいいのだと思います。

 

でも、もし何か立ち止まるような出来事とか状況が起きたときは…それを手放せるかどうか、を宇宙から試されていることもあるのかもしれません。

 

究極?の達成方法は、「絶対こうじゃないと嫌だ」と思うよりも、「そうなったらいいな」くらいの思い方だと言われています。

 

絶対こうじゃないと嫌です。のみではなく、それにならなくてもまあ自分は問題ないけどね、という余白を残しておく。こうなりたいな、はOKで、でも、もしならなくても、ちゃんと別の道があるんだろうなとか、でもまた別の、楽しい嬉しいことがあるんだろうな、と、隙間、余白を残しておく。

 

絶対毎月25万ないと生活できない。絶対この金額欲しい。いる。絶対最低これだけ。だからほしい。…よりも、まあこれくらいあったらいいんだけど、でももしその金額じゃなくても、なんとかなるのかもしれないな、楽しく過ごすことはできるのかもしれないな、…という余白を残す。

 

あの家族と絶対仲良くしないとダメだ。絶対仲良しになっておかないとダメ。…ではなく、仲良くなれたら嬉しいかも?でもなれなくても、修復できなくても、でも自分の幸せ、笑顔には影響されないかも。修復できなくても、きっと問題ないんだろうな、私の人生、魂の目的には関係ないのかもしれないな…という余白だったり。

 

苦しそうな人の特徴?って…なんだか、「こうでなければならない」が強い人、ってイメージないでしょうか。つまり・・・他の霊長類と同じように、「手放せない」人、なのかも??

 

ちなみに、これも正観さんの本で知ったのですが、執着やこだわりから解き放たれた人を、日本語で「ほとけ」と言いますが、その語源は、「ほどけた」「ほどける」、から来ているそうですよ!日本語すげえ。

 

自分を縛るものから、ほどけた人。執着心からほどけた人。それがほとけ。仏。・・・いや~すごい。

 

そんなの無理。と思ってしまいそうですが、これもみんな、過去を振り返ると、いくつもできたことが思い当たると思います。

 

あの人にものすごく執着してた時期があったけど、途中で離れたのよね。とか。家族の誰誰に言われるがまま動いてたけど、途中でそれをやめたのよね、とか。

 

過去の自分を振り返ると、「放せた」ものって、いくつも出てくると思います。ありとあらゆる執着を、一切手放さないで生きてきた人って…いないと思います。そしたら今までありとあらゆる執着全部、生まれるたんびに全部抱えて、ひとつも離さないで・・・って、普通に考えたらありえないと思います(^^;

 

例えば、学生時代は「前髪命」だったけど、卒業したらそこまでの執着なくなったとか。メイク命だったけど出産したらもうそんなこと言ってられないと執着捨てたりとか。育児大変すぎて綺麗なかっこじゃないと外出れないとかそういう執着捨てざるを得なかったりとか。

 

結婚とか育児って、相手への執着心が生まれたりというリスクもあるけど、逆に、手放せる執着心もあったりすると思います。

 

私自身も…かつてひじょーに2人目が欲しいと必死になってた時期があったのですが・・・不妊治療にも通ったのですが、授からず。あの頃は「絶対2人目が欲しい」という執着心バリバリでした。そして苦しくもありました。ちょっとした言葉にがーんとショックを受けたり(もちろん相手は傷つけるつもりはない)。毎月生理が来るたびに落ち込んで・・・。

 

でも治療は思い切ってやめて、我が家は治療しないと絶対妊娠は無理なケースなので、病院通いをやめてもしばらくはずーっと苦しさはありましたが、しかし、もうこの年齢じゃあさすがに無理だよね、という年になってくると…やっぱり執着心って少しずつ落ち着いてきたり。時間がゆっくりほどかせてくれるものもあると思います。

 

何より私は、自分自身は息子一人でほんとに手一杯というか、もう無理ですってくらい自分にとっては大変すぎる育児だったので…そして息子一人でも高校生になってももううるさくてうるさくて…苦笑 私には一人がちょうどよい人数だったんだな、と今では思っています。

 

何より、私自身もし2人目を授かっていたら、私の性格上…食べ物とかすごくきっちりやって、そしてその通りなお産とか育児ができたとして、でもそしたら絶対‼息子と比較してしまってただろうなあと。息子のときは食べ物気を付けなかったからこーであーで・・・と、まるで息子を失敗ケースのように話したりしちゃうこと、絶対あっただろうなと100%自分で想像できる。

 

そして・・・下の子をもっと可愛がってた気がするし、絶対息子と比較しまくって育ててた気がします。そして息子を傷つけてたと思う。

 

2人目が生まれなかったということは、私は、息子を傷つける、ってことを避けることができた。と思ったのです。それは、なんてありがたいことだと思いました。助かった、と思いました。

 

息子の心を大きく傷つける、影を落とす。それによって子どもが一生不幸になる、というわけではないけど(スピリチュアル的には親の影響は3~40%と言われています。その子のもともと持っている性格、個性、カルマ、人生のテーマが最終的には勝ちます)、でも・・・やっぱり、息子の心を少しでも傷つけずに済むのなら、これでよかった。とも思えたのです。

 

下の子が生まれなかったことで、息子に余計な傷をつけずに育てることができたなら。息子がさらにのびのび、のほほんと生きることができたなら。・・・じゃあ、それが私のお役目としてありがたいことなのでは。と思えるようになりました。

 

でもだからといって、この世の、複数お子さんがいるお母さんたちが、全員比較しまくって子どもを傷つけてる、という意味ではもちろんないです。私自身の性格からして、私はつい余計な比較をしやすい、そして家の中では言葉も選ばないしで、私はかなりレベル的に幼いというか…やばいタイプだという自覚があるのと、あとはやはり、私のキャパが、1人で精いっぱいだった、もうこれに尽きると思います。

 

あれ?オランウータンの話からずれてしまいました(^^;

 

人っていろいろ、手放すことができた執着ってたくさん持っていると思うので、なので…できると思うのです。今は手放せそうになく思えるものも、きっといつか手放せるときがくる。手放せる可能性は無限大。

 

でも、執着心だらけの人間も、かわいいもんだ。とも思いますにやり

 

私自身も執着心だらけの人間なので…そこをもう受け入れちゃってます(^^;

 

執着心だらけの自分を自覚したら、オランウータンとかチンパンジーが、バナナをぎゅっと握って、穴から手を出せずに困惑してる・・・という想像をすると、なんだか自分のことを客観視するのに役立つかも??

 

あれ?今の自分・・・バナナ握って手放せてないチンパンジーじゃんとDASH!

 

放せない自分がダメ、ではなく、あ~離せないんだね。そっかあ。放したほうがいいんじゃない?もうちょっとしたら放せるかな?みたいな。

 

そして、「放す」って、「はなす」、つまり「話す」、とも通じていると私は思っていて、誰かに何かを話すことで、「手放せる」ものもあるんじゃないか、と思っています。なので話す、って…大きな力を持っていると思います。

 

私自身、スピリチュアルカウンセリングでお客さまのお話を聞くことが好きなのも、そしてその力を信じているのも・・・話すことで楽になれるものがある。と信じているからです。

 

さてさて、今日もとなみイオンさんで待機の日です。今日はご予約がどなたもいらっしゃらない日なのですが、どなたかとお話できるかなあ。もしどなたもいらっしゃらなかったら…ブログ書いたりして過ごそうと思いますにやり

 

それでは皆さま、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ