城下町出石へ行った際、どこを見て回ろうかという話になり・・・出石城へと行ってみることにしました。

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今月は第一土曜日に待機できなかったので、代替日として、9/16(土)に待機します。

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豊岡駅前から出石へ。そして徒歩で出石城跡までやって来ました。

まず登城門を通って進みます。右手にはお土産屋さんがありました。

出石城は、1604年、小出吉英により築城されたそうです。ただし1868年(明治元年)に建物は全て取り壊されたので・・・これらは後に建設されたものであり、ここは出石城「跡」ということです。

そうはいっても・・・この地・・・落ち着いたエネルギーがあって、階段をのぼるだけで、なんだかぐんぐん元気になる感じ。というか私が、人が少ない場所が好きなだけでそういう場所に来ると元気になるだけなんだろうか・・・?

二の丸跡。桜の時期は桜の名所だそう。

私たちは登城門から入りましたが、お城坂(稲荷参道)から入ることもできます。

こちらから入る人のほうが多かったような。

江戸時代、最上段の有子山稲荷社への参道であったそうです。

こちらのほうが写真映えするのかな?・・・でも個人的には反対側の登城門からの道のりが好みでしたが・・・。

こっちはわりと明るい感じ。

再度、二の丸跡。

眺めがいい場所がありました。

電車が走ってないせいもあるのかな?出石の町は、大きな音もなく、静けさに守られている感じ・・・。

建物は壊されても・・・木々は生き続けている。御神木たちが、生き続けている。

電車が通ってる町とそうでない町とで・・・何か、違うエネルギーになってる気がしました。電車って・・便利だけど、大きな影響があるのかな・・・。

出石城跡自体は無料で散策できます。ものすごーーーく・・・・時間がかかる箇所も・・・実はあります。

本丸には感応殿(戦国史上最も返り咲いた男として有名な・・・仙石権兵衛秀久を祀ってあります)などがあります。

西隅櫓は有料ですが公開されていたので入ってみることに。

いつも必ず中が見学できるわけではないそうです。貴重なタイミングでした。

かつて日本には、3000ものお城が築かれ、天守も数百基あったそうです。・・・なのになぜ日本にはこんなにお城が少なくなってしまったのか。現在まで天守が残っているのはたった12基なのか・・・??

豊臣家の滅亡のあと、元和の一国一城令が出されたことは・・・日本史でなんとなく覚えています。さらに武家諸法度では城を新たに築城することも禁止されました。

でも・・・実は明治時代に、「廃城令」なるものが出され、それによって・・・さらに城の数が激減したのです。私は知りませんでした・・・。

幕末維新の動乱によって各藩は財政悪化に苦しみ・・・、多くの城がもうかなり荒廃し始めていましたそうです。さらに、版籍奉還によって大名所有の土地と人民、そして城も、明治政府のものとなってしまいます。

 

・・・よくよく考えれば、ひどい話だなと・・・大名所有だった土地も人もお城も・・・全部明治政府のものになるの???なんやそりゃー!!なんか納得いかん・・・。

 

それらのお城の管理を委託されたのは、旧藩主の知藩事です。城はたいてい巨大な建築物ですから、維持するのも大変。そして手入れを怠ればすぐに老朽化する。

 

屋根は波打って瓦はずれ落ち、壁の漆喰は剥落し、板戸や窓枠は外れ、草がぼうぼうに生い茂る・・・・また、新政府への反抗運動の拠り所となるのを防ぐために、取り壊された城もありました。この出石城も、財政的に維持が難しく、取り壊した旨が書いてありました。

 

大きなお城があっても・・・それを維持するだけの財力がなければ・・・壊さなければならない。

 

さらに、明治4年(1871)の「廃藩置県」で知藩事という職がなくなると・・・・、彼らは東京移住を命じられたので、全国各地で、主がいなくなった城はさらに荒廃していったそうです・・・・。

 

なんかそれを聞くと・・・お城のイメージって変わります。

そんなところへ、とどめの・・・明治6年(1873)の廃城令。

 

廃城令とは、「城の土地建物は陸軍省の財産だったが、今後陸軍が軍事に使用するものは存城処分。それ以外は廃城処分として大蔵省に引き渡し、売却用の普通財産とする」ということだったそうです。

 

なんだよそれ・・・お城を、軍事用に使えそうなら残すけど、そうじゃないなら全部壊せって!??ひどすぎる・・・!!!そりゃ財政的に厳しいお城もあっただろうけどさ・・・それにしたって・・・。

 

存城処分となったのは、東京城(江戸城)、仙台城、名古屋城、大阪城、広島城、熊本城などをはじめとする、43城1要害のみ(諸説あり)だったそうで。残りはほとんどが・・・廃城処分となりました。

 

私の地元金沢にも、金沢城跡があります。お城といっても建物は全然残ってないしで、特に魅力を感じたことは正直なかったのですが・・・でも子ども心に、なんでお城が残ってないのか。はただ古いから?くらいに、適当に考えていました・・・。日本史で一国一城令を習っても、特につっこんでは考えなかった・・・。

日本全国各地にあったお城たち・・・それらが激減させられたとは・・・なんだか悲しさ、寂しさも感じました。ただそれまでに、慶長の築城ラッシュがあって、城の数が増えすぎた、ということもあったのかもしれませんが・・・。

 

廃城令を乗り越え、存続しても・・・安心できません。なぜなら、存城=保存、ではないから。

 

お城は、あくまでも軍用地としての存続なので、存城となっても、広い場所を確保するために堀を埋めたり、石垣を破壊したり、建造物を取り壊したりという例が少なくなかったそうです。存城となったものの、すべての城郭建造物が取り壊されたりもしたということで・・・なんだか、戦争って何なんだ、軍隊って何なんだ・・・って思わされます。

 

これらを乗り越え生き延びても・・・・さらに第二次世界大戦の空襲で、焼失したお城たちがあり。・・・お城が生き延びるって、大変なことなのだと感じます。生き延びたことが奇跡。

 

それを思うと・・・お城が残っている、って・・・すごいなあ、と思います。お城を見る目が変わる。この出石城は、残念ながら、財政上の問題で、明治元年に取り壊されましたが・・・説明を読むと、むしろ、お金がかかるから壊したかった、みたいなニュアンスでしたね・・・。

 

いろんな思惑でお城がかつて築城され。

 

後々どうなるかは考えず?・・・どんどん作られ。

 

・・・そして、淘汰されていった。ってことなのかな・・・・。

 

世の無常さというか・・・さみしいけど、これがこの世というものなのだろうか。私は古いものが好きなので、さみしさのほうを感じたりしますが・・・でも古くてお荷物になっているものは・・・なくさざるを得ないんでしょうね。それはこの世でも同じか・・・。

 

ただ、お城が取り壊されても・・・この出石城跡でも感じましたが、自然の中に抱かれて、あるいは調和して・・・そこに残り続ける。ってことはできる気がしました。自然界の力を借りて・・・かつての姿とは違うかもしれないけど、生き続ける。

 

遺構や遺跡って・・・建物自体が廃れていても、何か・・・醸し出すものがある。そしてそこで、何かを感じる人々がいる。

 

城内の最上段に位置する、有子山稲荷社。

社殿は江戸後期に建設されたものです。

ここで・・・終わりではありませんでした。なんと・・・この先に、有子山城跡へと通じる道があったのです!!

有子山城跡への道は・・・片道1時間はかかる、まさに登山。この道のりは、「健脚向き」と明記されていました・・・!!

登山口の案内が・・・。こ、これ・・・絶対、険しいやつだ・・・軽く考えたらいけないやつだ・・・道はかなり険しいとも書いてありました・・・。

夫がいなければ・・・そして登山に慣れている人と一緒だったら?しっかり装備も準備して、登ってみたいなとは思います。・・・が、お気軽に登れる道ではない。そんなことくらい私にもわかります。

 

しかも登る人も少ないから、そういう意味でも・・・怖いゲッソリ自分ひとりだと遭難しそう・・・。

 

有子山城は、標高321mの急峻な有子山に築かれたお城で、本丸まで登りきると、出石を遥か遠くまで見晴らせる、絶景パノラマが味わえるとのこと。

↑これが有子山城跡!!すごい!!(写真はDAY TRIP出石より)

冬だとこんな状態になるそうです↓

・・・すげえ・・・・。


有子山城は天正2年(1574年)、山名祐豊(やまなすけとよ)によって急峻な有子山に築かれたお城であり。


山名氏が本拠としていた此隅山城が織田軍の羽柴秀吉に攻められ落城した為、新たに有子山に城を築き、守りを固めたのだそうです。


しかし天正8年(1580年)、再び秀吉の攻撃を受けて有子山城は落城、山名氏も滅ぼされました・・・。


その後は秀吉の家臣らが城主を務めましたが、慶長9年(1604年)に小出氏により山麓に出石城が築かれると、山頂の有子山城は廃城となってしまったそうです。

有子山城跡に通じる道は、本格的な山道とのことで・・・戦国時代の山城の険しさを体感するには、うってつけなんでしょうねにやり

 

訪れる人も少ないから、絶対・・・昔のエネルギーとかしっかり残ってて、数百年前のエネルギーも体感できそうだな・・・。戦国時代が好きな人には、山城って・・・魅力的なのかもしれないですね。

 

ロープ場も岩場もあるし、ネットで「有子山城」と検索すると「有子山城 きつい」って出てくるくらいだし・・・なかなかのしんどい道のりなんだと思います。

 

今回、有子山城跡には行きませんでしが・・・行ってみたい人もいるかも??

 

山城を楽しむ。ということが好きになる人もいるかもしれませんね!

 

私は、夫と一緒に行動する限り、体力を使うことは絶対!!できませんが・・・。また屋久島でトレッキングしたいなあ。なんてことも、有子山城の登山口の案内を見て、思ったりしました。

 

それでは皆様、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ