辻麻里子さんの『宇宙時計』を買って読みました。

辻さんが不眠不休で手描きで描いた図形たち。帯には、

 

「この図形を見つめることにより、

 

あなたは意識が変容していることに気づくでしょう」

 

と記されています。

 

多分、特に何も目覚めたくない、という人にとっては、「ふ~ん」であっさり終わると思います。が、宇宙を意識している人にとっては・・・何かを感じるのでは。と思います。

 

意識レベルにおいて、人類を本来の姿に戻すための・・・図形的なアプローチって、非常に珍しいしユニークな試みだと思います。

 

ここに記されているのは、ただの図形ではなく、時に生命への賛歌、時に祈りとなり、時に宇宙創造の物語です。そしてこれが・・・手描き、というアナログな手法によって行われたことにも何だか意味があることのように思います。

 

この本ですが、欲しい方がいましたら差し上げますので、メールにてご連絡ください。遠方の方にはお送りいたします。

 

ダイヤグリーン毎月第一金曜日は金沢市内の町家にてマクロビティータイム、スピリチュアルカウンセリングの受付をしています。

10/6(金)の空き時間は 17:30~17:50 のスピリチュアルカウンセリング20分コースのみです。

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さて、スピリチュアルカウンセリングをしていると、ご家族にうつ病の方がいらっしゃったり、精神病を患っているケースに出会うことも多々あります。かつてうつ病でしたとか、摂食障害でした、統合失調症でした・・・とおっしゃる方々もいらっしゃいました。

 

私自身も昔鬱病だった時があります。教員時代です。今はもう寛解しています。再発が多いと言われる鬱病ですが、自分としては・・・もう二度とならないな、と感じています。鬱病になったことで、私は、自分の取扱説明書が手に入ったので・・・もう自分の取り扱い方がわかるようになったので、二度とならないな、との確信があります。

 

家族に鬱病の人がいたりすると・・・家族は大変です。その人の愚痴や話したいことに延々と、時間関係なく付き合わないといけなくなるからです。

 

もちろん家族として助けたい、という気持ちはあっても・・・自分の肉体も精神も限界というものがありますし、仕事をしていたら仕事にも行かなければなりません。

 

私は一人暮らしだったのですが、話す相手を探して友人知人に電話をかけまくったりしていましたね・・・。当時の友人知人には本当に迷惑をかけたと思います・・・。

 

とあるお客さまのご家族を拝見したとき・・・そのご家族は、「甘えたい」が根っこにあるのかな、と思ったことがあります。

 

もしかして、甘えたいのに甘えられない幼少期を送っていたのかもしれません。甘えたいけど、そういう雰囲気を出してないお母さんがいたのかもしれません。自分のことをあまり理解してくれない母親で、自分をさらけ出せなかったのかもしれません。

 

甘えたいときに思い切り甘えられない、という経験は・・・その後こじれて、精神的にバランスを崩すことがあるような気がします(全員ではありません)。

 

鬱病の人が全員そうだ。と断言するつもりはないのですが・・・ただ、かなり多くの場合、「甘えたいのに甘えられなかった」「もっと甘えたかったけどそれができなかった」が残っているような気がします。そして・・・うつ病や精神疾患を患っても、根っこには・・・優しくされたい。理解されたい。全てを受け止めてほしい。という思いがあるように思います。

 

なので・・・家族としては、優しくする。ということを求められるのですが・・・そうそう簡単にはいきません。こじれている相手は、どこまでもどこまでも、リクエストしてきます。そして、こちらが優しくしても、それを無下にうち叩いたりしてきます。本当は小さい頃、優しくしてくれない母親にもっと怒りをぶつけたくても・・・ぶつけられなかったまま月日が流れると、感情は時間がたつとこじれてねじれて腐るというか、悪臭を放つというか・・・相当ねじ曲がってしまっているので、一筋縄ではなかなかいかなくなってしまっています。なのでちょっと優しくされても、はい嬉しいですはい私はもう癒されました。にならなかったりします・・・。

 

鬱病は・・・回復するのに時間がかかります。なので家族としても長丁場になります。

 

鬱病の人や、落ち込みが激しい人に対して、「こうしたらいいんじゃない?」と言っても・・・多くの場合、却下されたり、スルーされます。

 

なぜかというと、鬱病の人は、アドバイスが欲しいわけではない、からです。もう疲れてるし休みたいし何も考えたくないし・・・そしてもっと言えば、ただ求めてるのは、「優しくしてくれること」なので、こうしたらよくなるよ、なんて助言はいらないのです。そんなものは求めてない。

 

家族としては、こうしたらよくなるかな、ああしたらよくなるかな・・・といろいろ考えてアドバイスしたくなりますが、それを必ずしも求めてはいないのが・・・鬱病の状態です。優しさ、愛に飢えてる人には・・・助言よりもずっと一緒にいてくれる優しさが、自分のことを理解して寄り添ってくれる愛がほしいのです。

 

しかしながら、家族がじゃあそれをできるかというと・・・大変な仕事になります。

 

家族だけど、そこまでは背負えない・・・というケースもあると思います。パートナーが鬱病になって、助けてあげたいけど、でも自分はそこまで背負えない、面倒を見れない、と思うこともあると思います。肝心の自分自身が、鬱っぽくなってしまうこともあると思います。病んでる人と一緒にいて、自分も精神的にずんずん下がっていってしまうこともあります。

 

そんな時は・・・無理しなくていいんです。自分の命、こころ、体を守れるのは・・・自分しかいません。

 

私達の中には、小さな子どもがいます。その子が、もうつらいよう・・・と泣いてるならば、その子が嫌がることをしちゃいけないんです。泣いてる子にイヤなことをするのは自分への虐待になってしまいます。

 

家族が全てを背負うのは無理(絶対に不可能、という意味ではありません)というか・・・ほんとにタフな仕事になるので、これは、家族以外の人の助けがあるといいのではと思うのです。もっとカウンセラーさんが市井にたくさんいて、気軽に利用できたりとか・・・。

 

家族にも、休息が必要です。絶対必要です。

 

私は鬱病だったとき、一人暮らしでした。私が鬱病だということを知った両親は、週に1度アパートに来て掃除や買い出しをしてくれましたが、でももし・・・実家で暮らしていたら、私の場合は、プラスだったかというと・・・わかりません。

 

私はこだわりが強い人間だし、当時は親のことは一切信用してなかったので、親には何もしゃべりたくないと思っていました。そもそも合わない相手でしたし、そして生活するうえでの気になる点も全然違うし、一緒に暮らすことはむしろストレスでした。一緒に暮らすのがつらすぎて、だから同じ市内の大学院なのに無理言って一人暮らしをしていたくらいです。

 

私の家族は、私が一人暮らしをしているので、鬱病だと自殺するんじゃないか・・・という不安はあったようですが・・・。(でも私自身は自殺はしないと自分ではわかっていました)

 

1人でいても、ちゃんと治せます。結局は・・・自分がそこから抜け出したいか、変わりたいか、は・・・自分で決めるしかありません。

 

家族のサポートがあっても、本人が生き方、こだわり、を変えていけなければ・・・治っていくことは難しい気がします。

 

私自身は、「頑張らないこと」を学ぶ必要があったと思っています。

 

この世は頑張って生きていくものだ。自分も頑張って生きていかなければならない。頑張ってない人間はクズだ。くらいの思い込みが私にはありました。だから自分が頑張れてないと、自分自身を責めるし最低だと思うし、なんでもっと頑張れないんだと自分に絶望するのです。自分が情けなくて泣けてくる。

 

でも・・・アパートに一人いて、お湯すら沸かせない、顔も洗えない、お風呂も入れない(汚くてすみません)・・・そんな自分が、一体何を頑張れるのか。

 

ちょっと無理すると・・・すぐに症状が悪化する。それを繰り返しての日々でした。

 

当時の私は・・・電話占いもものすごく利用していた時期でした。悩みは主に恋愛相談だったのですが・・・。家族には何も話せないけど、お金を使って電話占いをさんざん利用していましたね・・・。

 

そうしていろんな方に話を聞いてもらったり、相性のいい方に巡り合えたり・・・信頼できる方と出会えたことは幸運でした。

 

今にして思えば・・・そうして当時さんざん電話占いを利用して、たくさんの先生方にお世話になって・・・その恩返しじゃないですが、お返し的に、今自分がこうして、Skype通話セッションをやってる側面も、あるのだろうか??

 

身内に精神を患っている人がいる場合、家族は・・・絶対無理しちゃいけません。自分自身も倒れることは避けなければいけません。

 

元気な時は、思いっきり相手をしてあげればいいと思うのです。自分にエネルギーがある状態のときは、思いっきり相手の話を聞いたり、寄り添ってあげる。

 

自分も・・・過去生で、感情をこじらせたりして、身内に迷惑をかけてしまったこともあるかもしれません。そのカルマを、誰かに優しくすることで解消できる部分もあるかもしれません。

 

何よりも・・・大切に思う相手には、何かをしてあげたくなるはず。だからそれを、自分を滅ぼさない程度に、やってみる。

 

失敗もありです。調整具合が難しかったりもするでしょう。そうして自分も学べます。自分はどれくらいだったらやっていけそうか。ここまでくると自分はつらいなとか。自分を大切にすることを学べます。

 

大切な相手のはずなのに、嫌で嫌でしょうがなくなる。という瞬間もあると思います。それもまた、とっても尊い経験です。好きなはずなのに・・・つらい。苦しい。もう嫌だ。それを味わえるのは、実は魂にとっては大切な大切な経験です。

 

人間は、苦しい出来事があると・・・学びが一気に進むと言われています。だからといって自分を苦しめてばかり、の選択をする必要はないのですが、しんどい中で・・・必ずあとから振り返ったら、残るものがある。

 

・・・もし、今自分の家族が、夫や親が鬱病になったら??・・・・まず、私自身の気力、体力を確保すること。を意識すると思います。それらがないと相手と一緒に長時間いられないからです。そのためには一人でいられる時間を確保しようとすると思います。

 

ほんとうの幸せ、調和、とは・・・共倒れになることでもないし、幸せは、誰かの犠牲の上に成り立つものではありません。

 

途中途中で、自分を犠牲にし過ぎてしまったり、バランスを危うくしてしまうこともあると思います。それらは全て貴重な経験です。私たちは失敗するために生まれてきています(厳密に言えば失敗ではないのですが)。いろいろ転びながら、バランスを崩しながら・・・自分にとって、相手にとって何がいいのだろう、を見つけていく。それが必ずできると思うのです。

 

しんどい最中の人もたくさんいると思います。でも・・・一人ではない、と意識してみてほしい、と思います。頼れるところに頼り、頑張りすぎない自分でいるようにし・・・必ず、出口はあります。いつか必ず・・・光の出口が見える日が来ると思うのです。

 

それでは皆様、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ