サクララウンジで炭酸水を飲んでから・・・慌ただしく羽田行きのフライトに飛び乗りました。

機内はいつもの15列目、足元が広々の席です。

今回は・・・ちゃんと、着物で行きました!!

亡き祖母の小紋と、中古で買った羽織と、そして母のものか祖母のものかどちらかの襟巻。着物姿だとCAさんたちがまずわあっと声をあげてくれて褒めてくれるのがなんともこそばゆいような嬉しいような・・・。

家を出るときの様子。顔丸いな・・・太り過ぎてるな・・・。

そうして急いでいつものカフェへ。お客さまとのセッションやティータイムがありました。

この日は夜までスピリチュアルカウンセリングをさせていただき、そしてその後、ホテルに着いてから23時からまたSkype通話でのセッション。盛りだくさんの一日でした。

 

さまざまな方の、さまざまなお話を聞くことができ・・・初めてお会いできた方、お久しぶりに再会できた方、いつものようにお会いできている方・・・・みなさんとのご縁があたわったこと、ほんとにありがたいなあと感じます。

 

とある方は、これまで職場で、対応に困るというか、大きなストレスになるほどの人はいなかったはずなのに、最近どうしても気になって受け入れがたい人が出てきてしまった、これは自分の幅が狭まってしまったことなのか・・・?と悩んでおられました。

 

自分の性格が狭く?なってきたから、合わない人が出てきた。という考えも存在はしますが、スピリチュアル的には別の解釈があります。

 

それまではいろんな方がいてもスルーできたというか、こういう人もいるよね、と思えてたということは、そういうふうに、家に帰ったら忘れちゃえばいいし実際忘れられる、というタイプの人間だった、ということです。

 

そして世の中には、忘れようとしてもずっと気になっちゃうとか、こんな人もいるし、では済ませられない相手とか関係性ってものも存在するわけで、その方にとっては、そういう世界とか感覚を知っていくほうが、むしろ自分の幅が広がることになります。

 

なので、自分の幅が狭まったから、合わない相手が出てきた、ではなく、魂的には、もっと自分の幅を広げたい、成長したい・・・という思いがあるからこそ、どーーしても合わない、合わせられない相手が登場してくれた、ということなのです。

 

もしそうした相手と出会えなければ、「合わない相手とのことはスルーし、週末になれば完全に忘れる」という以外の心の持ち方、そういう心持の人のことは理解しづらかったかもしれません。

 

しかし、どうしてもスルーできない同僚、せっかくの休日になのに頭から離れない・・・という経験をすることで、そういう状況になることもあるし、そういうタイプの方もいる、ということが自然と体感できるはずなのです。それはトータルで考えたら、自分の感覚、価値観、他者への共感力の幅が増えた、ということになります。

 

どうしても合わない人、って、自分にいろんなことを教えてくれます。自分を知る、というのは、大好きな人と出会うだけで、自分という人間がわかるようになるわけではなくて、嫌なものとか人と出会うことによっても、「自分」という存在について細かく知ることができます。

 

もし自分に大好きな人がいて、その人のことを知りたい、って思う時って、その人の好きな食べ物だけでなくて嫌いな食べ物も知っておきたいですよね。その人、を真に知りたい、っていうときは、何が好きで嫌いで得意で苦手で・・・ってのを、ぜーーんぶまるっと知りたくなる。

 

好きなことしか知らない。・・・って、ちょいと薄い感じがしませんか??それと似てるのかなあと。

 

自分について理解を深める。って、大好きなものばかりの羅列では、自分の説明書としては足りないんだろうなと思います。

 

一見ネガティブ?に思える出来事も、自分にとっては、ものすごく幅を広げてくれる経験なこと・・・たくさんこの世にはあると思います。

 

じゃあつらすぎる状況も、これも経験しなきゃいけないことだから、ずーーーっと、永遠に、耐え続けなければならない??かというと・・・そうではありません。

 

体験できたら、体感できたら、その次に移っていいのです。ずっとそこに自分を押し込めて、自分が壊れるまでほっておく・・・てことはする必要はありません。

 

もちろん、ここで耐えまくってみたい!とか、耐え忍ぶことをひたすら経験したい!!というなら、長い間耐えてOKです。耐え忍ぶのが〇日までなら正解とか、全員に共通なものはありませんし、自分で決めていいことです。

 

なんでこの嫌な人と出会ったんだろう??の答えって、その渦中にいるときは、わからないことが多いです。そしてわかる必要もなかったりします。今この瞬間、答えを教えろ!!教えてくれないと暴れてやる!!・・・というのは執着心になってしまいます。

 

答えがわからないなら、なんとなくわかるようになるまで待つ。・・・というのが大人というか、成長、成熟した人間性なのかなあ、とも思います。

 

成熟、って・・・「待てる」ってことなのかなあ、とも思ったりします。

 

辛すぎるときは、もしかしたら見えざる方々はヒントのようなものはくれるかもしれません。でもそのヒントや答えのようなものも、もしかしたら時とともに変わっていくかもしれません。答え、もたった一つではないからです。

 

私自身は、自分のことってほんとに・・・わからなくて、これはどういう意味なんだろう?ってキャッチしようとしてもいまいちわかんないことばかりなので、もう今では自分に関することは何もわかんなくていいや。って気持ちになっています笑

 

どうせ、亡くなったあとの世界で全ての答えがわかるのだし・・・その時にわかればいいのかなと。今は、この人生をどう生きるかだけで十分で、答え合わせをしながら進む必要って必ずしも必要なくて(もちろんひとつひとつの答えを確実にチェックしたい人はしてOKで)、とりあえずこれだけ問題やってみよう。答え合わせは後で。というのも全然ありだなあと感じています。

 

私たちはそれぞれが独自の問題集を抱えて生まれてきていますが、一問一問答え合わせしないと嫌なの!!って人もいれば、とりあえずこのページやってから。な人も、答え合わせすらどうでもいいって人もいるでしょう。まあきっとだいたい合ってると思うし、みたいなにやり

 

答えが合ってるかどうか不安。私、この人生で、この生き方でいいのか不安。・・・という場合は、不安が大きすぎて確信が少ないと、答え合わせにこだわりたくなるかもしれません。

 

あるいは問題が大きすぎて、もうわけわかんなくなったりとか。大きすぎる問題がふりかかる人は、それだけ超難問に取り組むことをチャレンジできる、強い雄々しい魂タイプ、ってことだと思います。生半可な問題集では満足できない、みたいな・・・。

 

迷えるときって、いろんなところでヒントがあたわるチャンスがあると思いますし、見えざる方々は、常に私たちに向けてメッセージを送ってくれています。それを信じてみて・・・どこかに何かのメッセージが転がってるかも、という思いで生きてみてもいいんじゃないかな、と思います。

 

それでは皆様、今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ