ダイヤグリーン毎週水曜日と毎月第一土曜日はとなみイオンにて11~16時待機しています。

スピリチュアルカウンセリングは20分3000円、50分5000円(延長は10分1000円)です。

ダイヤグリーン8月27日(土)は舞台本番のためメール等のお返事ができない可能性があります。すみませんがご了承ください。

ダイヤグリーン8月28日(日)は富山県呉羽にあるティエルカフェさんにて「開運カフェ」に出店します。11~18時です。

全てのお問い合わせは natsue58@hotmail.com までお願いいたします。

 

 

米粉のパンケーキを作ってみました。グルテンフリーで、白砂糖、動物性なしです。

りんごはココナッツオイルとメープルシロップを合わせて焼いたものです。アフガニスタン産のピスタチオがあったのでそれも散らし。バターっぽく見えるものはヴィーガンバターです。

ヴィーガンバターは今やいろんなものが売られてるようになりましたねえ。

原材料は・・・このメーカーのものは、「食用精製加工油脂」って・・・一体どんなもの使ってんだ、ってのが気になる・・・乳化剤と香料も使用してますね・・・どんなもんかなと思って買ってはみましたが、これなら自分で作ったほうがいいような・・・(ヴィーガンバターの作り方はネットで検索するとたくさん出てきますニコ

見た目はバターっぽいですね。なのでこうしてパンケーキに乗っけてみたくはなりましたが・・・まあ、パンケーキにはメープルシロップとか豆腐クリームでいいような気もしますDASH!

 

今、浅野和三郎の『小桜姫物語』を読み返しているのですが、足利時代の食べ物についての記述がなかなか興味深くてですね・・・小桜姫が霊媒を通して語ったのは、

 

「あの大そう甘い、白い粉・・・砂糖とやら申すものは、もちろん私達の時代にはなかったもので、その頃のお菓子というのは、主に米の粉を固めた打菓子でございました。それでもうっすらと舌に甘く感じたように覚えて居ります」

 

「物の調味には、あの甘草という薬草の粉末を少し加えましたが、ただそれは上流の人達の調理に限られ、一般に使用するものではなかったように記憶して居ります。」

 

「むろん酒もございました・・・・・・濁っては居りませぬが、しかしそう透き通ったものでもなかったように覚えて居ります。それから飲料としては桜の花漬、それを湯呑みに入れて白湯をさして客などにすすめました」

 

・・・・やはり白砂糖って急激に私達の食生活に入ってきて・・・昔の人に比べて私達は砂糖を摂りすぎてしまっていて、それによる変化や体の負担って・・・あると思います。

 

小桜姫、もっと食のことについて語ってくれてもいいのに、こういう話は「あまりにつまらなさすぎる」ので、切り上げてしまった・・・まあ本来は霊界の話がメインですしね(;^_^A でも霊界通信でこうして食の話が出てきたのは面白かったです!

米粉のパンケーキ、今井ようこさんのレシピで作ってみましたが、膨らみもよく、美味しかったですニコこのレシピ本も・・・いろいろ作ったらまた食の勉強会で欲しい方に差し上げるつもりです。

 

さて先ほどの小桜姫ですが、戦によって女子供は城内から出され、隠れて暮らしていたのですが・・・結局お城に火の手があがるのを見ます。城が落ちてしまったのです。もちろん夫もこの世の人ではなくなり・・・・。

 

両親は鎌倉の地に戻ることをすすめますが、小桜姫は頑なに、三浦の地にとどまることを選択します。そして結局その三浦の地で死ぬまで過ごします。体が衰弱して、戦が終わって新たな住居に移って1年もたたず、34歳の若さでこの世を去ることになったのですが・・・。

 

小桜姫は、臨終の際どのようだったかを語ってくれています。それによって私達もいくらか、死、というものを知ることができると思います。

 

小桜姫が語ったのは、

 

「現世の人達から観れば、死というものは何やら薄気味のわるい、何やら縁起でもないものに思われるでございましょうが、

 

私どもから観れば、それは一匹の蛾が繭を破って脱け出るのにも類した、格別不思議とも不気味とも思われない、自然の現象(すがた)に過ぎませぬ。」

 

 

・・・・死ぬこと、って・・・・蛾が繭を破って脱け出るようなもの、なのか・・・・そうなんですよね、死ぬ、って・・・この世にいる私たちは亡くなる人に対して「死なないで、行かないで」と嘆き悲しむけど、あちらの世界からしたら、「今までお疲れ様~!お帰り!!」と大歓迎されてるんですよね・・・・。

 

死ぬこと自体はネガティブでもなんでもなく、ただの自然現象・・・・。

 

さらに小桜姫が語ってくれたこと。

 

「四百年も以前のことで、大変記憶は薄らぎましたが、ざっと私のその時の実感を述べまするとーー

 

何よりも先ず目立って感じられるのは、気がだんだん遠くなって行くことで、それは丁度、あのうたた寝の気持--

 

正気のあるような、又無いような、なんとも言えぬうつらうつらした気分なのでございます。

 

傍からのぞけば、顔が痙攣したり、冷たい脂汗が滲み出たり、死ぬる人の姿は決して見よいものではございませぬが、

 

実際自分が死んで見ると、それは思いの他に楽な仕事でございます。」

 

 

・・・・・死ぬのって・・・「思いのほかに楽な仕事」なのかー-!???

 

なんかこれ・・・もっと広まってもいい気がします。世の中の人って、死ぬって、もう苦しくてたまらないようなイメージを持っている人が多い気がする・・・。

 

小桜姫みたいに病で床に伏して・・・って状態でも、それこそ脂汗流してても、死ぬ瞬間てのは・・・・うたた寝するように、うつらうつらとあの世に行けるものなんですね・・・・。

 

でもこれ、最初に読んだときはちょっと衝撃でした。何せ死ぬのが「思いのほかに楽な仕事」って表現がすごすぎて!!実際に亡くなった方がそう言ってるんですから・・・それを信じないとですよねえ。

 

さらに小桜姫の説明は続きます。

 

「痛いも、痒いも、口惜しいも、悲しいも、それは魂がまだしっかりと躰の内部に根を張っている時のこと、

 

臨終が近づいて、魂が肉のお宮を出たり、入ったり、うろうろするようになりましては、それ等の一切はいつとはなしに、何所かへ消える、というよりか、寧ろ遠のいてしまいます。

 

誰かが枕辺で泣いたり、叫んだりする時にはちょっと意識が戻りかけますが、それとてホンの一瞬の間で、やがて何も彼も少しも判らない、深い深い無意識の雲霧の中へとくぐり込んでしまうのです。」

 

 

・・・・・・・・なるほど・・・・・

 

いろんな痛みなんかも、臨終の際には遠のいていく。確かに考えたらそうだろうなあと思えます。

 

そして、スピリチュアルカウンセリングで、亡くなった方々のリーディングをさせていただくと・・・やはり、病気だったからといって、その方が亡くなる瞬間は・・・いつもそんなに苦しそうじゃないなあ、というのは感じていたので、ああやっぱりそうなんだ、という気がしました。

 

亡くなる前の感覚として、体がつらかった、というのは伝わってくることはあるのですが、死ぬ瞬間は・・・・どうも皆さん、そんな苦しくなさそう??と思っていたのです。きっと小桜姫の言うように・・・臨終の瞬間は、意識が遠のいて・・・苦しみや痛みからは解放されているんですね。

 

家族が病気で苦しんでいたりするのを見ると・・・そうして闘病して亡くなられたりすると、残された家族は、この人は死ぬ瞬間まできっとつらかったんだろうな、と思ったりするかもしれませんが・・・・それって、言わば・・・・想像、でしかないわけです。

 

実際にその方から報告を受けたわけでもないし、確認が取れたわけでもない。いわば勝手に想像して、勝手に断定して、勝手に悲しんで苦しむこともある・・・・。

 

せっかく、亡くなった方からの報告なんかもあるし、こうした霊界通信もあるので・・・そうしたものを知っておいて、死ぬ瞬間というのは苦しくはないんだなとか、うたた寝の感覚なんだなとか、覚えておけばいいような気がするのです。

 

知らないままに、自分で勝手にストーリーを作り上げて・・・人は苦しんでしまっている場合も多いから。

 

霊界通信・・・面白いです。この霊界通信も再度読み直したら、欲しい方を募集しようと思いますニコ

 

それでは皆様、 今日も明日も素敵な一日をお過ごしくださいアップ