宝石ブルー毎月第一日曜日は白山「Qui」さんにてスピリチュアルカウンセリングを受付しています。6月は7日(日)です。

スピリチュアルカウンセリングは20分3000円、50分5000円です。

ただし7月は東京浅草イベントに出店するためお休みいたします。

宝石ブルーメール鑑定、電話セッションは随時受付しています。

全てのお問い合わせは natsue58@hotmail.com までお願いいたします。

 

シドニー国際空港から市内に行くときは、電車一本で行けます。

シティレールから外に出ると・・・日本は真冬なのに、オーストラリアは真夏な日差し。

シドニーは徒歩でもかなりあちこち行けるのが便利です。泊まったホテルから街中へもハーバーへもすぐでした。

バスは難易度が高いので使いませんでしたが、シドニーは電車がわかりやすくて使い勝手もいいです。私と息子はオパールカードを購入してチャージして使っていました。

 

さて、池川明先生は、虐待についても著書で述べています。

(この本、欲しい方がいらしたら差し上げますのでメールにてご連絡ください)

 

親から虐待される子は、虐待を経験したいのではなく、虐待を止めたくて、生まれてくるのだそうです。

 

子どもにとって、虐待はやっぱり嫌なことだし、叩かれるのも嫌。

 

だけど、願いを込めて、虐待をする親を選んで、虐待しないようにと祈って生まれてくるのだそうです。

 

虐待を止めたい。そう願って生まれてきているし、止めたくて努力する。

 

虐待される子というのはとても可愛い子が多くて、ニュースなどで見てもなんでこんなかわいい子を・・・と思わせられることが多いですが、それも、親が虐待しないように祈って、かわいく生まれてきているのだそうです。これだけ可愛かったら虐待しないかもしれないと。

 

かわいく生まれるから虐待しないで、という願いを込めている。

 

でも・・・親のほうはわからずに虐待してしまう。虐待する親を助けるために、生きやすいように必死に頑張っている子どもに向かって、「あんたのせいで私は苦しいんだ」と虐待してしまう。

 

その虐待している親も、そのお父さんお母さんの親、おばあちゃんから虐待の連鎖というものがあって、それを止めるために生まれてきているというミッションを持っていたはずなのです。しかしそれがうまくいかないと、その家の虐待の連鎖が続いてしまう。

 

一人生んで気づけばいいけど、気づけなかったら二人目、三人目・・・と、そのミッションは次の子に託され、それでもうまくいかないときは次の世代に託すのだそうで・・・

 

虐待されて育ったけど、その人自身は幸せな家庭を築いている、というケースはとってもたくさんあります。それは負の連鎖を止められた結果なんだろうなと思います。

 

虐待について、スピリチュアルな観点から説明した話はいろいろあります。エリックくんは、自分の傷を癒すためには、いいヒプノセラピストを探してみるのもいいと言っていました。

 

エリックくんが言っていたのは、虐待は、お互いにとってのコントラクト、契約、ということです。

 

虐待する親も、子ども以外の人間と接しているときは、虐待をしない。つまり、特定の人間との間にだけ起こることであり、ということはそれはお互いに魂のコントラクトを結んでいる、ということです。

 

虐待される側としては、境界線を学ぶ、ということが大事なテーマだそうです。

 

自分の力を相手に明け渡さないで生きる。

 

私は・・・虐待はとても傷が深くなることだとは思いますが、それをそのままネガティブで終わらせることもできるし、何かを大きく変える、というチャンスも秘められていることだと感じます。

 

自分自身も、ほかの人たちも、平和的に調和して生きていくことが一体どういうことなのか、どうすれば実現できるのか、これほど真剣に考えさせられることはないと思います。

 

虐待する親のものとに生まれてくる子どもたちはきっと・・・何かを変えたい、という思いが強い魂なのだと思います。

 

自分自身の中にある課題のようなものを越えていきたいのか。周りの人たちへの気付きを促したいのか。

 

この世が旅だとするなら・・・あえて、ハードな旅程を組んでいる魂なのかもしれません。

 

その意味するところが、生きている間にわかることもあれば、死んでからわかることもあるでしょう。私たちが生きている納得できる理由なんて、人間の脳みそでは完璧には理解できないのかもしれません。

 

私は、自分自身が我が子を虐待して・・・という危険な崖には、常に立っていたので、子どもを虐待するということがわかる気がします。

 

単純に言うなら・・・虐待しそうになるときは、自分自身の毎日が、うまくいってないのです。幸せじゃないのです。自分を生きていないのです。

 

自分が可愛くないんです。自分が、かわいくない。それを知っていてつらいのです。

 

思い通りに行かない現実と、理想通りじゃない自分自身。

 

何かに八つ当たりしたくなるような気持ち・・・何かをいじめたり、壊したりしているときは、自分が自分の思い通りになっている感覚。

 

この世の出来事が、子どもとのかかわりが、自分の思い通りにいかない。だから、全てを思い通りにしたいという気持ち・・・

 

悲しいけれど、そっちに流れていく人の気持ちがわかるような気がします。

 

だから、虐待する親側の人たちのことも、責めようとは思わないし、責める権利もない、と思っています。

 

何せ過去生は何百とあります。その中には、私自身、我が子を虐待したり、いろんな人をいじめたり陥れて自殺に追い込んだ人生だって、あってもおかしくないと思っているからです。

 

また・・・エリックくんも言っていますが、虐待する側が、あえて、その役目を引き受けて生まれてきていることもあるはずだからです。

 

虐待する側は、ものすごくハードルが高いそうです。虐待される側は、環境を変えたり、過去を乗り越えて新たな人生をスタートできるケースは多々あるけど、虐待する側は、気づきを得ないまま、意識がそのままのこともある・・・。

 

大事なことは、どんな傷も癒すことはできるし、虐待をする側もされた側も、自分らしく生きる人生にシフトチェンジできる、ということだと思います。

 

虐待が、どうして起こったのか、どうすれば変えていけるのか、それはいろんな人がいろんなレベルで、意識で、取り組んでいけることだと思っています。

 

それでは皆様、 今日も明日も素敵な一日をお過ごしください。