ピーマンの肉詰め風お弁当。ごはんはもちあわを入れた3分づき。
中に詰めたのは大豆ミートです。
しょうがと玉ねぎのみじん切りを炒め、そこに大豆ミートを投入し、
醤油と塩、こしょうで味付けし、オートミールと上新粉、炒り玄米粉でまとめました。
焼くときにはパン粉をふりかけてフライパンで焼いてます(途中蓋をして蒸し焼き)。
あとは米粉のクリームパスタ(ホワイトソースはこれまた上新粉を使用←今粉がこれしかない・・・)、
さつまいものきんぴら、ひよこ豆の煮物、玉ねぎのアチャール、赤パプリカ、しょうがの梅酢漬け、煮こんぶ、大葉。
さつまいものきんぴらは、味付けは塩とシナモンだけなのですが、
朝味見した息子は「これおやつ??」というくらい甘くておやつ感があったらしく
そっか、これっておやつにもいけるんだな・・・と、ほくそ笑みました
さて、「友達」について、先ごろはふと思うところがありました。
ちなみに、「親友」については、こちらの記事(「親友って、いるの?」)に書きました。
↑コスモスカフェで、「親友なんて、そんなの幻よ、幻!!」と言い切る皆が最高・・・
実は先だってあった会合で、昔学校で同じクラスだった子と、たまたま、
家が近所だということがわかり、帰りも一緒に帰ることになりました。
私は、なんだかちょっと嬉しくなりました。
こんな近くに、昔の同級生が、いたなんて・・・!!
しかもこうして帰りも一緒に帰れるなんて、運命的(!?)じゃない・・・???
その子は離婚を経験し、今は再婚していることもわかりました。
・・・なんだかいろいろ人生経験して、そっち方面の話も深くできるかも!??
・・・と、妙に、勝手に盛り上がった自分がいました。
お互い連絡先交換して、
一緒にランチ行ったりとか、家に遊びに行ったりとか、
そういう交流ができるんじゃないか、いや、してみたい!!
そう心の中でワクワクしてる私を尻目に、
ハイヤーセルフ的には・・・これは、NO だということがわかりました。
友達に、なってはいけない。
友達づきあいは、しないほうがいい。
・・・そのことが、なぜだかはっきり、何度も何度も、自分でわかったのです。
え~、でも、せっかく見つけた、近所の友達だし・・・!
こんな縁、めったにないし、大事にしたほうがよくない!?
そう思う私の感情とはうらはらに、
ハイヤーセルフの声は何度聞いても同じ。
友達に、なってはいけない。
・・・・・・・・・・。
なんでこんなにも、友達作りをしちゃいけないのか。
不思議だなあと思いつつ、でもハイヤーセルフは絶対ですから、
自分のハートをじっくり観察してみることに。なんでNGが出てるんだろうと。
そしたら、私のこの、
「この子と友達になりたい!」「めったにないこの縁を逃しちゃいけない!」
という思いは、
ただの・・・薄っぺらい憧れ、からきてることがわかりました。
なんだか、浅はかですが、単純に憧れて理想化していたんです。
たまたま近所に、昔の同級生がいた。
これって運命的?みたいな。
その運命的?出会いからどんどん仲良くなって・・・って、
まるで素敵なストーリーみたいというか、
そんなに仲いい「お友達」がいるって、
この世では、この社会では、いわゆる「素敵な」生活に位置づけられてる。
ママ友たちとランチして、一緒に行動して。
お互いの家を行き来したりして。
しかも近所にいるから、いつでもしょっちゅう頼りにできたり訪問できたり。
そういう存在がいる「ママ」って、なんだか「素敵」な生活を送ってる、みたいなイメージ?
そういう、いわゆるこの世の「素敵ママ」「素敵ライフスタイル」
に、侵されてた自分がいたってことです。
その、本当に自分が求めてるわけでもなんでもないのに、
ただ、この世の「これが、『素敵』『充実』ってもんなんだよ!!」
という宇宙の真実でもなんでもない概念に、洗脳されてただけ。
友達がいっぱいいるから楽しい、充実してる。
友達とあちこちいって、予定がたくさんあるのが素敵。
しかも近所に友達がいるなんて、最高の(幸せの?)条件、である・・・
そんな考えに、染まってしまっていた自分の一部がいたから。
だから、その子と「友達になりたい」と思ったのは、
その子に何か心から響いたものがあったからではなく、
この世の表面的な楽しさ、素敵さを追い求めてみたくなった自分の感情だけ。
・・・そんな浅はかさから、友達になろうと思っても、
結果的には自分がそんなに楽しめることにはならないはずなのだ。
だからハイヤーセルフは、NOをずっと言っていたんだなあと。
別に、私は今彼女と友達にならなくても、何の問題もない。
逆に、無理して友達になろうと必死に頑張って、疲れてしまっていたかもしれない。
そして、おそらく・・・
深い波動の部分では、友達や仲間というものとは別の存在同士なんだろうと、思う。
もともと、友とか仲間になる相手ではなかったのだろう。
もしかしたら、友達となって距離を縮めることで、
知らなくてもいい何かを知ってしまうことになっていたのかもしれない。
友達がいっぱいいるから、幸せで充実するのではなく。
友達がいなくても、大人だったら、全く問題なく過ごせる。
これが「学校」という特殊な世界だと、また難しい面もあり、
友達をつくることで、自分の中で解放したり確立できる部分もあるのだけど・・・
少なくとも私には、
ただただ、ランチするためだけとか、
時間をつぶすだけのための友達みたいな存在は、
必要ないのだと自分でもよーくわかっている。
もともと、一人でどこでも行くのが好きな自分でもあった。
そして、一人で行動してる私を見て「えー!?さみしくないのぉ~??」
と言われることも、多かったな・・・全く、さみしくない自分がいたのだけど。
大学生になってからは、一人で映画も行くし旅行も買い物もできるのが楽しかった。
(もちろんそれと同時に、気の置けない仲間とワイワイする楽しさも味わっていた)
私にとって友達、仲間とはじけて楽しんでた時代は・・・もう終わったのだと思う。
大学生のときに、とっても濃い時間を過ごせたから。
今、大人になって、友と楽しい時間をエンジョイするのが充実、という人もいるだろう。
が、友達はいるべきだ、とか
できるだけ友達は多いほうがいい、とか
友達と一緒に行動することが人生の楽しさの象徴、とか
そういう考えは宇宙の真理でもなんでもないので、
そこにとらわれる必要は全くない。
実際、友達が増えるとトラブルや面倒くさいことも増えるリスクがある。
この世はとかく、「距離感」が下手な人、「自立」してない人が多いから。
私にとって、今は、
「友達」とわいわいきゃぴきゃぴやってる時間は・・・
特に必要ないな、と思うし
ランチに行きたい店があれば一人で行く。
一人というのはとても身軽で自由である。
そもそも、待ち合わせをする手間がない。
いろんなことをざっくばらんに話せる友や仲間と一緒にいる時間は貴重だけど
だからといって、そうした人々とずっと一緒にいようとは思わない。
お互いの時間がありつつ、たまに、会って話ができたらいい。
近況が気になる人はいたりもするが、
そういう人とはふと偶然出会えたり、会う機会があったりもする。
どうしても気になる場合は、メールでOKであって。
そもそも、忙しく働いてたときのことを思うと、
友達と会えるのなんて年に1回あるかないかだった。
それで特に問題もなく過ごせてたんだしなあ。
自分の中にあった、この世の楽しさっぽいことへの憧れ、が
ちょっと盛り上がってしまった出来事であったのですが。
そういう部分って、やはりかすかに残ってたりもするし
何かの拍子にそこを焚きつけられることもあるなあと。
自分のガードが、プロテクトが緩んでるときは特にそうなりやすい。
そういう意味でも、自分チェックてのは必須だなあと思わされます。
11月4日(土)、5日(日)は越前市武生問屋センターにて
ほっこりフェスタ に出店します!
土曜は10時から18時まで、
日曜は10時から17時までの開催です。入場無料です。
それでは皆様、明日も素敵な一日をお過ごしください