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議員定数に関する世論は浅い。

本日、議員政策研究会「通称:議政研」の「議会改革分科会」が開催された。
今後四日市市議会は「議員定数」について議論して行くことになる。
尚、この分科会は「定数削減」有りきではなく、場合によっては「定数増」も有り得る。



以前から何度も書いているが、
私は「議員定数」を議論する際に、どうしても次の視点が必要だと思っている。

議員はリーダーであるべきなのか?
或いは代弁者であるべきなのか?




結論から書くが、私は「議員はリーダーであるべき」だと思っている。
しかし、有権者の多くは「議員は代弁者」であることを望んでいる。


では、リーダーと代弁者はどう違うのか?

リーダーは「強固なる意思」で有権者を誘導せねばならない。
代弁者は「己を捨てて」民意を体現(表現)せねばならない。

この二つは似ているようで決定的に違う。

分かりやすく言えば、次のような状況で説明できる。

自分の意志で「どうしても○○が必要だ」と考えている時に、
有権者の多くが「○○はいらない」と言った。
リーダーは「しかし、○○は必要だ。皆さん理解して欲しい!」と言う。
代弁者は「(自分の意志に反して)○○は必要ない!それが民意だ!」と言う。



どちらも政治の世界に必要なタイプである。
リーダーばかりでも困るし、代弁者ばかりでも困る。


さて、ここで議員定数の話に戻る。



あなたがもし「議員は代弁者であるべき」と考えるならば、
当たり前だが、議員定数は多ければ多いほうが良い。
代弁者が多いほうが、より民意は行政に繋がりやすくなるから。

もしあなたが「議員はリーダーであるべき」と考えるならば、
議員定数はより少ないほうが効率的だ。
船頭は少ないほうが良いに決まっている。


しかしである。

民意の圧倒的多数は

議員は代弁者であるべきで、
数は少ないほうが良い」

・・という矛盾したものになっている。


よく考えて欲しい。

「自分の代弁者」の数を減らして良いのか?
それは自分の首を絞めることになる・・と言うことを理解しているか?




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議員定数が少なくなればなるほど、議会は少数精鋭と化して、リーダー型になっていく。


私は「リーダータイプの少数精鋭議会であるべき」という考え方なので、現状の世論は大歓迎であるが・・。






今日、一つ言いたいのは、

議員定数に対して世論は実に無責任であるということ。

政治と自分は無関係・・と思っている人が多すぎる。





私?

私は、私の主張を貫いて行く。




以上、個人的見解。
異論は認める。