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死刑

死刑。

久しぶりに執行されたようである。
法治国家として、法で定められた刑罰を執行するのは当然のことであり、個人的には千葉法相の判断に異論はない。
むしろなぜ今まで執行しなかったのかと思う。

さて、私は死刑存続論者であるが、千葉法相はじめ世の中には多くの死刑廃止論者が存在する。
これは党派を超えて民主にも自民にもいるようである。

実際問題として、国際的には死刑の廃止が主流であり、EUや南アメリカでは死刑制度はほぼ廃止されており、調べて見たら2006年に死刑が執行された国は日本を含めて僅か25ヶ国しかない。
傾向としてはアジア、アフリカ、中東方面の国で死刑制度が残っている傾向が強いようだ。
日本は過去に国際連合から死刑制度の廃止を勧告されたという経緯もあり、先進国の中では数少ない死刑制度のある国となっている。

死刑廃止論者が言う「犯罪者にも人権がある」などという感情的な理屈は目をくれる必要はないが、「日本が国際社会から非難されるのは国益を考える上でマイナスだ」という理屈には、現状を客観的に見たとき考えさせられる。

話は脱線するが、私は捕鯨問題に関しては積極的な廃止論者ではないが「別に廃止してもいいんじゃない?」と考えている。
そもそも、鯨の肉がなければ生活に困るかと言われれば、全く影響がない。私自身は鯨を最後に食べたのは30年近く前であり、正直言って味も覚えていない。
私の周りの人に聞いても、時々観光地に行ったときに「珍味」の感覚で食べることがある程度で、それを主食のようにしている人は見たことがない。
例えて言うならキャビアやフォアグラのような「滅多に食べないけど、あれば食べて見たい」という存在である。

世界的な非難を浴び続けてまでも捕鯨を続行する国家的な意義が私には思いつかないので、「絶対にやめろ!!」とまでは言わないが「やめてもいいんじゃない?」という感覚なのである。私の場合。

その感覚で言うと、前段の死刑制度については、私は感情的なのかも知れないと思ったりもする。
「人を殺した人間は、その命を以って罪を償うのは当然のことである」と当然のように考えているが、「人を殺したら死刑になるのは、なぜ当然なのか?」と問われると、「当然だからだ」としか答えられない。

優秀な学者の皆さんに是非お願いしたい。
国際社会の非難を浴び続けながらも死刑を存続する意義、を完全な理論武装で説明できるようにして欲しい。